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愛するって?

私は美術学校に通っています。デッサンの授業で私が行き詰まっていると、講師の先生が「成長のカギは人を愛することにある」と言いました。 「なんだこの人、宗教にでも入ってるのかな?」 とその時は思ったのですが、今考えると「愛する」って私自身あまり理解してないんですよね。 相手の求める事をしてあげたり、欲しがる物を与えることが愛だって単純に思ってたなって。 「人を愛するとは何か。」この答え持っている人いませんか?

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  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1807/5783)
回答No.5

それは、他人と関わって自分で答えを見つけないと実感できない事だと思います。 人から教えてもらってわかることと、わからないことがありませんか? 愛するということは、後者だと思います。 色んな人の意見を聞いてなるほど~と思う事はあるかもしれませんが、それを自分の中で消化して自分のものにできるか?という事とはまた別問題です。 勿論、色んな人の意見を聞くことは大切ですが。 あと、芸術の分野は特にそうだと思いますが、技術は教える事が出来ても感覚ってその人の持っているものだから教えたり教えられたりするものではないですよね。 先生はおそらく、感受性を豊かにしなさいとかそういった意味合いでご自分の感覚でおっしゃったんじゃないかな、と思いました。

noname#35933
質問者

お礼

>他人と関わって自分で答えを見つけないと実感できない事 この質問を打っている時「もしかしたら簡単にしれてしまうのでは?」 と思う反面「愛なんて人それぞれ、真実なんてないじゃないか」と思う自分も居ました。 人生の中でそれを体感しなければ、デッサンが上達しないどころか、人間としても良くないように思えて来ます。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#70726
noname#70726
回答No.8

こんにちは。 「人を愛するとは何か」。深い質問ですねぇ。。。答えといえるかどうかは分りませんが、私見を少し書かせていただきます。 私の中では、「見返りを求めず、存在そのものを全面的に受け入れること」かな、と思います。もちろん、人間ですからいいところも悪いところもあるのですが、そういった人間の多面性から目をそむけずに、あるがままを受け入れることが愛なのかなぁ、と。(あまりに人として外れたことをしたときには、厳しくすることも必要なんですけど。) また、人を愛すると、人間の醜い心にも目を向けないといけないことが出てきますよね。代表的なところで嫉妬だとか猜疑心だとか。逆に、醜い心から目をそらさずにいることによって、その対極にある純粋な美しい心をも見ることもできるのではないかと思います。私は芸術に関しては素人ですが、偉大な芸術家って、そういった愛ゆえに内面から沸き起こってきたものを、絵画なり音楽なり小説なりに表現することができたから、多くの人に受け入れられてきたのではないかなぁ、と思います。 なぜデッサンの授業で愛の話になるのかまでは、よくわかりませんが。。。その先生の持論なのかもしれないですね。 ご参考になれば幸いです。

noname#35933
質問者

お礼

>見返りを求めず、存在そのものを全面的に受け入れること 心に響きました。なるほどなって。 私は無意識のうちに人間の綺麗な部分しか見ていませんでした。 それは絵にも反映されていて、極端に言うと漫画チックになっていました。 そんなひとりよがりの私に他者を愛する意味を説いてくれたのかなと思いました。

noname#46685
noname#46685
回答No.7

私が中学生の頃、質問者さんのように ? と思った経験があります。 美術の先生が、南米の子供たちに勉強を教えに行くから中学を辞めると聞いたとき、 「なんだこの人、安定した生活を捨ててまで南米に渡って変人?」と思ったんですよ。 >「なんだこの人宗教にでも入ってるのかな?」 若い頃は、宗教 ときいただけで、こわい、かかわりたくない、迷惑、ネガティブなイメージを持ってるかと思います。 授業や、テレビなどで、イエスまたはキリストと呼ばれた名前を聞いたことがあると思いますが、この人ほど、「愛する」行動をした人は、地球上の今までの人物の中でいない、というくらいでして、彼が、どんな人生を送ったのかを知ると、「人を愛するとは何か。」この答えとぶつかります。理解できるかどうかは、別問題ですけども。 彼は、自分の弟子をつくったのですが、弟子の足を洗ったんです。 師匠や先生が、弟子や生徒の足を、足の指などを洗ってあげる、そこまでしないですよね。逆に弟子や生徒が師匠や先生の足を洗うなら、あなたもよくわかると思います。 彼は、体がくさってひどい匂いがする、さびしくても苦しくても誰も近づいてくれない病気の人に、自分から近づいて話しかけてあげて、素手で体に触ってあげたんです。 マザーテレサ(本名アグネス・ゴンジャ)さん、を知ることも、答えに近づくと思いますよ。

noname#35933
質問者

お礼

以前、宗教活動が学校の前であったときに、学校側から「チラシなどは受け取らないように」って言われてから、「良くないものなんだ」とそれ以来そういったたぐいをシャットアウトしてきたので。 でもあながち宗教が間違ってるとも言えないんだなって心が広くなりました。 なぜ昔の美術家は沢山キリストを書くんだろうと思ってたんですが、今で言う人々の「カリスマ」だったんですね。 マザー・テレサについても今度調べてみたいと思います。 ありがとうございました。

  • Dejan
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.6

例え自分が犠牲になろうとも、その人を守りたい、幸せにしたい・・・そう思える相手が、あなたにはいますか? 親が自分の子供に、そう思える事が「家族愛」でしょう(悲しい事に子供から親への愛はあまり見られなくなりましたが・・・)。異性に対して(同姓でも良いですけど)思うのが、一般的に言われてる恋愛でしょう。でも、やっぱりただの友達だと、なかなか自分を犠牲にしてまでも守りたいとは思わないですよね。 「成長のカギは人を愛することにある」・・・確かに、人を愛する事によって、本当の悲しみや苦しみや喜びを、知る事ができるでしょうね。

noname#35933
質問者

お礼

>本当の悲しみや苦しみや喜びを、知る事ができるでしょうね。 本当の・・と言う所がひっかかりました。 そうなんですよね。大体自分が抱えてる痛みや苦しみなんて人から見たらそうでもないってことの方が大半だし。おおごとに考えますから・・ そういう意味で人と関わり、真実を知ることは必要だと思いました。 ありがとうございます。

  • nagishiho
  • ベストアンサー率25% (175/692)
回答No.4

愛するという事、これは一人ひとり捉え方が違うのではないでしょうか。 私自身、愛とは何か?という疑問をずっと持ち続けていた時期があり、自分の中での答えが見つかったのは 今の主人と出会ってからでした。 私はバツイチなのですが、元夫とは(私が見つけた愛の定義からすると)愛はない結婚生活でした。 もちろん家庭は大事でしたが、そこに愛はあったかと聞かれると自分でもなかったのではないか、と思えるのです。 離婚した後、この人だったら安定した生活が送れるかもと付き合った人が既婚者だったという事実が判明した後、 かなりの人間不信に陥り、愛とは何か、愛なんて存在しないのではないか、と思っていた時期がありました。 が、今の主人と出会い、付き合っていくうちにこの人の為なら、この人が喜ぶ事なら何でもしてあげたいと思えるようになりました。 つまり、私の中での愛というものは、相手の癒しになってあげられることなんだという結論に達したんですね。 質問者さんの言われる >相手の求める事をしてあげたり、欲しがる物を与えることが これは私の中では愛とはちょっと違っていて、もちろん求める事をしてあげるのはいい事なんだけど、 自分も求めたくなってしまう時がきっとくるだろうし、欲しがる物を与え続ける事なんて不可能ですし。 物質的なものではなく、精神的な安定や癒しが愛だと、私は思います。 ただし、これはあくまでも私の中の愛の定義ですので万人には当てはまらないと思います。 なので参考意見とさせていただきました。

noname#35933
質問者

お礼

nagishihoさんに「愛」を説いてくれたのは現在の旦那さんと言うことなのですね、素敵です。 私には夫も居なければ彼氏もしないので、そういったことを空想でしか考えられないのですが、「愛とは癒し」これは数ある愛の一つに数えられると思いました。 良いお話ありがとうございました。

noname#39934
noname#39934
回答No.3

実際のところ、みんなよくは分かっていないんじゃないかと思います。 自分の勝手な欲求を相手に満たさせようとすることを、「愛」と呼ぶ人は多いし。 個人的には、その人が存在していることを喜ぶ・慈しむ、自分よりその人のことを大切に思う…といった感じではないかと思いますが、世の中で言われてるほど簡単なことじゃないと思います。 「愛する」ということは。

noname#35933
質問者

お礼

>実際のところ、みんなよくは分かっていないんじゃないかと思います。 たしかにそれはあると思います。愛に定義があったらみんなこんなに悩んだり落ち込んだりしませんもんね。 愛とは何かを知るには、出会う人によって答えは違うのだなと分かりました。ただ一つ言えることは、家族と居る時間が愛を知る第一段階であり、独り立ちした時に自然と家族の愛に似た形を選びがちだということです。(家族が円満ならば、ですが。) ありがとうございました。

  • dorce0000
  • ベストアンサー率29% (872/2971)
回答No.2

30代の主婦。残念ながら、答えは持っていません。 私は愛には段階があるように思います。赤ちゃんがお母さんにニッコリしたり、お母さんが赤ちゃんに微笑む、そんな単純な中にも愛はあると思いますし。例えば思春期にはじめて異性を好きになったら、相手の気に入るようなことをしてあげたいとか、してあげると上手く行くということにも気づくでしょう。 だけど友人関係もそうですが、一方向の努力だけで完成できるようなことって、何一つないと思います。また、良い時と悪いときではやるべきことも違います。人を愛していると、こんなときどうする?あれでいいと思ったのにこれだけではダメなの?良いことをしたつもりなのに?と、その人なりの道順で、次から次へと万華鏡のように展開が変わってきて、あれこれ取り組むことがたくさんあります。 20代になったからとか、結婚したから全てが分るってもんでもないと思います。言ってしまえば人生全てがそうですが、一つの問題集をやって到達できるものでないからこそ、永遠に勉強させられるという意味で「成長の鍵は人を愛すること」なのじゃ?と私なりに思いました。

noname#35933
質問者

お礼

>永遠に勉強させられるという意味 これこそ究極の答えな気がしました。 もしかしたら愛についてすべてを悟ったとき、天に召されるのかな?とすら思います。 まだまだ勉強不足ですね、ありがとうございました。

noname#57948
noname#57948
回答No.1

その人の成長を邪魔しない事です。信頼して見守ってあげてればいいのです。

noname#35933
質問者

お礼

回答ありがとうございます >人の成長を邪魔しない事 単純ですが、愛を感じます。 日常の中で関わる人すべてに言えることのような気がしました。 シンプルですが、相手を理解していないと難しいことですね。

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