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なぜ他球団のファンは巨人が嫌い?

私は巨人ファンです。 なぜかというと好きな選手が多いからです。それ以外の好きな要素はユニフォームの色合いが好きだからとかジャビットが可愛いとかそんなんなんですけど。ファンっていっていいのかどうか・・・。 ずっと思っていたのですが、なぜ他球団のファンの方は巨人をあんなにも嫌うんですか??うちの父(阪神ファン)も毛嫌いしてるし、TVとかでも「ドラゴンズの最大の敵、巨人を・・・」とかいってますし。 まぁ実際自分は野球をやった事が無いので詳しいことはさっぱりわからないのですが、ちょっと気になったので質問してみました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Cid
  • ベストアンサー率22% (37/167)
回答No.1

だって、カネにモノを言わせて優秀な選手ばっかり集めてんねやもん。アレやったらワシが監督したかて勝てるがな。 とお父様も思っているハズ。

serina19
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 言ってます言ってます!ブツブツと独り言のように(怖) ありがとうございました

その他の回答 (22)

  • neterukun
  • ベストアンサー率17% (993/5831)
回答No.23

neterukunです。 そうですね、まぁ昔強かったということもあってアンチファンが多くいることと、 江川、桑田というところのドラフトでのずっこでしょうね なんか許せない気持ちになったっていうかね なんか他の球団が欲しいって選手をみんな持ってくでしょ あの手この手で・・ 私は阪神ファンですが江川騒動の時 阪神ファンは小林なんかより江川の入団を待っていたと思います私もそうです。 まぁこんなかんじかな

noname#110252
noname#110252
回答No.22

オフの戦略があくどいからでしょう。 巨人は優勝できなかったら大量に金を出して選手を集めようとします。それも、『「元巨人」ならいい印象を受けられる』や「巨人ならTVにも出れる」などの巨人ブランドを利用してというやり方です。 巨人に行った選手たちでも、本当は巨人には行きたくなかったという選手が多数いると思います。 1959年の村山投手の入団のとき、巨人は阪神の4倍もの契約金(T500万、G2000万)を出しましたが、結局村山投手は阪神に入団しました。かなり前の出来事ですが、金だけでは巨人には行かない選手もいるといういい例です。

noname#29373
noname#29373
回答No.21

経済力で他球団の選手を連れてきているのが原因ですが、1978年の「江川事件」もその原因の一つでしょう。 1977年に交渉権を獲得したクラウンライター・西武の交渉権が1978年11月20日で切れ、1978年のドラフトは11月22日でしたから、1978年11月21日はどこの球団も交渉権が無い日、いわゆる「空白の一日」でした。 それで、その1日を利用して勝手に入団発表をしました。当然セリーグ会長らは入団を却下しましたが、これに対し巨人は「セントラルリーグを脱退し、新リーグを作る」などといっていました。 しかも、巨人は、78年のドラフトを欠席しておきながら、「12球団そろっていないので阪神(4球団の争いになりましたが阪神が交渉権を獲得しました)の交渉権は無効だ」とまで言いました。 結果的に、小林投手とのトレードで解決しましたが、この事件以来巨人が嫌いになったという人が多数出るようになりました。 (江川投手は1973年に一度阪急に指名されましたが、このときも入団を拒否しました。ここでおとなしく阪急に入っていれば250~300勝は出来たと思います。何せ当時の阪急はよく優勝争いに顔を出すようなチームでしたから。67~69、71、72年と優勝し、73年もプレーオフまでいきました。)

  • baseball
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.20

巨人は、金を使って各チームの主力選手を、獲得するため、巨人にたいこうできるチームがいなくなってしまうからです。 そして選手は、名門巨人軍でプレーするのが、ゆめなんだとおもいます。

  • g-ubu
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.19

 在京トラ党です。マナーが悪いとか、いろいろ言われている、あのトラファンの一人です。(マナーが悪い、と言うわけではないですが)  考えて見れば、僕の学校のクラスでは巨人ファンは多いですが、どこでもないけど巨人は嫌い、と言う人もいます。嫌いな人は口を揃えて「強すぎてつまらん」と言います。まぁ、今年なんか途中までは阪神が強かったのに、そこから巨人が独走して、その声は強まりましたね(笑)。あと、ウチの英語グラマーの先生が超巨人ファンで、自慢ばっかしてるのも原因ですかね。あれはうざったいです。特に阪神ファンとして見れば。    あと某テレビ局や、ラジオ局の巨人びいきも原因じゃないですかね。選手の寄せ鍋球団なわけで、強いのは当たり前だっつーの!!ていいたくなります。巨人以外のチーム(ペナントだったら阪神、中日など、日本シリーズだったら西武など)が勝った時に「以外だなー」見たいな言いかたするのも許せないわけであります。マスコミもマスコミで、例えば横浜が4年前に優勝した時も、横浜が優勝した、と言う言いかたよりも、巨人が勝てなかったの方が多かったような気がします。ま、周囲の環境がそうしてるんじゃないですか?  ちなみに僕は今は阪神ファンですが、昔はイチローがいて強かった時のオリックスや、星野・中日も好きでした。でも巨人が好きという記憶はありません。  ただ、巨人がいないとこれまたプロ野球人気が劣る、と言うのも事実だと思います。まあなんだかんだいわれても、結局巨人は必要なんですな。でも、えげつないやり方はいい加減やめろ、と言いたいところです。過去に悪い出来事、たくさんあったみたいですし。  ま、とにかく来年こそ混セ・混パ、ついでに言うと我らが阪神の優勝を期待したいと思います。独走は面白くないのです。ハイ。

  • guuyan
  • ベストアンサー率11% (1/9)
回答No.18

どの球団というわけではないですけど野球は好きです。みんな巨人が嫌いなのではないと思います。巨人が無ければないで寂しいですし。巨人ファンが嫌いなんです。二言目には「巨人!巨人!」騒ぐ人たちが。選手は頑張っていると思います。それは選手の顔を見れば分かります。入団当時に比べてみんないい顔してます。在京のマスコミがバカみたいに巨人びいき(特に某TV局)だから、ふつうに巨人好きな地方の人(地元に他球団のある人)は嫌になるんですよ。やっぱり地元の球団の勝敗は気になります。ましてや、その地方だけ【番組のご好意】とか、二元放送とかで中継が入って劇的勝利なんてされて、かたや普通に2-1とかで巨人が勝つとすると、劇的なほうをニュースとで放送してくれると思うじゃないですか。でも、長く放送されるのは巨人。ひどいときは【その他の結果】ノーヒット・ノーランでも達成するか、巨人戦が無い限りダメ!みたいな・・。野球自体を好きな人は巨人から離れて行くのではないでしょうか。今の若い子は長島さんの昔を知らない(私もあまり記憶がありません)ですよね。なのに、長島さん、長島さんと騒ぎたてる一部の人達。あれも巨人嫌いを作っているとおもいます。

回答No.17

僕が巨人を嫌いなのは、巨人ファンはロッテの応援を参考にして応援スタイルを変えたにも関らず、ロッテは巨人の応援を真似するな!と言われた件からです。 読売のやり方の不公平さが許せないです。

  • ba3x307
  • ベストアンサー率18% (95/514)
回答No.16

ほかの人の回答と重複してしまいますが、江川や桑田の件など、やっぱり金や権力にものをいわせてドラフトやフリーエージェントで大物選手ばっかりとってるところが他球団のファンが巨人に嫌悪感をさらに感じてしまうんだと思います。

  • zizz-nao
  • ベストアンサー率12% (6/49)
回答No.15

ほとんど答えが出てしまっていますが、それでもあえて書かせてもらいます。 ドラゴンズファンですが、「巨人が嫌い」と普段確かに言っています。 でも、それはうらやましさ、強さの嫉妬、でしょうか、そんな感じです。 でもやっぱり本当に嫌いなんです。わかりやすく言うと、「読売」が嫌いなんです。 他の方たちも書かれたように、経営の仕方、首脳陣の選出、マスコミ利用、ドラフト、FA、他にも社長の発言。社長は最悪ですね。他球団を見下した発言多いし。 それが、プロ野球人気を支えるための狂言とも思えない。 野球に関して言えば、選手は確かにいい。でも監督、コーチの選出は? 個人の長嶋さんは嫌いではないが、監督として彼はどうだったの? 個人の力は強くても、仕切る人間があれではね。 多分、昔から野球見てる江戸っ子のおっさんにやらせた方が強かったかもよ。 ドラゴンズが優勝した次の年に宮田ピッチングコーチを引き抜いたり、 現役を引退したばっかりのコーチを揃えたり、どう考えてもおかしい。 原監督一人で考えたんじゃなくて、経営陣の指示があったのだろうが、 話題作り以外の目的が見えない。将来的にはいいコーチにはなるだろうけど。 まあ、こんな感じでやめときます。好き勝手にごめんなさい。 ↓下の人の言う歴史はそんなに問題じゃないと思いますよ

  • TAHCHAN99
  • ベストアンサー率33% (14/42)
回答No.14

古くから、野球を見てこられた方が、巨人に嫌悪感をもたれるのは、以下のような経緯が一因となっていると思われます。 1 最古のプロ野球チーム 従来から、読売巨人軍は、自らの前身である大日本東京野球倶楽部が最古のプロ野球チームであると称し、巷間でもそのように信じられてきた。しかし、現実には、それ以前に、早大野球部OB,河野安津志、押川清らが創始した日本運動協会(芝浦協会)をもって、職業野球団の嚆矢とするのが、野球研究家の間では、通説となっている。同球団は、関東大震災のため、専用球場を政府に接収された後、阪急電鉄社長小林一三の支援の下フランチャイズを移し、宝塚運動協会として再出発した。しかし、昭和恐慌で、対戦相手チームが解散したため、昭和4年に活動に終止符を打っている。また、天勝奇術団団長、松旭斎天勝による、天勝野球団も短期間職業野球団として活動している。 従って、こうした点にこだわりをもつ野球ファンが、最古の職業野球団を自称する巨人軍に嫌悪感を抱き、アンチ巨人となっていったであろうことは想像に難くない。 なお、これらの先駆的球団は、いずれも、青少年の人格育成という理想実現のため、あるいは、オーナーの趣味の延長として始まったもので、企業の論理と結びつかなかったところが敗因だったと思われる。 ところが、巨人軍は、創立当初から新聞拡販という目的をもっていたことで、他企業から容易に受け入れられ、動きを同じくして複数の球団が並立したのであろう。従って、複数の球団によるリーグ戦という、現在の興業方式が確立されたのは、巨人軍初代オーナー、正力松太郎氏の人脈と交渉能力に負うところが極めて大きいことは否定できない。その一方で、プロ野球チームが、企業の宣伝媒体以上の地位を、なかなか得られない遠因も、この経緯に存するといわざるを得ない。 2 球団カラー 戦後再開されたプロ野球界で、赤バットの川上と人気を二分したのが、青バットの大下弘だった。求道一徹の川上と対照的な人格であったといわれる。「夜の監督」とあだ名されるほど、球場外での遊蕩、艶聞に関するエピソードは枚挙に暇がない。たとえば、遊郭にいっては、「何事も球にまかせた我が浮世」などと書いた色紙にサインして娼婦に渡していたという。あるいは、徹マン明けで朦朧としたまま打席に立ち、3つに見えるボールの真中のを打ってみたらすべてヒットになり、1試合7安打のプロ野球記録を樹立したとも言われる。 この大下が所属した、セネタース、東急には大下なみの個性豊かな選手が大勢いた。たとえば、「飲む、打つ、買う」では大下に引けを取らない天才内野手苅田久徳、あごの長いことから「ロングロングアゴー」というニックネームで呼ばれた怪投手白木儀一郎などである。白木にいたっては、投ゴロを打った打者が全力投球を怠ると、ゴロで1塁に送球したり、捕手に投げてみたりと人を食った打球処理を見せた。また、この白木、熱心な創価学会信者でもあり、引退後公明党公認の参院議員にもなっている。こうした選手たちを擁した東急は「勝とうが負けようが面白いチーム」と評された。こういう勝利至上主義と対照的な遊び心にあふれたチームを愛せるか否かが、巨人ファンとアンチ巨人を分ける分水嶺となった可能性は大きい。 3 別所引き抜き事件 昭和21年のプロ野球再開後、3シーズン巨人は優勝から遠ざかった。このことに大いに危機感を感じた巨人首脳陣は、前年優勝チーム南海ホークスのエース別所毅彦(当時昭)が、球団の処遇に不満を感じていることを察知し、ひそかに接触、移籍契約を締結した。当時の野球協約上、他球団の支配下選手との直接交渉は禁じられており、巨人軍のとった行為は違法のそしりを免れない。しかし、連盟は、巨人のリーグ脱退をおそれ、巨人軍への制裁金、別所選手の有期限出場停止の処分で、移籍を黙認して決着させた。このときの、巨人の行為に憤慨し、アンチ巨人となっていった人は多いと思われる。なお、リーグ脱退をちらつかせて自説を押し通す、その後の巨人の行動パターンの原型となった点でも、この事件は特筆されよう。 4 2リーグ分裂 昭和24年、当時日本野球連盟名誉総裁の地位にあった正力松太郎は、将来2大リーグによる共存共栄を企画し、その一里塚として、10球団1リーグ制への移行を試みた。そのために、職業野球への参加に熱意を持っていた毎日新聞社を誘い、加盟8球団中5球団から、同社加入の賛成を得るのに成功した。これに対して、読売本社および巨人軍(当時公職追放処分を受けていた正力に変わって、同社首脳部は反正力派で占められていた。)は、毎日加入に賛成していた阪神に働きかけて翻意させた。その結果賛否4対4となったため、連盟は分裂を余儀なくされた。こうして、何の構想もないまま、2リーグ制がスタートしたため、多くの球団は経営難、選手難に陥り、後年その一部は解散身売りを余儀なくされるに至った。結果としてみれば、読売の内部抗争が、こうした事態を招いたことになるため、苦境に陥った球団のファンの多くが巨人に遺恨を抱くことになったと思われる。 3 選手獲得合戦 2リーグ分裂により、既存8球団から、一挙に15球団に増えたため、各球団は選手難に悩むことになった。そんな中で、阪神の主力選手、若林、本堂、土井垣、別当らが相次いで新興球団毎日に相次いで移籍していった。この理由として、毎日による引き抜きとする説と、監督兼任だった若林が阪神の主砲藤村富美男との確執から新天地を求めたとする説がある。おそらく両者の要素が混在していたのであろう。この大量移籍に強い危機感を抱いた巨人首脳陣は、国民リーグ解散後野球から離れていた宇高勲をスカウトに起用する。(宇高は、国民リーグ創設時、辣腕スカウトぶりを発揮して既存球団から大量の主力選手を獲得し、「宇高旋風」とおそれられた。)巨人首脳陣は、この宇高に「パリーグをつぶせ。」と命じて、強引なスカウトにより阪急、東急等から大量の主力選手を引き抜かせ、これらの球団を苦況に陥れた。こうした引き抜きに対して、監視機関が存在しなかったため、引き抜きにあった球団は泣き寝入りせざるを得なかった。こうした引き抜きに憤慨した当時のファンが、巨人に対して遺恨を抱くことになったと思われる。 4 西日本パイレーツ問題 2リーグ分裂時、九州福岡に本拠を置く西鉄クリッパーズが、パ・リーグに加盟することになった。これに対抗するため、巨人首脳陣は、同地に本社を置く西日本新聞社に働きかけ、西日本パイレーツを設立、セ・リーグに加盟させた。しかし、戦力、興行能力、営業力の著しく欠如した同球団は、セ・リーグ内で「お荷物」と非難され、1シーズンで解散の危機にさらされた。このとき、巨人は同球団を守ることをせず、一方的に同球団の主力選手を巨人に移籍させた。一方、西日本は、西鉄と合併の上、セ・リーグで存続承認を得るべく抵抗したが、その主張は受け入れられず、同リーグを脱退、その足でパ・リーグ会長を訪れ、加盟を申請した。同会長は、「全く同情に堪えぬ。お引き受けした。」と回答、ここに、西鉄ライオンズが誕生する。このとき、西日本の立場に同情を寄せた者が、巨人に反感を抱き、後年日本シリーズで、西鉄が巨人を3連破した際、快哉を叫んだであろうことは想像に難くない。 5 黒い霧事件 昭和44年10月、西鉄ライオンズ所属永易将之投手の敗退行為を、読売、報知新聞がスクープした。この記事が発端として、野球選手と暴力団員の交際が社会問題になり、多くの選手が永久追放その他の処分を受けた。中でも、被害が大きかったのは、一気にローテーション投手4人を失った西鉄ライオンズであった。この一件が3年後の同球団倒産の遠因となる。一方、このあと読売系ライバルのA紙も報道合戦に乗り出し、やがて巨人にも飛び火しそうになるや、読売系マスコミはピタリと報道をやめ、結局うやむやのうちに終息した。このときの、読売系マスコミに対する遺恨からアンチ巨人となっていったものも多いと思われる。 その後の江川問題、ドラフト改革、FA導入等の際における読売系グループの行状と、前述のような経緯が渾然一体となりごり押し体質の巨人というイメージが形成されていったと思われます。

serina19
質問者

お礼

す・・・凄いですね・・・。まさかこんなにも深い答が返ってくるとは思ってもみませんでした・・。 巨人の歴史にも原因があったんですか・・・えー・・・。こんなに色々原因があったんですね・・・。なんかこれだけで学問みたいですよ。レポートの続きをやってる気分。。(笑) 相当な野球ファンの方ですね。凄いの一言でした。 ありがとうございました!

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