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与党批判は見苦しくありませんか

・組閣 ・施政方針演説 に関してニュースで他党党首級のコメントが放送されます。いつも思うのですが内容は批判ばかり。全てを否定しているようですが、かえって不信感を感じます。「じゃーあなた方ならそんなに立派な事できるの?」「演説でいい事ひとつも言わなかった?」と思ってしまいます。 この人たちは批判ありきで物を言っているので、絶対に褒める事は言わない。だから普段も本意での発言ではなく信用できない感じさえします。揚げ足とりが仕事みたいでかえって逆効果に思えます。このような場合はノーコメントでもいいと思うのですが、コメント必要ですかね? ちなみに私は無党派です。

みんなの回答

  • ginga2
  • ベストアンサー率12% (576/4567)
回答No.8

私もそうですが、わざわざ演説聞きに行きません。 よって放送を見ます。放送で使われる映像は批判してる場面です。 ノーコメントでは放送に載りません。 私も無党派です。

  • gee2992
  • ベストアンサー率52% (32/61)
回答No.7

まず#2さんの言われるように「批判することは世界中の民主主義国家で至極当たり前のこと」で、普通に健全なことです。 主権者たる国民は、党やマスメディアの述べてることが的を得てるのかどうなのか、その内容を吟味して支持するのかしないのか、それを各々が判断すればいい、それだけのことです。 よって >与党批判は~ は、まっく当たり前のことで、それ自体に文句言っても意味がありません。 また#1さんのところで出ているように、彼らのコメントした数パーセントの(メディアの使いたい)発言しか放映されていませんよね。 これに質問者様も承知されてるとお答えですが、でしたら残りの数十%以上で必ずしもそうじゃないことコメントしてる可能性はあるわけで、「絶対に褒める事は言わない」と決め付けることには無理がありますよね。少なくとも私は、過去に彼らが肯定的な発言をしているのを何回も何回も聞いたことはありますが。 それ以前に、国政選挙において主権者の多数から不信任を受けた指導者に、主権者の多数から信任を受けた相対する側が全面的に支持をするのですか? 断っておきますが私も絶対的な支持政党を持たない、いわゆる無党派層です。 ですが、 #3さんの言われるように、民主国家において第4の権力ともいえるマスメディアや私たち国民のもう一方の代表者である時の野党政党が、時の政権を批判することは至って当たり前のことで絶対に必要なことであるし、世界中の民主国家で行われている健全な姿でもあります(その内容を支持するかどうかは別問題です)。 また、ある意味、「批判ありき」も当然でしょう。この世の中に完璧な政策などないわけで、多様な意見の中でより良い政策に洗練してゆくことは悪いことではありません(最後には多数決で決めればいいだけのことです)。相反する意見を議案にも上げず数だけで押し切ったのはどちらの政党でしょうか(ご存知かと思いますが、前々国会の与党法案の7割に民主党は賛成票を投じてますので「何でも反対!」というどなたかの恣意的なセリフは的外れですし、何度も言いますが「最後には多数決で決めればいい」ことは誰でも承知してることです)。 批判されたほうは、正面からそれに反論すればいいし、私たち国民はそのどちらに正当性を見出すかで支持するほうを決めればいい、選択肢が多いほうが良いわけです(反論するに値しなければしなけりゃいいし、国民はそこをも見て判断すればいい)。 ちなみに私にもしコメントを求められたなら、そりゃ「演説でいい事ひとつも言わなかった」とは特段に思いませんが、 政権選択でない通常選挙において、時の最高責任者である総理大臣が「『自ら』自分と相手党首のどちらを選びますか?(国のリーダーの選択≒政権党の選択)」と国民に迫っておいて、その結果の大敗のも関わらず説明責任は言明せず続投宣言は選挙結果前に明言し、その際の「責任を重く受け止め、反省するところは反省する」という発言の、 「何の責任を受け止め、何を反省し、どう変えてゆくのか」、国民の前でそれを明確に説明すべく組閣後の会見において、 少なくとも私には全くその答えが得られなかったので、その他の「演説でのいい事のひとつ」など、『どうでもいい事』になり、やはり私も批判的なコメントをしたことでしょう。 質問者様は無党派ということで、どちら側にも立ち位置を決めていないわけですよね?(少なくとも私は、そうじゃなきゃ無党派とは言えないと確信しています)。 もし、そうだとするなら、国政選挙において主権者から公式の明確な権利行使の結果に対しての最高責任者の『自らの発言』の説明責任について、もっとも大事な今回の会見の説明の内容で、質問者様は納得されましたのでしょうか? もしくは、無党派(どちら側にも組していない)の質問者様がもしコメントを求められたら、発言全てで肯定的なコメントをされるのでしょうか? その中で一部、批判的な内容がメディアに使われたとしたら、それは「見苦しい」発言なのでしょうか? もちろん肯定しようが誰を支持しようが個人の自由です。 ですが私は、誰かの絶対的な支持者でもないのに、その誰かの納得いかない説明に対し、「全面的に支持する」ことなど絶対にあり得ません。 >「じゃーあなた方ならそんなに立派な事できるの?」 それをマニフェストで提示しています(「やるべく権限を得ていない」段階で全否定しても意味がありません)。 それを支持するかどうかは各々の国民が判断することです(それが、これまでやってこなかった側を擁護する理由にはなりません)。 またこの場合の「あなた方」の就く立場とは、主権者の大多数に不信任を受けながら最高権力を執行する立場ではありません。 質問者様の言う「あなた方(=現野党)」が政権を担うということは、総選挙において「多数の支持を受けたのち」にしか有りえませんので、現在の状況とは何もかも全く違いますので、単純な置き換えはナンセンスです。 >仮に彼らが政権とっても結局は同じ事をを言われると思いますけど 大変申し訳ないが、それをもって「野党政党やマスメディアが時の政権を批判すること」を否定するのなら、それは民主国家における大前提である、政権党の交代の必要性も否定するとにつながりますが。これはまぎれもなく民主主義の否定にもなります。 政権与党とはこの国の統治権力を与えられているのです。 そしてこれは絶対的な資格ではありません、主権者がその時々に選択した結果に過ぎません。 民主主義国家において、とにかく批判されるのがイヤならば、権力の地位に就かなければよい(辞任することもまた、全くの自由ですから)。 質問者様自身が単純に不快なら、#6さんの言われるとおり、それこそ無視すればよい(無視しようが選挙権を放棄しようが、納税し彼らの作った法に従う日本国民であることに変わりはありませんが)。 それだけのいことです。 もう一度断りますが、私は民主党の絶対支持者ではありません。 どちらをも、その立場を理解した上で、出来うる限り公平に見たいだけです。 一方側からしか見ないことは、自分自身・国民全員にとっての不利益だからです。 #5さんの言われるとおり、この国の特殊な現状を認識し、それを前提にして考えることではないでしょうか(まぁ私は「政権党という接着剤なし」に目標を掲げまとまっている民主党よりも、「政権党という接着剤のみ」で引っ付いている自民党の方がはるかに解党的状態に陥ると思いますがね、私は全く望みませんが。某都知事はじめ名だたる政治家が毎年毎年何回も何回も「~すると民主党は分裂する」と断言してきましたが、最近では「小沢氏が党首になったら~」と断言してましたが、が・・見苦しいです)。

5380103
質問者

お礼

長文ありがとうございます。 与党が批判されてばかりでかわいそうという事ではなく野党の揚げ足取り体質に嫌気がさしたといった方がいいかもしれません。 批判し自分たちの代案を提示するのは全く結構なことですが、批判部分ばかりを強調する戦術と、マスコミの報道姿勢に大いに疑問を感じます。 例えば外国大統領などが日本の国会で演説した後、表立った批判コメントを放送では見ません。(絶対に突っ込みどころや矛盾、批判すべき点はあると思いますが)実際に批判していないのかはど知りませんが、このような事と比べても不自然さを感じます。  

  • komimasaH
  • ベストアンサー率16% (179/1067)
回答No.6

>すべてが駆け引き、大人の事情、裏での台本どおりだと思います。 そのシナリオ通りの発言を静観して聞いていると、いい加減腹が立ってきます。 仮に彼らが政権とっても結局は同じ事を言われると思いますけど。 そのようにお感じなら、組閣しようが、施政方針演説で何を 言おうが、野党が何をいおうが、全部無視したほうが すっきりしますよ。わたしはそうしています。むかしから。 もちろん、根拠説明なしのけなしは、見苦しいです。今や与党も やってますが。

5380103
質問者

お礼

その通りなんですが、ついついニュースを見ながら「また文句ばっかり言っているのか」とブツブツ言ってしまってします。流せば別になんてことはないんですけどね・・・

  • edoduki
  • ベストアンサー率15% (68/445)
回答No.5

ああならざるを得ないのです。 日本は民主主義の政権交代という機能が、全く機能していないからああなるのです。通常政権交代が起きていれば与野党共にそれなりの情報を互いにバランスよく持つものですが、日本はずっと与党が自民党にほぼ固定されて来たため、政官がガッツリ癒着状態になっており、野党が限られた資料しか得てない状態での議論が大半です。だから野党はそういう穴を推測、憶測で埋めるハメになります。 政権交代がそれなりに繰り返されて、はじめてバランスを得るのです。それが何度か起こる事で、ようやくバランスするのです。問題の根本は自民党が理念で纏まっている党ではなく、政権権力に群がっている議員の集まる何が何でも権力党である事が問題なのです。 今政界再編が起きたらきっと事実上の民主党解体になるでしょうから、民主党が政権を取った後に民主党が大した政権運営をできなかったら、政界再編なんてかたちが望ましいですね。

5380103
質問者

お礼

なるほど、機能自体の問題ですか。 確かに野党はそういう穴を推測、憶測で埋める事によってアピール する事が近道なのかもしれないですね。

  • 63ma
  • ベストアンサー率20% (265/1321)
回答No.4

 お互いに対立し合っている政党なら、相手の政党を褒めることは、自己の主義が間違っている事を証明する事と同じですから、自己主張の為にも批判が必要だと思います。  これは我々の日常生活でも良くある事ではないでしょうか。  例えば、自分の考えは自信を持って正しいと思っている時、それとは全く逆な事を言う人がいれば、お互いに自己主張をし合って、批判するかと思います。

5380103
質問者

お礼

おっしゃる事よくわかります。批判自体は必要だと思うのですが、自分の党の立場を優先する事が前面に出すぎてしまい、見苦しく見えてしまうのは私だけでしょうか。

  • tappara
  • ベストアンサー率37% (260/694)
回答No.3

確かに批判している野党が与党になったら自分が批判したことを全て解消できるのかって言ったらできないと思います。 でも、批判にさらされていくこと自体は必要なことだと思いますよ。 それこそ批判がなければ改善がないわけですから。 だから野党が与党になって批判され、与党が野党になって批判するってのはそれはそれで機能している気もします。 怖いのは批判もないまま与党と野党が裏で手を組んで国民に不利益な施策を推し進めていくことでしょう。 それと野党の批判を聞いて初めて与党の言ってることがおかしいと気がつく国民は多いはずです。 例えば年金問題ですが、どれほどの国民が国民年金法や厚生年金法の中身を知っているでしょうか? 批判がなければ誰も気がつかない問題はたくさんあると思いませんか。批判があって初めて制度の矛盾に気がつかされる。それだけでも意味があると思います。 ワイドショウ的などうでもいいものも結構ありますけどね。(笑)

5380103
質問者

お礼

批判事態が悪いとは思わないんです。 でも肯定する発言をあえてしない(放送でカットされる?) 事に違和感を感じるんですよね。

  • komimasaH
  • ベストアンサー率16% (179/1067)
回答No.2

与党批判の裏側には、政界の人しか分からない事情が あるのかも知れませんね。テレビじゃいえないような。 http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

5380103
質問者

お礼

すべてが駆け引き、大人の事情、裏での台本どおりだと思います。 そのシナリオ通りの発言を静観して聞いていると、いい加減腹が立ってきます。仮に彼らが政権とっても結局は同じ事をを言われると思いますけど。

  • kunnti99
  • ベストアンサー率8% (2/25)
回答No.1

あの出来れば具体的にどのようなコメントに対して、そう思うのですか? 指摘してくれないと、それこそただの批判です。 また当然コメントを全部聞いておられるわけですよね、メディアの編集カット無しのね。 それから確認させてください。 どのような国政であってほしい、とご自身の考えのある「無党派」層の方ですか? それとも、国政の仕組みを全然知らない「無関心」層の方ですか?

5380103
質問者

お礼

 当然野党首はカットされて放送される事は織り込み済みで発言しているはずです。今のマスコミ相手だと安易な発言が命取りになりますから。それを承知で批判ばかりしているわけです。(サプライズがない、寄せ集め、昔の自民に戻った、演説へのコメントでは内容が全くなし、○○さんの時と同じ主張しかしていない など) むしろ経済界などの団体のコメント方が客観的に思えます。  自民党も野党になったら同様に批判発言をするのでしょうがあんなコメントならかえって不快感を感じます。

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