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アトン教・・・写実主義??
pyon1956の回答
- pyon1956
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写実的な文化を生んだ、というより、「写実」は当時のエジプトの新発明だった、といった方が正確かも。 私たちは現代人なので「美術」と呼んでいますが、そもそも古代において、ものをつくる、ということはいささかでも宗教的な行為でもあったわけで。 それゆえ、#1さんが仰るように、教義の中に絵や彫刻の形式までもがとりいれられているわけです。 その点、アトンは新興の神様で、教義にもそれほどの縛りがなかったのでしょう。また、より新しい神様なので、昔ながらの決まりも少なかったのではないかと思います。 仮にアトン教がそのまま支配的な地位を保てたとすれば、やがてはアトン教なりの縛りや制限が目立つことになったのではないかと思います。 (実例:現在の世界で、原理主義に傾いているのはカトリックよりプロテスタントに多いし、またイスラームもユダヤ教やキリスト教に対する新興宗教だったが、今や・・・)
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