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キリスト教の教え。現実は矛盾している?

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.10

無宗教のものですが、、、、 絵を眺めるとき、絵のまん前に立って見るより、ある程度距離を取って絵を眺めたほうが、その絵に何が描かれているかわかるってことありますよね。 戒律。 仏教において「戒」とは<自分を律する内面的な道徳規範>で、「律」は<自分が所属する集団における規範>のことだそうです。 戒を破っても罰は受けないが、律を破ると罪の内容によって罰を受ける だそうです。 日本。 戒は道徳的なもので、子供を大人は大事に育てるものだと道徳的なものがありますが、子供が泣いているのに無視して通り過ぎたとしても、警察にしょっぴかれることは無い。 だが、「隣の家からするどい子供の悲鳴が聞えている場合は、警察に通報すること」という条例が施行されている地域において、虐待が行われていると知りながら通報しなかったとされた場合、ネグレクトしたとして、罪に問われますよね。 「他人に家の教育の問題に口出ししない」は通用しない。 集団内における規定を破ったため罰せられるわけです。 つまり律を破ったから罰せられる。 集団内に定められた法律を破ったから、規定にそって罰を与える。 ある集団における裁きのルール。 裁きの前でこう証言しなければならない。 「我、他者に偽りを行わず  我、隣人を貪らず  我、殺さず」 オシリスの裁きの場に引き出されたとき、そう自分で証言しなければならない。(死者の書より) まだまだありますが、内容は旧約聖書の10戒とほとんど一緒。 いや 項目においては10以上ある。 最後の審判において、それだけチェックポイントがあるわけです。 全部集団における規律の「律」ではなく、「戒」ですよね。 旧約聖書に書かれているモーセの十戒。 1から4までは神との関係における戒で、5から10が人と人とにおける戒、いわゆる日本でいうなら法律。 5から10までの規定はこれを破ったものは人によって裁かれ、1から4までは人は裁けないが神が裁く と。 モーセ5書がトーラと呼ばれるもの。 成立していくうち、それを破るものに対して罰則も設けられるようになった。 <姦淫してはならない> 例えば夫が死んだ妻が、親族以外の者と親しく喋ったら、それだけで姦淫したとされた。 イエス物語で姦淫したとされた女性が石打の刑に処されそうになったエピソードが載っている。 ここで私はフト疑問に思ったわけです。 イエスは神を冒涜したとされたのに、物語の中では石打の刑にあっていない。 でも、姦淫したとされた女性は石打の刑にまさに処されようとしていた。 集団内の規定であるトーラに違反した者が石打の刑になるのだろうか? その境界線がよくわからない。 ヘロデ王は姦淫したとされた。 が、「それは姦淫だ」 と指摘したヨハネの方が首を落とされ殺された。 物語にはかなり混乱が見られるようなんですね。 さて、キリスト教団内における法律。 その宗派によって「律」が違う。 「少しでも性欲を覚えたものは、体に何回鞭を打ちなさい」とか、ルールが集団によって違うんです。 信者の模範となるイエス、大酒飲みであったことが描かれてるので、酒を飲んでもいいという宗派もある。 ユダヤ教に新しい派閥を作り、集会をしているところに、家族が説得に行くと「なんの関係があろうか」と突っぱねて耳を傾けようとしなかったことから、信者は家族と関係を断ち切り出家すべきだ という派閥もある。 清貧を説きながら、全財産を寄付しなかった信者は神によって殺されたぞ と脅し、出し惜しみする信者から金を巻き上げ、金ぴかの御殿を作って信者にはその施設を使わせない派閥もある。 >フランスでは9割が信者と聞いたことがあります。 >しかし、実際に教えを守り、礼拝に行くのは7割程度と聞きます。 もっと少ないようですよ。 http://okwave.jp/qa1182850.html 歴史的なものがあるのかもしれません。 フランス革命がありましたが、あれは何故起こったのか。 王権とキリスト教の腐敗が原因だと思えます。 妥当独裁権力者 と王権以外に自分達の利益しかかえりみなかったキリスト教団に対しても攻撃をしかけた。 腐敗した者に対する信者の攻撃だったわけです。 その腐敗しきった権力を倒すこと影で指揮していた集団がいた。 アメリカは腐敗しきったキリスト教から自由になるために作られた国。 フランス革命を影で指揮していた集団が、アメリカの自分達の集団に贈ったものが自由の女神像。 だからフランスにもアメリカにもある。 日本にも何故か贈られてきましたが・・・・。 というわけで、水は滞留していると腐る。 腐った水に魚は住めない。 律を設けたところでその張本人が腐ってしまっていてはどうしようもない。 信者は聞きはしないわけです。 言っている本人すらできないのに信者にやれとはいかに。 言っている本人が腐っているのに、信者に清い生活をせよとはいかに。 フランスはキリスト教が侵略する以前地元を守る神がいたんですね。 土着の神をキリスト教は習合した。 その内容を取り込んで、キリスト教とした。 これに成功したことで改宗させるこをとができた。 つまり征服され乗っ取られてしまったわけです。 しかし、もともと地母神崇拝が根強いので、イエスよりマリアの方が信仰された。 イエスではなくマリア信仰をキリスト教は認めたため、布教に成功しただけの話。 マリア信仰の正体は、キリスト教がやってくる前に信仰されていた地母神。 というわけで、教会にはマリアである自分達を守る神を崇拝しに行っていたのだと思います。 従ってキリスト教の掟に支配されなくなったため、あるいは習合される前の信仰を取り戻したため、教会に行く必要が無くなったのではないかと思います。 >世界中のキリスト教徒の方はタバコを吸ったり、セックスをしたり、コンドームを使ったりという方もいるとは思うのですが・・・実際はどうなのでしょうか? キリスト教は大変な女性蔑視教でもあります。 「女は無原罪だったアダムをそそのかした悪魔である」 「女は便所である」 はキリスト教聖職者の言葉。 病的なまでになり、聖職者に結婚をしないように規定を設けることとなった。 それを拒否した聖職者は公開鞭打ちや処刑。 それでも言うことを聞かなかったので、結婚していた聖職者の結婚そのものを無効であると法律で決めたんです。 そして女は悪魔であるとして、悪魔だと自白させようとして拷問して殺していった。 (男も魔女だとして殺された) 特に外国人 つまり キリスト教徒ではない金持ちがターゲットにされた。 何故なら、その財産を奪い分配できたから。 これも規定でそうなっていた。 もう 病気です。 神の祝福とは子沢山のことですが、それを聖職者に許さなかったのですから。 つまり神が祝福しようとしても、キリスト教は法律を作ってそれを妨害したわけです。 そして聖職者は結婚できなようにしたが、その宗教者の衣食住を支える羊達は多い方が、財産を多くもらえるので、在家信者にはじゃんじゃん子供を生んで信者を作り、もっと金を取れるので、コンドームの使用も禁止し、金の成る木をもっと増やしてほしかったわけです。 ユダヤ教では神の力で多勢に無勢な戦争に勝ったとしていますが、キリスト教では神を信頼していないので、とにかく兵力を増強するためには、兵士をじゃんじゃん在家信者に生んでもらって、多勢で勝たねばってわけですね。 >外国の軍人の方たち・・・銃器を扱い、人を殺める可能性が イエスも使徒に「剣を持て」と指示しています。 10戒に「殺すな」とありますが矛盾していないか? いえ。  この殺すなというものは「私の民同士が殺し合いなどするでしょうか するわけがありませんよね」というニュアンス。(古代ヘブライ語には、命令+否定形はない) イスラエル人(ヤコブの子孫)同士で殺し合いはしない という言葉なわけです。 だからイエスはイスラエル人ではないローマ人に対しては剣を取り殺してもかわまわいとしたわけです。 聖書だってイスラエル人ではない人たちを殺していたことが描かれています。 イスラエルの土地を奪いにやってきた時、イスラエル人は撃退しています。 だが、私が知らないだけかもしれませんが、侵略殺人はやっていないと思えます。 ブッシュは自分をとても聖書に忠実な人物であると言っています。 ブッシュやアメリカ軍が全員イスラエル人であれば、イスラエル人ではないアラブの国の人を殺しても、10戒に違反していないわけです。 奥さんの方はユダヤ人系列かもしれないが、ブッシュもそうなのでしょうか。。。。 では、アメリカ兵士は? 「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」 これ、クムランの宗規(クムラン教団に置けるその集団内にのみ適用されるルール)に書かれている言葉です。 どういう意味か。 暴行を受けようと、拷問をされようと、信仰心を捨てないという意味じゃないかと。 十戒の1から4まで。 神が定めたルールと人が人に押し付けたルール 二つが混在している。 確かに人が決めたルール(法律)により私達はジャッジされ、投獄されたりします。 信仰においては、社会的ルール以外の掟が存在する。 神のルール。 これは人では定めらない。 人が人を支配し、肥え太るために設けたルールは、神のルールより下。 神ではなく、人の支配者が定めたルールに縛られて、神から遠ざけられた場合、人は目が潰される。 イエスは盲目の人の目を癒したと物語ではなっている。 ヘブライ語の「目がいい」「目が悪い」という意味は、「気前がいい」「ケチ」という意味。 日本語だってありますよね。 「旦那 目が肥えとりまんな」「旦那目利きだね」「1万でどうだだって? あんさんめくらどすか?」 など。 クムラン教団において在家の信者は10分の1税を教団に納めることになっていた。 在家ではなく共同生活を始めた人は、もっていた財産を預けた。 ただし、まだ穢れているので、2年の期間が設けられ、その間その預けられた財産を教団は共同体のために活用しなかった。 イエスがサタンと問答したように試験があり、それをパスしなければ、清められたと認定されず、その持ち主だったものが預けた財産は共同金庫に入れれることは無かった。 信者は全部没収され自由に使えなかったかといえば、ある程度自分の財産を共同生活において所有していた。 そして経過をおって昇格していったわけですが、教団内のみ適用される規定に違反した場合、その程度によって処罰された。 人との交わりを禁じたりなど、期間が設けられ、一番重い刑は死刑。 つまり、破門。 死者の衣装を着せられ、穴に入れられ、死者として扱われた3日後、共同体から永久追放。 その者とは永久に交流することを禁じられ、物のやりとりも禁じられた。 イエスのモデルになった人も、破門され新しい集団を作った可能性もあります。 だからクムラン宗団の規定にキリスト教が似ていることになった と。 (違う部分もあることから、クムラン教団の幹部が後にキリスト教となる集団を作ったのではないと思います。) ということで、、、、人が決めるルールに右往左往して惑わされても、それは信仰じゃなく、日本の法律を守るかどうかという問題と同じようなもので、集団内に適用されるルールで、私達の物質的 あるいは行動は制限されますが、信仰は、、、、、それとは違うと思います。 集団内のルールを守っていたら、その集団内において「良い人」と認定されるでしょうけど、、、、 信仰って人が定めた法律を守ることが信仰だとしたら、その集団内で定めた有限が神だったってことになります。 その集団のトップや幹部や人が決めたルールが神? まさかですよね。 あなたは人が決めたルールを神が決めたルールだと思わされて、支配されているだけだと思うんですね。 人が人を支配する。 一番やってはならないことだと思うんですね。 もちろん共同体のルールは必須です。 だけど、それは人の生活を守るため、安らぎを与えるために動くものであって、人を閉じ込めるために設けられたものではあってはならないと思うんです。 ましてや マイルールを全ての人に守らせるためには拷問、殺しすらやる って狂っている。 それは絶対悪。 そしてその絶対悪が住み着いた体が他者を鎖でつなぎ不自由にする。 サタンの僕にされてしまっては、信仰って何? って思いません?

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