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迷いがないとは?
物事を見抜く眼がある人間に共通するのは迷いがない事。建物でも文でも美術品でも創作物なんかには特にはっきり出ます。じゃぁ迷いがないって具体的にどういうこと?勘がいい?違いは?成り立ちは?・・・? どうでしょう?
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自ら迷うことを許すこと、です。その場合、迷うことをも「普通のこと、良いこと」と解釈します。 よって「迷うこと」が「良いこと」なので迷いが無い、のでは。 たとえば私が「本」を買いに巨大な本屋へ行ったとします。 そこには幾らでも本があります。しかし私が欲しい本は1冊しかないとします。 一直線にその本を手にしても「迷いが無い」と言えます。 本屋を探検してたくさんの本と出会うのも「迷いが無い」と言えます。 「迷うこと」を自分で許しているからです。 これは積極的な迷いかもしれません。 「迷う」というのはそもそもマイナスイメージです。 しかし「迷い」を上手に使えば、普段では見つからない宝物がいくらでも見つかります。 むしろ積極的に道に迷った方が様々な道草を食べられてお得です。 マイナスイメージの迷いの無い人。 プラスイメージの迷いしかない人。 迷うことをプラスに捉えて上手に利用できる人。 私は……その人こそ「迷いが無い人」と名付けましょう。
- baihu
- ベストアンサー率31% (114/357)
迷いがないのは、「たとえ間違ってもこの判断でいい」と覚悟し、判断することではないでしょうか。迷って判断を保留にしたり誰かに任せたりしていると、“眼”つまり判断力はいつまでたっても養われません。 結果的に、判断を積み重ねた人に眼力がつくということだと思います。 判断を間違うことは経験になりますが、判断しないことは経験を逃していることになります。 判断しないという判断は、立派な判断ですが。
- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
自らに問え. としか言いようがない.
どういう迷いの話でしょうか。 建物でも文でも美術品でも創造物なんかは特に>とありますが、これは芸術においての物を見抜く目、迷いの有無の話になりますのでまた別かと。 何かのインタビューで村上龍が「小説家って大変なんじゃないですか」と聞かれ、「自分は大変だと思ったことなどない。それは小説を書く私が小説家だからであって、他の人には苦痛だろう」みたいなことを言っていたのですが 小説を書くなら見抜かれた目や迷い無い知覚が必要でしょうけど、この人は素の知覚が小説家なので、物を書く時に、物事を見抜いて書こうとか、迷いなく書こうとかは考えないでしょうね。そもそも創造する人に対し、あるいはその分野で、見抜く目とか迷いとかの提起自体無駄かと思います?創造する人は知覚に従ってるだけだと思うので。適度に自分の能力に恍惚とし、万能感がある状態(迷い無い状態)は創造行為に不可欠ですし。それも一種の才能ですね。 芸術の分野でなく、迷い無いということであれば、経験や向上心で知覚が磨かれていくのではないでしょうか。余分なものをそぎ落とし、見るべきものを見るべき視点で見ること。
- avrahamdar
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世界が自分だけで完結してしまいそれ以外のことを理解する知能が無いからです。だから迷えないのでしょう。 で?迷いが無い作品を作ることと、物事を見抜く目があることの間にどのような関係が? 迷いない文をかくから、物事を見抜いてると思っているならそれはあなたの錯覚です。断言するから事実のように感じられるだけで、実際事実であるかどうかは関係ないです。 そういう意味では口先で適当なことを言って、それがたまたまあっていただけですので運でしょう。
- shift-2007
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・迷いがないとは自分がしたいことが自分でよく分かっている事。 ・それを表現する為の手段については重要ではないので、ある意味手段を選ばない ・自分の満足感のみを価値とするので他人の評価をあまり気にしない。 要約すると最初から最後まで自分が主である人でしょうか。
- nabayosh
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あえて#1の意見と正反対の言い方をしてみようと思います。 迷いがない、ということは、その人に確固とした価値観が確立されていないから出来ることなんでしょうね。 確固とした価値観というのは、特定の枠内に制約するものであり、これは自由なイマジネーションの妨げになります。 世界は枠の内部だけで出来ているわけではなく、外部にも世界は広がっています。 とすれば、物事を見抜く眼のためには、枠の外部も内部同様に見つめる融通無碍な度量が必要になります。 迷いがないというのはむしろ価値観にとらわれないこと、自由であることだと考えます。 そう、例えば一流とか二流とかいった通俗的な評価などからも。 勘がいい、との違いは、運や偶然の要素に左右されがちな「勘がいい」に対して、運や偶然すら気にしない態度こそが「迷いがない」のだと思います。 成立背景は不勉強ゆえ知りません。
- qwert21
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迷いがない、ということは、その人に確固とした価値観が確立されているから出来ることなんでしょうね。 >建物でも文でも美術品でも創作物なんかには特にはっきり出ます。 これは、単に好き嫌いもあるでしょうが、見る目を養うことが大切です。 どうやったらそれが出来るのか? おっしゃっている芸術の分野に関しては、まず一流のものから見ることです。芸術は、三流から見ては絶対にいけません。 一流から入るのです。 絵でも、音楽でも、建造物でも、世間で一流と言われているものに、触れて触れて触れまくります。そうしていると、自然にわかってきます。 とくに三流のものが、つまらなく感じて見ていられません。 これが、「見目を養う」ということです。 本当ですよ。やってみて下さい。