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おおらかさについて

cotikuの回答

  • cotiku
  • ベストアンサー率17% (38/216)
回答No.4

>ギリシャ神話の世界はあれは多神教なのでしょうか、 私もよく分かりませんが、あれって大国主尊や天照大神などに似てますね。自然や人間の中に神というか先祖崇拝というかそのようなものを象徴して表現が固定したのではないでしょうか。 日本の宗教観というのは、まず、先祖からの神話があってそれに付随して生活習慣があった。 次に、国の集権化に必要な制度として仏教のカースト制とそれに付随した先祖の祭り方を取り入れた。 それに、政権の安定のために儒教を取り入れて倫理道徳の基準にした。 ということではなかったでしょうか。 一神教ではこの呪術と支配と道徳を一人の神にまとめているので日本人としては分かりにくいです。 特に人によって判断の分かれる善悪といった問題をおおらかであるはずの分野と一緒にして神学として議論するなどは分析力に欠けていると思います。 ところで、 全知全能の神・・・選民意識・・・世界支配 という図式は西洋全般とは言えないようにも感じます。 京都議定書・原子力など地球環境問題になると西洋とはいっても、たとえばドイツとアメリカでは共通しない思想背景を見ることができます。 東洋哲学の特徴は、 混沌から芽を出し、育ち、花咲き、稔り、枯れ、腐って、混沌に返る・・を繰り返すという自然界をそのまま認めていて、絶対的な善悪はないと考えていることではないでしょうか。 善悪は時と所や立場によって変わるべきであってそこがおおらかさと見えるのではないかと思います。 人間が神に選ばれた種族であったとしても、人間以外をすべて抹殺して生きることを快く思わない人は西洋にも東洋にも多いと思います。人間以外の動植物を利用共存することは否定しません。 同じ人間でも利用する人と利用される人があって、利用されて生き延びることにあまり不満を述べないのがおおらかさといえるかも知れません。奢れる者は久しからず、などと高い視点を以って見ていることがあるのではないでしょうか。

mcqgogo
質問者

お礼

舌足らずの質問に丁寧に答えていただき感謝いたします ギリシャ神話の世界って確かに八百万の神の世界に共通する部分が多いようです 余談ですが、ギリシャ神話の世界は性に関する考え方がおおらか過ぎて付いてゆけないところもあります 神話や宗教を元に為政者が国の骨格を作るときに、日本でカースト制の階級を参考にしたというのは初耳ですがあり得ることかと思います(カースト制はヒンドゥー教の制度と認識していますが、仏教はヒンドゥー教の輪廻の世界からの解脱を目指したはずなのに、曼荼羅にその影響が色濃く残っていますから) 後半の、「近年西洋全般という見方では思想背景がくくれない」と言う点については同感です 国や地域のレベルでみた時に、EU実現後からヨーロッパとアメリカとの政策面での相違は顕著になっていると思います EUの方が経済に優先する大切な物事をわきまえていると考えられます 環境問題然り、食糧問題然りです EUの設立目的が経済基盤の強化にあるにせよ、小異を捨てて大同についたという選択の持つ共存共栄的な実積の重みは大きいのでしょう 自然界(世界)をありのままに見つめてそこから物を考えようという、発想自体がおおらかな東洋に対して、西洋には分析的に物事を考えた結果辿り着いたおおらかな理念としての、自由・平等・博愛があるなら、今はヨーロッパ自体にその実践が浸透しつつあるということでしょうか そうあって欲しいと思います 哲学は今後の世界にどう拘わってゆくのでしょう

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