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自己決定、自己選択について

tumaritouoの回答

回答No.7

人間が生きていて何かをしている時には、全て自分でやっていて、全て承知していると思うのは、大いなる誤りかと思います。自分の意思で生きてゆこうとしている人達が居ます。意思の力、意識の力で生きてゆく時は、大変な事になります。その時には「神経症」「うつ」その他のいろいろな「精神疾患」の原因になります。 例えば眠りに付く時を思い出してみてください。その時には、自分の意識は関与していないはずです。意識の力で意識的に眠りにつこうとする人は「不眠症」の人です。普通の人は眠る前に「無意識」に任せています。 例えば畳の上を歩く事を想定してみてください。地上に敷いた場合と、100Mの高さにセットされた場合です。どちらも幅約90Cmです。100Mの高さでは「意識」が邪魔をしてうまくいかないと思われます。人間は「意識」してやろうとするときに、「意識」が邪魔をして、体がいう事を利かない様になっている気がします。 「神経症」の場合でも「うつ」の場合でも「無意識の世界に」入りにくくなっています。普通の人がうまく人生を生きてゆくときには、本人が自覚する、しないに関わらず、「自分の意識」と「自分の無意識」の切り替わりがうまくいっています。自己決定、自己選択が自分で承知し難い事は多分自分の無意識が関わっているのかと思います。

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