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青臭い質問ですが・・・

 無とは何か? という質問を見てなんとなく思いました。無は僕らが生きている間(死んでからはわからないのですが・・・)ないんじゃないのか。ということです。  なぜそう思ったのかと言うと「我思う、ゆえに我あり」だから全てを消し去っても自分が残るじゃん。とかそんなことを思ったのですが、でも果たしてその自分というのが、果たして本当に自分なのかという疑問を思ったわけです。  だからと言って、自分はなんなのか? と問いたいわけじゃありません。こうやって「自分」と書く「言葉」自体が自分なのか?と思ったわけです。  言葉がなかったのならば、「我思う」自体も無しなるわけで、(思うという行動が言葉を駆使しているからだと思います)じゃあ言葉が現実なのか? と問えばそれも違うと思うからです。(僕は言葉で物を認識しているわけですが、言葉がなくても何かは存在している。それが例え僕に認識できなくても僕じゃない人から《神様から?》見たら物はあると思うからです)  では無とは何か? 自分が死んだら無になるのか。とも考えたのですがそれも違うような気がします。(というか、死んだ経験がないのでわからないのです)  みなさんはどうも思われるんでしょう? 無とは自分がなくなってしまうことなんでしょうか。  もしそうであるならその認識している「自分」は「言葉」ではない自分なんでしょうか。

みんなの回答

noname#117439
noname#117439
回答No.7

A6です。 変換ミスがありました。 >五感は何処に言ったのですか。 五感は何処に行ったのですか。 質問者様が認識している言葉が五感から切り離されているとすればその存在は妄想又は煩悩です。

noname#117439
noname#117439
回答No.6

私は頭を真っ白にして何も考えないでいることができます。 この手の問題は得意です。 >我思う、ゆえに我あり これは、少なくても質問者様の認識している限りにおいてうそです。 心の本質はそこにはありません。 >僕は言葉で物を認識しているわけですが 五感は何処に言ったのですか。 それでは見えている物は認識していないのですか。 >無とは自分がなくなってしまうことなんでしょうか。 自らの本質に帰ることです。

kecha41891
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。自分の本質に帰るですか。なるほど。うーん、無というものをホント、みなさん様々に感じているのだということがわかって面白く感じました。

noname#155689
noname#155689
回答No.5

認識としての「自分」と、言語としての「自分」と、実存としての「自分」を ゴッチャにしちゃうとこういう疑問が起こってくるのだと思います。 ANo.1さんが仰っているように 「無」は「有」と対になる言葉であり、人間による一種の発明です。 もともと「無」があるわけではなく 例えばそれまで「在った(認識できていた)」ものやことが 「無くなった(認識できなくなった)」状況なり状態を 私たちは勝手に「無」と呼んでいるだけです。 しかも、あなたがイメージする「無」と私がイメージする「無」が 全く同じであるという保障はなく 何となく話が噛み合っていればヨシ、といった程度のものだと思います。 私たちは感覚器官を通じて脳内で現象を認識する筈です。 その認識が、現象を正確に(在りのままに)捉えているという保障はない筈です。 さらに、言葉そのものに根拠や真理はない筈です。 要するに、言葉に振り回されちゃっているのだと、私は思います。

kecha41891
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。言葉に振り回されているだけかもしれませんね。  ホント、言葉をつかうのは難しいと感じます。  

回答No.4

補足です。答えを見つけられないからと言って、その人生が無意味だとは思いません。と言うか、見つけられない人は結構いるはずです。ちょっと宗教的に聞こえるかも知れませんが、生まれてすぐ亡くなった赤ちゃんでも達成していることがあるんですよ。この世に生まれるという目的をです。ですから、その赤ちゃんの人生も無ではありません。 答えは人により、生まれる時代により、全部違うものであるはずです。でないと、同じ時代の人はみんなが同じことをやることになってしまいます。

kecha41891
質問者

お礼

 再び回答ありがとうございます。そうですね、生まれるということはたいへん偉大な事ですね。  答えですか、難しい問題ですよね。

回答No.3

僕は、無というのは、「私」がなくなることだと思っています。と言っても人格がなくなるということではなくて、周りの世界と自分の区別が無くなる、世界に溶け込むということです。 死後の世界を認めるか認めないかによっても、変わってくると思います。認めなければ、死んだ瞬間に無になるはずですから。 でも、そうすると、「心」はどこにあるのかが説明できません。心が霊長類最大の脳が作り出した、ただの反応の結果だけのはずがないと僕は思っています。 物理的な側面からも言わせてもらえれば、宇宙の真空空間には、目にも見えず、何の反応もしないが、確かに物質が存在していると最近分かりました。暗黒物質(ダークマター)というそうです。これは、目に見えない世界が宇宙には確かに存在していることの証明ではないでしょうか。 僕はそんなことを考えながら、人間は自分で答えを探すよう運命付けられた生物だとも思っています。 これがあなたの参考になればうれしいです。

kecha41891
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。無とは自分が無くなる、周りの世界に溶け込む。なるほど、そうなのかもしれません。  目に見えないものにも物質がある。目に見えるものなんて宇宙全体の何パーセントくらいなんでしょうね?  難しいことですね、ホントに。  人間は答えを探すようにですか、うーん、そうなのかなぁと正直思ってしまったわけです。かといって否定するわけじゃないです、僕にはその考えは馴染めなかったというだけです。  なんでかと思うのは、生まれて十日くらいで死んでしまった赤ちゃんは答えを見つけられたのだろうか? と思ったからです。

  • odaigahara
  • ベストアンサー率20% (373/1832)
回答No.2

”無”の例として、自分が生まれる前です。歴史の教科書には、確かに書かれていますが、あなたは生まれる以前、知っていましたか。  その中に自分はいたのでしょうか。

kecha41891
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。僕が生まれる前のことは体験していません。  でもそれは無なんでしょうか? それは僕個人からは無かもしれませんが、そこに父がいたら父には無ではないですし、祖父がいたら無じゃない。  僕は父でも、祖父でもないですが、それが無いということにはならないように思えます。

回答No.1

「無」というのは、あくまで「有」に対する言葉であると考えると良いような気がします。 「我思う、ゆえに我あり」も「有」の認識を改めてしたということです。 私達にとって、自分が知らないことと言うのは、「無」なわけです。 所詮「有」と感じるのは、自分が知った範囲においてのみです。 だから、極端な話、この世の中が100であったとして、今1しか知らなかったら、自分にとっては99は「無」なわけです。 自分は知らないことを知っている神のような存在がいたとして、その神ならば、確かに100知ることはできるわけですが、 現実には、そんなことはありえませんね。 物理の世界では、最近反物質と言って、裏側の世界?の物質が発見されたりしていますが、 こういうことを知らないで一生を終えれば、無かったことになるんです。 「無」は自分達が知らないこと、と考えると、あなたが述べている、生きている間「無い」というのは、 当然、知らないから「無い」という結論になりますね。 「無」というのは、あくまで何かが「有る」から「無い」という状態を認識できるわけで、 もし「有る」という状態がなけらば、「無い」と言う状態を概念として作る必要も無いわけです。 自分がいた状態から、いなくなった、死んだ状態を「無」とは呼ばないですよね、 亡くなったというのは、存在していたことを常に意識するから言える言葉です。 存在そのものが消えてしまったら、そもそも「有」でもなかったわけですから、「無」でもない気がします。 そして、あなたという存在は、あなた以外のほかの誰かしらからも認識されている以上、 ただの「言葉」であるとはいえないでしょう。 そして、もし天涯孤独だったとしても、あなた自身、あなたがいるという状態を認識している以上は、 「言葉」が自分そのものなんてことにはならないと思いますよ。

kecha41891
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。そうですね、何かが有ったからそれが無くなれば無になりますね。有があるから無がある。おっしゃるとおりです。  僕の存在が言葉じゃない。ごもっともです。僕は言葉じゃありません。僕が天涯孤独(というか、地峡上に僕しか人間がいない)なら言葉なんて必要はないです。というか、「自分」という概念そのものが必要ないと思います。でも今、地峡上には人間がたくさんいます。(60億人くらい?)だから僕は「自分」が必要となります。その「自分」はいちいち「自分」と付けなければ「自分」じゃなくなってしまう。その「自分」という呼称が「言葉」 であるので「自分」は「言葉」でできているのではないんかい? とか思ったわけです。僕の肉体とかが言葉でできているって思っているわけじゃないです。

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