• 締切済み

レアリスムと写実主義

クールベについて今調べています。 レアリスムと写実主義とでは、意味合いが微妙に違うようなのですが、 どのように違うのかご存知の方がおられましたら、 教えていただけませんか?

みんなの回答

  • ismael
  • ベストアンサー率33% (228/687)
回答No.2

No.1さんと同意見です。 むしろ気をつけるべきはnaturalism/realismの違いやイリュージョニズム(錯視的再現の手法)との関係だと思います。 http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Dictionaries/Dictionary%20of%20Technical%20Terms/naturalism%20&%20realism.htm http://tenplusone.inax.co.jp/dialogue/dialogue2.html

tan-yu
質問者

お礼

HP参考になりました。 ありがとう御座います。

  • Tinte
  • ベストアンサー率45% (27/60)
回答No.1

 美術史はかなりいろんな意見が混在しているので、自分自身の見解みたいなものが一番大切なのでなんとも言えない部分もあるのですが、教科書通りの解答でいえば、以下のようになります。  レアリスムはフランス語(圏)のリアリズム(現実主義、写実主義)という言葉なので、意味としてはクールベに限ってのレアリスムと考えてください。そのような意味では、写実主義も殆ど同義ですが、美術史の中では様々な写実主義(例えば近代のスーパーリアリズム(アメリカ))があるのでそれらと混同しているのだと思います。混同してしまうとレアリスムと写実主義は違った意味になってしまいます。  ですので、「クールベのレアリスム」と「クールベの写実主義」は全く同じと考えても大丈夫だと思います。  クールベのレアリスムがその前の時代と違う(特徴的)であるというのは、下記になると思います。  いわゆるヨーロッパ絵画はキリスト教を中心とした宗教画が中心をなしていて「理想的に(神の教えに反しない)」絵画が殆どなんです。だいたい裸体の性器の部分には不自然に葉っぱが描かれていたりしますよね?理想的に描かれているので本当の意味での写実ではなかったんですね。そんな時代の後にクールベのように大胆に女性の裸体を描いたり、ちょっと猥雑とも言えるぐらいにリアルに(現実的に)描いた…というのがクールベのレアリスム(写実主義)ということになると思います。反宗教的であったのと同時に当時の快楽主義的な貴族に受け入れたれた…という側面があるのだと思います。  ここら辺りがクールベのレアリスムということになるかと思います。  ですが…美術史はなかなか教科書通りではないので、あくまでもご参考…ということで、このような考え方にも賛否両論あると思います。 (大学の教授によっては、こういう考え方で単位をくれない教授もいるかも…です!)  

tan-yu
質問者

お礼

丁寧な回答をありがとう御座います。助かりました。 クールベに限っての写実主義とレアリスムは同様なんですね。 これから他の写実主義の画家と比較してゆく作業に入ります。ミレー、コロー、ドーミエ… 参考にさせていただきます。

関連するQ&A

  • 写実主義と自然主義

    日本文学の、写実主義と自然主義の違いがよくわかりません。 写実主義は明治初期に坪内逍遥が提唱して二葉亭四迷が確立したものですよね? 自然主義は明治末期より田山花袋などの私小説的なものをいうみたいですが、なんだかどっちも人間の心理とか真実とかを描き出すことには変わり無いと思うんですが・・。 主義というだけには何か決定的なものはないのでしょうか?ただ単に時期が違うというだけなんでしょうか?日本の自然主義はヨーロッパのものとはまた違うなどあるみたいですが・・。 便覧見ても人に聞いてもいまいちしっくりこなくてしこりを残してます。

  • 現代人が、写実主義or自然主義の小説を読むことの意義は何だろう?

    現代人が、写実主義or自然主義の小説を読むことの意義は何だろう? 最近、フランス文学を読解しているのですが、ふとこの疑問を持ちました。 ロマン主義からは一転し、また現在の大衆的な風潮とも違う、写実主義や自然主義の作品を読むからには、単なる娯楽以外の意義・得るものがあるはずです。 どこかの先生の説でも、回答者さんの持論でもかまいません。考えをお聞かせください。写実主義と自然主義については、一方についてでも、総合的にでも構いません。 主にフランス文学を読むことの意義を想定していますが、専門や趣味が国文学や他の国のものならば、そちらでも構いません。

  • シュールリアリズムの絵

    美術で「シュールリアリズム」(超現実主義)の絵を書かなければいけないのですが、今一つ実感が湧きません。このような絵が見れるサイト等をご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。よろしくお願いします。 また、題材によさそうなものなどのアドバイスもよろしくお願いします。

  • シュールレアリスムはリアリズム?

    シュールレアリスムは、「現実を超越した非現実」という意味に誤解されがちだけど、 「ものすごく過剰なまでに現実」という意味らしい、ということはわかりました。 リアリズムの後がシュールレアリスムなのもわかりました。 無意識の自動筆記やあり得ない夢はリアリズムの一種と考えても誤解はないでしょうか? シュールレアリスムというから、レアリスム(リアリズム)?とも思ったのですが(^^;

  • メタフォリカル・レアリズムとは?

    シュルレアリズムの他に メタフォリカルレアリズムという世界があるらしい 比喩主義といいたいのだろうか? そもそも 現代アートはどうやって 誰が区分けしているのだろう?

  • 写実的な絵本が少ないのはなぜでしょうか?

    絵本の多くは、あまり写実的なものは少ない、という印象があります。 写実的と言うと、スノーマン…、ピーターラビット…、 と思いつきますが、これまでそれくらいしかお目にかかったことがありません。 ざくっ!とした、はっきりした絵柄の方があっとう的に多いような? きがします。 気のせいでしょうか。 それとも、世界的に見ても、 写実的な物は面白みがなくて、受けが悪いのでしょうか…? もし有名な写実的な絵本があれば、教えて下さい。

  • 反自然主義とは

    文学で、反自然主義とは写実主義のことですか?

  • チュートリアルのチュートリアリズム

    こんにちわ☆私は、去年のM1を見てからチュートリアルのファンになってしまいました♪♪それで、チュートリアルの単独DVD“チュートリアリズム”を買おうか買うまいか迷っています。。。今、金欠なので買い物は慎重にしています。。。でも、月末にちょっとしたお金が入るので、買う方向でいるのですが、“チュートリアリズム”を買った方、もしくは借りて見たという方にぜひともご意見やご感想を聞きたいです☆お願いします!!!

  • リアリズム+非合理的なもの

    今回も不正解でした。 問:次の文の趣旨として妥当なのはどれか。    20世紀の知の里程標は、19世紀末に支配的になった経験主義と実証主義の遺産を発展させた形で植え込まれていた。芸術の世界ではダダ・シュアールレアリスム・未来派、表現主義など、リアリズムの伝統に対する反撃が繰り返されているのに、社会科学は基本的には、リアリズムを通して世界を捉える。そして、その分析の対象を経験的に捉えることができ、量に還元することができる実証主義の方法に依拠していた。この方法は、世界は不動の単位からなっており、因果性と予測可能性を秩序の基礎として成立しているという立場に固執する。そのため多義的なものを排除して一義的な事象を分析の基礎とする。社会科学における機能主義は、そうした単位としての部分と全体の調和の上に世界は成立しているとする立場である。したがって安定した世界の秩序に寄与する部分のみを分析の対象に取り上げる傾向が支配的であった。この立場は人間が単一の現実の中に生きていると確信できる限り破綻をきたさない。破綻をきたしそうな部分は「非合理」といって抑圧すれば、それで事足りる。ところが夢・無意識・祭り・極限状況、芸能・神話といったいくつかの人間的経験の枠組みを通して見てもわかるように、人間は因果的につじつまのあう方向だけに沿って生きているわけではない。こうした様々の要素は一見非合理的に見えるが、理性的な次元だけでは充実した全体的な生を営むことはできない人間の、表面的な生への補充の営みになる。仮にこうした一見でたらめと見える部分が影の部分であるとすると、人間はこうしや影の部分とのひそやかな対話を試みないで、深い意味での統一を保つことはできない。 1.「社会科学」は人間の合理的な面を表現し、芸術は非合理的な面を表現している。←この本文は、社会科学の特徴について述べているので×。 2.「社会科学」を科学たらしめているのは、基本的にリアリズムを通して世界をとらえている点にかかわっている。←本文ではリアリズム+非合理的なものも必要だと、述べられているので×。 3.「社会科学」は理性的な次元に、人間の一見非合理的にみえる部分を取り入れながら発展する性質がる。←本文ではリアリズム+非合理的なものも必要だと、述べられているので○。…と考えましたがこれは×だそうです。 4.「社会科学」によって世界の秩序を維持してゆくためには、その対象として人間の影の部分を理性的に説明してゆく必要がある。←必要なのは対話をすることであって、他人に説明するということではないので×。 5.「社会科学」は理性で説明できる面で構築されており、非合理な部分は排除しているため人間の現実の姿全体を反映しいぇいない。←表面的な生への補充の営みには、非合理的なものが必要だと述べているので、×。…と思ったら○だそうです。 しかし、本当に5が正解なのであれば、本文中にある「こうした様々の要素は一見非合理的に見えるが、理性的な次元だけでは充実した全体的な生を営むことはできない人間の、表面的な生への補充の営みになる。仮にこうした一見でたらめと見える部分が影の部分であるとすると、人間はこうしや影の部分とのひそやかな対話を試みないで、深い意味での統一を保つことはできない。」という主張はどこに行ってしまったのでしょうか。 」

  • 初期鴎外は、なぜ「浪漫主義」なのか。

    森鴎外は初期に文語調で小説を発表していましたし、「浪漫主義的」と言えるような活動は評論と訳詩くらいでしたから、小説の内容とスタイルから考えるとあれは「擬古典主義」になりませんか? 例えば有名な「舞姫」は完全に文語です。そして、例えば「擬古典主義」にカテゴライズされる露伴「五重塔」や紅葉「金色夜叉」と比較して、いわゆる「リアリズム/ロマンチシズム」で考える場合に、内容は明らかに「舞姫」がリアリズム小説寄りです。 このように、初期鴎外が、いわゆる「擬古典主義」の作家たちと比較してもまったく「浪漫主義」的傾向を持たず、同時に、特に文体の「擬古文度」が劣っているわけでもないのに、「浪漫主義」と考えられているのはどうしてでしょうか? ご存知の方いらっしゃいましたらお教え願います。