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核兵器
世界には核保有国がたくさんありますが、建前上は廃止していく努力をし、保有国に対し呼びかけをしているようです。ただ、今のままでなくなることはありえるのでしょうか。ありえないと思うのですが。(1) 個人的な素人の意見を言わせてもらうと、日本で銃を個人で持つことが出来ないよう、核も各国単位で保有するのは間違いだと思います。 国連で核を保有することはできないのでしょうか。(2) また、国連で保有することにより、保有国に核を廃棄させることはできないのでしょうか。(3) 出来ないのだとすれば、現段階で日本も核を保有することが理想だと思います。国民感情があるので世論の強い反発で無理でしょうが。ただ、歴史を見ても国民の感情というのは信じられないくらい変わりやすいと思いますが、近い将来、日本が軍隊、核を持つことがありえるのではないかと思いますが、ありえないのでしょうか。(4) 現在の日本は銃を持たない個人が経済的な力を使い、銃を持つ犯罪組織に立ち向かっている。もしくは、銃を持つ警察に銃を持つ犯罪組織から守ってもらっている(無償ではなく)存在だと考えると、軍隊や核を持たないという理想の実現のために計り知れない経済的な犠牲があるように思えてなりません。また、反対する国民の多くは、持たないことによる具体的な損失が把握できず、ただ(無償)で持たないことが実現できているという感覚です。本当はデメリットを把握できない反対意見を有効にするわけには行かないと思うのですが。 最後の質問ですが、軍隊、核を持たないことによる現状の経済的損失と、持つことによる維持費はどちらが高くつくのでしょう。(戦争はしないことを条件として)(5)
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質問者さんが持った疑問は政治を真面目に考えた時、まず初めにたどり着く疑問です。 その事に気が付いたあなたは、政治の世界に最初の第一歩を踏み出しています。 あなたが抱いた疑問の答えは、それだけシンプルだけど最も重要な考えです。 だから、単純化して質問者さんに誤解して欲しくないので少々長くなります。 また説明の順番も最も基本的で本質的な、(5)からさせてもらいます。 (5) 軍隊が全く無い世界と軍隊がある世界どちらが望ましいかといえば、軍隊の全く無い世界です。 しかし、日本人が大好きな0か100かという発想では、この問題を語ることは出来ません。 現実には、軍隊を全て無くそうとしても、無くす事は不可能です。 このような現実を無視して、無理やり世界から軍隊を無くそうとすると軍隊がない国と軍隊がある国が生まれてしまいます。 これは最も危険な状況です。 軍隊を無くそうという国は比較的平和的な国が多いでしょう。 対して、軍隊をなくしたくないという国は好戦的な国が多いでしょう。 軍隊とは侵略の為の武器であると同時に、防衛のための武器でもあります。例え他国を侵略したいと思った国があっても、各国が軍隊で自衛をしてれば、仕返しされる事が分かっていますから、勝てるかどうか分かりませんし、勝てたとしても多大な被害が出るかもしれないので、手を出したくても出せないわけです。 これによって平和が生まれます。 対して、自衛の為の軍隊が無い国が存在したらどうでしょうか?戦争を仕掛ければ、100%勝てます。このような状況で野望を持つ国がその本性を表に出したら大変な事になります。 例え、99%の国々が軍隊を放棄したとしても残りの1%の国が軍隊を放棄せず、侵略を始めたら軍隊を放棄した国々は全て侵略されてしまいます。 ですから、軍隊がある国とない国に分かれるくらいならば、各国がそれぞれある程度軍隊を持っている状態の方が『マシ』なわけです。 この『力の均衡』という考えは、防衛問題を語る上で最も重要なポイントです。 これを引き出した質問者さんの素直な疑問は真面目に政治を考え始めた何よりの証だと思います。この考え方は核議論でも有効です。(勿論それだけじゃないですが) (1) 現時点では無理ですね。しかし、無くすのは無理でも減らす事なら可能だと思います。そして今よりも核兵器が少ない世界ならば、核兵器をもっと減らす無くす事が出来るかも知れません。それを繰り返していけばやがては核兵器を根絶する事が出来るかもしれません。途方も無い試みではありますが。長い時間をかけて少しづつやっていくしかないと思います。 もう一つ忘れてはならない事は、世界の国々が何よりも力を入れているのはこれ以上核保有国が増やさない事です。ソ連が核兵器を開発した頃、50年後には核保有国は30国程度に増えると思われていました。 しかし、現在核を保有している国はたった9国(9国目はイスラエル)しか存在しません。これは国際社会が一致して核を開発することを規制してきたからです。これは評価しても良い事だと思います。 何故ならいつ爆発するか分からない地雷の数は少ない方が良いからです。 (2)(3) 仁義や筋論から言えば正しいです。あんな物無い方が絶対に良いです。 しかしそんなこといっても、一度持っちゃった物を放棄させる事は不可能です。地球全体から見たら核兵器など無駄の塊ですが、核保有国から見れば、こんな強烈な戦略兵器※など他にありませんから、折角開発した核を国連などに預けるはずがありません。 大人しく核を預けるくらいなら、最初から高い開発費を払って開発などしないでしょう。 (4) 日本が核を持つメリットは殆どありません。 何故なら米国の核の傘の下にいますので、守る面で考えれば実質的に核を持っているのと同じようなものなのです。そこから自前の核を持っても余り意味が無いわけです。 ただし同じようなものと同じことには開きがあります。その開きを少しでも埋める為に日本に配備してもらう必要はあるかもしれません。これならばより日本が核を持っている状態に近くなります。 以上のような理由でメリットが少ないわけですが、デメリットは凄まじい物があります。 まず日米同盟が揺らぎます。アメリカはこれ以上核保有国が増える事に一貫して反対をしています。そんな中、日本が核開発をすると言い出したとき両国の信頼関係は大きく揺らぐ事は間違いないです。 次に日本に核燃料が入ってこなくなります。日本の大量の原子炉はウランから作っているわけですが、これは輸入品です。これを輸入するにはNPTという『核兵器を作らない』という条約に署名をする必要があるわけですが、核を作るにはNPTから脱退する必要があり、そうすると原子炉は半年ぐらいで動かす事が出来なくなります。 次に、イメージの問題です。平和国家として売ってきた日本が核を開発したとすればイメージの低下は凄まじい物があるでしょうし、恐らくアジアから本当に孤立してしまうと思います。 もう一つそれに関連して、『日本が持つなら俺も』という国が連動して核保有国が次々に生まれる可能性があります。これによって世界には新たな地雷国家が誕生してしまうわけです。勿論そんな状態を作り出した日本への反感は更に大きくなるでしょう。 このようなデメリットを背負ってまで核を開発する理由はありません。 詳しくはここを参考にしてください。 http://www.nnn.co.jp/rondan/nagata/061022.html 最後に(4)と(5)の間の一文を >現在の日本は銃を持たない個人が経済的な力を使い、銃を持つ犯罪組織に立ち向かっている。略 素晴らしいです、本当に良いところに目をつけると思います。それだけあなたが、真面目に一生懸命考えている、何よりの証拠だと思います。 個人と国家はとても似ています。ですから対比する事には意味があります、そして対比し両者の違いを明らかにする事によって何故国家に軍隊が必要か分かります。 個人と国家の違いについて、分かりやすい例が一つあります。 それは集団的自衛権です。 個人で例えれば、集団的自衛権とは友達が殴ったやつに殴り返す権利です。個人がそんな事したら、警察に捕まってしまいますよね?(恩赦は受けられるかもしれないけど、犯罪である事は確か) しかし、国家には同盟国の分まで仕返しをする権利が認められています、あの国連憲章にすらきちっと書かれている重大な権利です。 まずは、個人の場合を考えましょう。我々は国家(警察司法)に守ってもらっていますね。国民の生命と財産を守るという、国家の最大の仕事を忠実にこなしているわけです。 さてもう少し国家と個人の関係を深く考えて見ましょう。 国家とは『個人の為に、個人の上に立つ』存在です。国家が決めた事は個人は従う義務がありますし、国家には従わせる権利があります。 つまりは治安を守る為に、国民は法律を守る義務があり、国家には法律を破った人を捕まえ裁く権利があります。それによって国民の生命と財産が守られているわけです。 次に、国家の場合を考えてみると、国家の上に上位の組織が存在しません。国連とは単なる利害調整の場で、そんな機能は端から所持をしていません。したがって、国家は自分自身の力で自国を守らなければいけないのです。 自衛する時に有効な手段は、同盟国の敵は自分の敵だとお互いに国同士が同盟を組むことです。そうすれば敵国も1国ならともかく同盟国全体とは恐ろしくて戦争など出来ないでしょう。 だから、集団的自衛権は認められているのです。 国家の上に立つ国家が作る地球政府はどうやっても現時点では作れません。 何故なら国は個人と違って自分の見はある程度自分で守れますし、そんな息苦しい組織を作る必要が無いわけです。また日本国政府があるのは、日本が一つの経済圏としてある程度の共同体が出来ていましたが、今の地球全体で共同体といえるほど活発な交流をしている地域などEUくらいのものです。その他数限りないほど出来ない理由が存在し、現時点では出来る出来ない以前の問題でどういうモノを作れば良いのかすら分かっていません。 (1)で上げたようなことをやり遂げるには、核の事を知り尽くし、それを国民に周知徹底させる必要があります。 その為には議論をする必要が絶対にあります。その時に生まれる論争と結論が公共財となり、これからの日本の戦略の道標になるのです。 同じような問題が発生した時『これはこういう議論がなされてこういう結論がでた』と分かれば、一々問題ごとに対応を考える必要が無いわけです。 ちょっと前の『核を議論する事すら問題だ』という意見が馬鹿らしいことか分かると思います。 ※ 核兵器の意味 核兵器というのは実際に使うことを目的として作られるわけではありません。 核兵器が実戦で使用されたのは広島長崎の2つだけです。 核兵器とは戦争で使用して人を殺す為に作られているのではなく。相手に見えざるプレッシャーを与える為に作られるです。相手の都市を一瞬で消滅させる事が出来る兵器を持っているというだけで、相手は喉下にナイフを突きつけているのと同じです。そんな状況で交渉をすれば有利に物事を進められるのも当たり前ですよね? あれはそういう兵器です。
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- gootttt
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もうちょっと追加でご意見 No5さんの意見は私と殆ど同じですが、一つだけ事実誤認をしているところがあると思います。 非核三原則とは憲法でも法律でも何でもありません。ただ国の方針を閣議決定で決めて、それを衆議院も議決して了承しただけのものです。 ですから憲法改正どころか法律すら変える必要はありません。ただ、閣議で『変える』と議決し、その決定を衆議院が了承すれば良いだけです。 憲法上は自衛の為に最低限度の核を持つならばありだというのが一般的な法律論です。 私は非核三原則を変える必要はないと思っています。 しかし、事実は事実としてキチンと認識をしておく必要があります。 もう一つ、ちょっと話がずれますが非核三原則でトリビアな話を… 3つ目の『持ち込ませず』というのは元々は『配備をさせず』という意図があったようです。しかし、非核三原則は法律化されていない、ただのキャッチコピーのようなもので形が曖昧です。何が『持ち込ませず』なのか定めなかったので、本来は意図していなかったアメリカの船にある核兵器にまで対象が拡大してしまったわけです。しかし、国際常識的に同盟国の船に態々がさ入れするなどありえない事なので、実際は黙認するしかないわけです。 意図せず拡大してしまった非核三原則が、結果として非核三原則を汚してしまったわけです。 これが曖昧さの怖さです。曖昧さゆえに対象が拡大したり、逆に曖昧さゆえに骨抜きにされてしまったりするわけです。時には曖昧さも必要な事がありますが、曖昧さにはこういう問題点もあるわけです。 戦前に軍部が天皇や政治家の意向を押さえ、暴走を始めたのも天皇と議会と軍隊の関係が曖昧だったからです。 そもそも明治憲法は絶対天皇制に近かったわけですが、絶対的権利=絶対的責任が付きまとうので、実際は天皇に責任が及ばないように政治家が天皇に助言をして、天皇はそれを了承するという形を取り、失敗をした時悪いのは天皇ではなく助言をしたものだという形にしていたわけです。 このルールと現実の隙間、曖昧さを軍につけ込まれたため軍の独走を許したという面があります(勿論国民がアホだったとかそういう問題もあります)。 憲法でもなんでもない非核三原則を憲法だと勘違いしていることも曖昧さだといえます。我々は事実を正確に認識しておく必要があります。 そうでないと、憲法だと思って安心もしくは油断していたら、サクッと閣議決定で非核三原則を変えられてしまった、という事になりかねません。 政治にはこういうこともあると覚えておくと、もっと政治が楽しくなります。政治はリアル三国志のようでとても楽しいです。質問者さんも一緒に政治を勉強しましょう。 それが民主主義を守り磨くことに繋がるわけです。
お礼
いろんなご説明ありがとうございます。 政治を見ていると自分自身の交渉の参考にもなるし、頭の体操にもなります。最近はうそや約束の反故はタブーだと思っていましたが相手が相当ハードなときは隣国のやり方を見習い使い分けています。 常に外交は武力を使わない戦争だなあと思ってニュースを見ていると鬼気迫るものがあります。 普段は他の分野で読書の時間を割いていますが、政治や近代の歴史なども勉強していきます。 長文でのご回答ありがとうございました。
- Redflag
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どうも、#5です。 お礼を読ませていただきました。 さっそくですが、再回答を失礼させてもらいます。 「国家独自での保有する核を悪とし~」の件で、「ああ、なるほど」と納得させてもらいました。 では、まずは結論から: 質問者さんは「核兵器を国家が国益のために保有・使用する事は悪である」と仰いましたが、ならば国際的に核が保有され、使用されることは正義なのでしょうか? 自分は違うと思います。 私もkobe1111さんの思うとおり、「個人の価値観のみで正義がない」と思います。なぜなら個人同士の価値観が違いすぎて、彼らの正義に関する基準が違いすぎるからですね。 ならば国家同士、それも文化や言語、習慣も違う国々がともに協議して、何かしらの正義の基準を作り出すことは可能なのでしょうか? いつかは何かしらの同意にたどり着くかもしれませんが、その同意に反対し、多数の意見に敗れた少数派の国々はどうでしょうか?彼らは自動的に「悪」なのでしょうか? これはただ単に考えが違っただけであり、その反対したという行為自体によって彼らが悪人である、ということはなりませんよね。 故に、多数決によって決められた事項は「多数者による意見の押し付け」であり、そのため正義は成り立たないと私は考えます。 しかし多数が決められる善悪も存在し得ます。 それは「死」を強制する事が最も基本的な「悪」で、それを回避させる事が最も基本的な「正義」である場合です。 私の最初の回答でも触れましたが、ホッブスの言う「この世の人間全てが平等に恐れるものは、自分の暴力的な死である」という考えは、実はそんなバラバラの価値観の中でも万人に通用するモノのように思えます。 この原則を反映させたのが、集団的自衛権なのではないかと思います。 例えば、Aさんが何らかの理由のためにBさんを殺すのだと周りの人間が知っていた、もしくはそれを行っている最中を目撃した場合、その殺人行為がBさんの死の強制に関与しているため、Aさんは害を成す「悪」となり、社会の他の人間がその殺人者(となる予定の人間)を止めることが「正義」となります。 ではこれを核兵器の使用に置き換えるとどうでしょう? その使用が多くの兵士の命を直接奪うと知っていても、それが一概に正義だと言えるでしょうか? 国家間による多大なる協議のもと、核の使用が許可されたとします。それでもその使用は必然的に、多くの人間に対して先程の「暴力的な死」をもたらします。ならばその使用が元々は正義であっても、多数の人間を死傷させる、もしくはそうする意図があるのであれば、先程のAさんと同じ「悪」になり、単に多数派の考えを一方的に反映しているに過ぎなくなるのではないでしょうか? ただ保有しているというだけでも、その使用が実際に有り得る限り、同様の理由で「悪」に成り得ます。 ですので、多国家の連合による核兵器の使用も、「正義」では有り得ないと私は思います。 さて、なぜ自衛のための核兵器が正義なのか、これが自分にはいまいち理解できません。日本の核保有の理由付けとして他国に対する強制力(約束を守らせる、自国民に手を出させない、etc.)を出されていますが、核配備を他国への抑制力として使う場合、これは敵国の国土で使用されるため、直接的には自衛のためではなくなり、そのためこの場合も質問者さんのいう「テロと似たもの」になるわけです。もちろん、威嚇や戦力誇示を行うには絶好の兵器ですが。 実際問題として、日本の核開発による外交関係の悪化は絶対に免れないと思います。もともと日本の核兵器配備はかなりデリケートな議題です。日本憲法や、周辺国やアメリカの反対もそうですが、昭和初期の軍事政権を危惧する意見や、日本が署名している核拡散防止条約(NPT)のこともあります。また、中国・北朝鮮とはインド・パキスタンのような核兵器の誇示合戦にもなりえます。 何にせよ、核の配備よる日本への軍事的警戒心は確実に大きくなるでしょうし、良くも悪くもいままでと同じ政策を取っていくことは、ほぼ不可能になると思います。 さて……調子に乗って書いていたら、これもまた長くなってしまいましたね。申し訳ないです。m(_ _)m 他にも何かあれば、補足します。
お礼
国際的に持つ核ももちろん正義ではないと思います。ただ、各国に複数の核があるのと(それぞれが勝手に発射できる状態)、国際的にひとつの(複数かも知れないがそれぞれの勝手な意思では発射できない)核を持つのとを比べると、あきらかに後者の方が良いです。明らかに良い方向にもっていくための核は正義に近いと思います。核保有国に北朝鮮の核を止めることが出来なかったのは、それぞれが同じように国単位で保有していたからではないのでしょうか。国際的に共同で核を保有し、保有国がなければ、北朝鮮の核開発を止めることも出来たのではないかと思います。一国だけが持つのは絶対に避けなければならない状況ですから。私は今の核に対する嫌悪感はふたつあります。ひとつはそれ自体の脅威。不特定多数の罪のない人を殺すものであることこと。ふたつめは、持っている国と持っていない国があることによる不平等さと、ひとつの国家の思想でしかないものに核を使うか使わないかの決定権があること。(核を使用する可能性が少ないがるということ)確かに、複数の国が集まって意見を一致させるのは難しいと思いますが、核を減らす、なくしたほうが良いのは一致すると思います。保有国も優位に立てているということ自体は捨てたくない状態でしょうが、核の持つ特性自体は持たせたくもないし、持ちたくはないのではないかと。国際的な核が存在すれば独自で持つ核を捨てろという考えには反対できないのではないかと思います。確かに国際的に持つ核もひとつ目の嫌悪感は残りますがが、ふたつ目だけでも消してしまうということです。日本の核保有のデメリットはご説明で大分理解できて来ました。核を持つことは他国に脅しながら交渉する野蛮なことです。しかし冷静に世界を見ると野蛮な国だらけです。その中で日本が理想の国家であり続けるのは難しく他国に優位に立たれてます。現に核保有国のアメリカに守られている以上頭が上がりません。時代が進むにつれ人は野蛮な部分を徐々に捨ててますが、まだまだ野蛮な部分があると思うとある程度合わせることも必要ではという考えは少なからずあります。もし、暴力のまったくない社会だと警察も拳銃を持たずに済むけど、やはり持っています。それはやはり拳銃を悪と分かっていながらも悪の持つ暴力を理解し、合わせているのではと思うのです。 私の疑問にお付き合い頂きありがとうございます。
- weber7009
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核拡散防止条約(NTP)第10条第1項には、 「各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。当該締約国は、他の全ての締約国及び国際連合安全保障理事会に対し3箇月前にその脱退を通知する。その通知には、自国の至高の利益を危うくしていると認める異常な事態についても記載しなければならない。」という脱退条項があります。 北朝鮮の核保有が「異常な事態」に該当するかどうかについては、議論の余地のあるところですが、日本政府が核開発を可能にする国際情勢が生じた場合、憲法改正によって非核三原則を廃止して、核保有国になることは、NTPの予想内と言えるのではないでしょうか。 核の国連管理は諸兄の言う通り、ほとんど不可能でしょう。
- Redflag
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少々長くなりますので、あしからず。 (1)国家が核兵器を持つことをやめる、という事態には現実的には成りえないと自分も思います。 数世紀先ならいざ知れず、国家にとって核兵器に何かしらの利用価値があり、尚且つその保有に十分なデメリットが存在しないため、保有する核兵器すべてが廃絶されることは、「国益のため」に行動する国家政府の性質とは離れてしまいます。 ですが、やはり#2さんの仰るように、その数を最低限(他国に対し十分な脅威に成り得る数)にまで縮小することは可能かと思います。 (2)国連で核を保有する、というのは国連が核兵器の使用権を保持する、という事でしょうか?それともその保管を行うという意味でしょうか? 国連が核兵器を配備した場合、国際平和のために大量殺戮兵器を使用するかもしれない、という明らかな矛盾が発生します。また、国連の基本的人権・平和を保障する国際機関としての意味も失われてしまいますし、そもそも今現在の国際連合という組織の枠組みでの運営・保管・整備・使用はほぼ不可能です。 また核を保有している国家がせっかくの兵器を手放すわけがありません。国際世論がこの事に関して黙っているとも思えません。 最悪の場合、国連による世界的恐怖政治が始まる事だって有り得ます。 というわけで、無理です。 (3)不可能です。毒を以て毒を制すと言ったところでしょうが、廃棄を強制している国が、肝心の核兵器を強制している側に使用する事を考えた途端、後の祭りです。 ですが、核保有国間による共同的な軍縮を仲介するという事は十分に実現可能でしょう。ただ完全な廃絶は(1)でも言ったように核兵器全ての廃絶は不可能でしょうし、その強制も相手国が核の使用を本気で(ブラフではなく)考え始めた時点でアウトです。 (4)なぜ日本も核を保有すべきなのでしょうか?他国への抑止力、という意味ででしょうか? 日本が核で武装するという事は、非核三原則を完全に無視し、当然日本の国土では使えませんので、他国に対する攻撃能力を持つ事となります。つまり日本の憲法が根本から変えなければならないという事です。民主主義までも捨て去るなら、可能かもしれません。 ちなみに、日本が核を保有した場合、周辺の国々も大いに反発するでしょう。諸外国も何らかの警戒心を抱くでしょうし、仮想敵国ならばそれに対抗する術を設け、外国との何らかの協力関係が存在したのなら、核武装後にはそれも重要性を失くすでしょう。 この場合、日本の周辺はさらに不安定かつ危険な地域となる上に、日本の孤立も免れません。これが核配備による防衛力向上と更なる抑止力のメリットと釣り合うのでしょうか?また現在の日本憲法を捨て、不安定な世界の中で生きていくだけの価値があるのでしょうか? 答えはNOであると思います。 (5)従来、国家の存在とその存続には軍事力が不可欠でした。それは今でも事実であり、故に最低でも自己防衛力は必要となります。そうしなければ、他の国が軍事力に物を言わせて自国本位の政策を押し付けてくるか、正面きって侵攻してくる危険があります。これを防ぐ術が無ければ、経済的な損失は当然凄まじい数字でしょう。そのための抑止力となります。核を配備すれば更にこの効力が上がるでしょうが、(4)でも言ったようにそれの利点以上の問題が発生する可能性があります。 ちなみに自分は軍隊と核の維持に掛かるの正確な費用(開発費含む)は知りませんが、日本における年間国防予算は国内総生産指数(GDP)の1%であることと日本の大まかな技術レベルを考えると、核兵器保有のために掛かる費用は高くは無いでしょう。ただ核配備による政治的な代価(諸外国の警戒心、それに伴う日本の孤立と経済的影響、戦争の可能性)は非常に大きく、実際問題としては、核配備の方が高く付くのかもしれません。 さて、戦争や武力の行使も外交の一部と言われていますし、実際その通りです。 しかし裏を返せば戦争だって全ての外交手段のたったの一部なのであり、各国の経済の独立性が薄れつつある現在では、緊急時のための最終手段であるはずです。 トマス・ホッブスの言うとおり、結局のところはどこの国民も最も恐れているのが自らが死ですので、政府もその結果をもたらす戦争を行うことで安易に国民の結果的な不満の矛先に居ることは望んではいないでしょう。 ならばどうすればいいのかと言うと、その他の外交手段をとります。これがODAや貿易による交流関係を築く事であり、その他条約を結ぶ事となります。質問者さんの例えを借りますと、銃犯罪が多発するからと言って自分自身が銃を持つという場しのぎ的な解決方法以外にも、長期的に犯罪(他国による敵対姿勢)自体を減らす行動が必要なのでは無いか、と思います。そうすれば自分自身を守れる上に、その銃や弾薬、整備用品を買うお金も払わずに済み、己が他人に怖がられることもなく、胸を張って生きていける社会ができるのではないでしょうか。 以上です。 非常に長くなってしまって恐縮ですが、少しでも参考にしてもらえれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご説明の通り、確かに国連が使用権を持ち、保管するのは存在理由から矛盾が生まれるのかも知れません。 世界における核兵器廃絶は無理でしょうから、せめて、まずは国家独自での保有する核を悪とし、国際的に(国連が無理であれば、新たに連盟を組織して)保有する(保管も使用も各国が協議して行う)核を正義という状況に持っていけないのでしょうか。 現に今の核保有国は「捨てるように努力します」という建前の元で保有し、新しく保有する国は悪としますよね。(核に正規も悪もないと思います。テロ組織にわたる可能性の有無が鍵と言われているようですが、核を自国のために保有すること自体、テロと似たようなもので悪だと思います。) 個人の価値観のみで正義がないように国家の価値観のみによる正義もまたありえない思います。各国が協議して票が取れた答えこそ、最も正義に近いと思います。 それと日本が核を保有するのは当然憲法も改正してでの話です。世代が変わればそういうこともありえるのかなと思いまして。 もし日本が武力や核を持つとそんなにデメリットの方が大きいのでしょうか。世界の核保有国を見ていると決してそのように感じないのです。もしかして核を開発するタイミングの問題もあるのでしょうか。 もちろん世界中の国が核も武力も持たないのが経済的にも精神的にも一番の理想ですが、それはあまりに高い理想だと感じます。 対等に取引、交渉していかなければならない回りの複数が頻繁に約束を反故し、見ていない間に庭を掘り、家族をさらいます。 それは、究極に怒らせてもパンチが飛んでくるぐらいにしか見られていないからではないでしょうか。
- cable1037
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鉄砲を捨てた日本人 と言う本があります 核兵器廃絶の参考になると思います
お礼
ありがとうございます。参考にします。
- lvmhyamzn
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>>国連で核を ということですが、国連というのは、日本政治でいえば国会そのものです。 国連で核を保有というのは、国会職員が政権を担ってくださいというのと同じです。 政権を担うのが自民党・民主党のような政党であって、国会ではないように、 国連とは核を保有するしないの対象となる組織ではありません。 国連が核を保有するしないの対象となる組織ではないので、質問の流れでは、「日本も核を保有することが理想」ということになってしまうのですが。 そういう質問でいいのでしょうか? 質問以前に、基礎的なことを勉強することをおすすめします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 政治に対する知識がなく国連というものに対する理解が間違っているようですが、国連で持つということ自体見当違いなわけですね。 ただ、それぞれの国家が協力して共有で管理し、独自で保有する国に対して廃棄させることができないのかと、ふと疑問に感じました。 軍隊はまだしも核はすぐにでもなくす必要があると思います。
- EFA15EL
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1.核を無くす事は、戦争を無くす事、あるいは核以上の兵器を生み出す事のどちらかでしか達成出来ないと思います。ただし軍縮自体は可能ですし既に実現かけています。 2.無理でしょう。国連もフェアな組織ではない事は明らかですから、新たな脅威を生むだけと言えます。 3.これもまた無理でしょう。核で核を抑止するのが限界です。 4.日本が今後パワーゲームに参加するつもりなら核も軍隊も必要です(自衛隊はありますがね)。ただ、それをやった時点で国際世論が黙っていません。平和的に核保有国になる道はないでしょう。軍隊はなんとかなると思いますし、仰る様に国内世論が動く可能性も充分あります。 5.軍隊については現時点で既に世界有数の防衛費を計上している国なのですから、これが軍隊に名を変えたところでそれほど負担は変わらないでしょうし、核保有に関しても在日米軍を引き払ってしまえば捻出出来ない訳も無いでしょう。しかし、先述の様に核保有は国際世論の反発を招き、経済的孤立が容易に想像されます。そうなれば内需が伸びない日本経済の損失は想像を絶しますよ。 核に限って言えば、比較するまでもなく保有した方が高く付きます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 隣国とのやり取りをニュースで見てると、どうしても軍を持たない国家ということでさまざまな面で交渉が不利になっているように感じますが、例えば軍隊、核を持ったところであまり変わらないでしょうか。逆に経済的に孤立し立場が悪くなるのですか。拉致被害者の解決も武力行使せず保有だけでの交渉では難しいのでしょうか。
打算で核を論うのには賛成できない。出来ないが気持は分かりますので、妥協案としては非核国連を作る事です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
すみません。お礼が遅れて。 新しい回答も送っていただいてるようなので お礼の前に拝見します。