• 締切済み

出家と在家の違いは何でしょうか?

 浄土真宗の僧は兼業というか、他にも、一般人と同じ仕事をしておられます。  それでは、出家にならず、在家ではないでしょうか?  昔、生臭坊主ということがあり、身形は僧でありながら、している事は、一般民衆と変わりが無かった人もいたようです。こういうのは、はじめから宗教を生活の手段としているのではないでしょうか?  商売人「葬式法事執行業」になっているということは、自己の修学研学はもちろんのこと民衆救済など出来ず、ただの欲心のみが旺盛にならないのでしょうか?  それでも、僧というのなら、僧侶とは何なのでしょうか?

みんなの回答

  • sigino
  • ベストアンサー率30% (99/329)
回答No.8

odd-artさんの立場がやっとわかってきました。 正しいか否かというのは絶対的なものではなく、相対的なものだという意味で私は「自分の答えは正しいかどうかわからない」と言いました。 そうではない、とおっしゃるならば議論の前提が違いますので、私の書き込みは全て忘れてください。 世界にはさまざまな宗教があり、聖職者(僧)の定義は宗教・宗派によりさまざまです。キリスト教の例を紹介いたしましたように、出家・在家のパターンもさまざまです。 そして浄土真宗という宗派においては僧であることと在家であるということは矛盾しません。得度すれば「僧」ということになりますが、「僧」になっても寺に入らない人も大勢います。浄土真宗における得度はカトリックにおける堅信礼程度の意味合い、浄土宗における五重相伝程度の意味合いしか持ちません。つまり浄土真宗の僧侶には得度を受けただけで全く生活の変わらない人と、寺に入って職業的僧侶になる人とがいるわけです。したがって職業的僧侶への関門は得度ではなく、寺院へ入ってからの修行段階にあります。このあたりも他の宗派とは大きく違うところでしょう。 ただしこれはあくまでも「浄土真宗」という宗派の範囲内でのみです。 これでもともとのご質問である、浄土真宗の僧とはなにか、ということの答えに一応なるんじゃないかと思います。 また真宗信者の宗教上の目的は「弥陀如来のおわす極楽浄土への往生」であり、「成仏=ブッダ=覚者になること」ではないことも他の宗派との大きな違いです。 真宗信者には僧か否かに関わり無く、また生死に関わり無く「戒名」もありません。得度すると正式に仏弟子(注・真宗における「仏弟子」ですよ)になったということで「法名」をもらいます。居士号、大姉号もありません。 御金言を紹介していただきましたが、どなたの言葉ですか? ちゃかしているわけではなく、本当に知りませんので。前にも書きましたが、私は浄土宗・浄土真宗以外のことはよく知りません。 念仏無間は私自身が前の書き込みに書きましたようにもちろん知っております。 しかしそれを言われるのならば、ご質問は「僧とは何か」ではなく「浄土系各宗派はそれでも仏教か」ということになりますので、ご質問をお変えになり、本願寺さんや知恩院さんあたりへお聞きになった方がよいのではないかと思います。そうなると質問というよりは宗論になってきそうですね。 蛇足ですが 天台、真言はもとよりラマ教から浄土真宗、隠れ念仏、はてはオウム真理教まで仏教であり カトリック、プロテスタントはもとより統一教会、モルモン教、ものみの塔、顕教までキリスト教であり、 国家神道、吉田神道はもとより天理教、金光教までも神道までも神道なのです。 阿弥陀はどこの仏か、ということについては下記URLをご参照ください。 大乗仏教の成立と共に誕生した仏のようです。

参考URL:
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~hanek/buddha/bnyorai.html,http://www3.justnet.ne.jp/~zen-you/pada/roots3.htm
odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

 あまりに阿弥陀の元に平等といわれるので、どこの仏かお尋ねしたのですが、紹介されたサイトも、不明のようです。  結局は、勉強になる等ということも無さそうですね。  阿弥陀は、西方極楽浄土を教化する主であって、この我々の住する娑婆世界の教主ではない。その阿弥陀を一心に信じ、念仏を唱える事は、甚だ道理に反するばかりか、娑婆世界の教主たる釈尊に対する師敵対の大謗法である。  何故、釈尊で無いのでしょうか?  法鼓経に、 「黒衣謗法必堕地獄」 とあります。出家とか得度と称してはいるが、結局、身の保全しか考えておらず、他の救済など、どうでもいいのでしょう。今時の僧は紫服を求めて身の名誉と心得ておるが、これは聖道を嫌って、かえって俗に入るを願うものといわねばならない。  でなければ、経を読むなら、経を知っておらねばならず、勉学もせずして、知ったかぶりは増上慢であります。  身を慎み、他の成仏を願う事こそ、出家の志だと思います。  当宗では、深淵なる正法正義を令法久住するために出家され、仏法を正確に師伝、研究されてこられているのが御僧侶方であります。ですから、有信無解の我等が法門の奥義を習伝する御僧侶を尊び、和合し、もって一生成仏への誤まりなき信心とするのであります。  「念仏無間」というも、あるサイトにも書いてありましたが、どうも勝手な言い分でご存じ無かったようでした。  ここでは、余りにも誹謗中傷となりかねませんので、詳細は省略させて戴きます。  要は、経によりながら、経を知らないということに尽きます。  そのような宗旨のようでしたのでご質問させて戴いていたのですが、明解なお答えもなく、結局は、ご存じなかったようです。

  • sigino
  • ベストアンサー率30% (99/329)
回答No.7

ふむむ、、、非常にはっきりとした御宗旨をお持ちのようですね。 まず、odd-artさんの御宗旨を解説していただけませんか。 ことに出家・在家の定義について。また僧の定義について。 また民間信仰についてどう思っておられるかもお教えくださると幸いです。 このままですとますます頓珍漢な答え方をしてしまいそうですので。 私は正月には神社に参って拍手を打ち、盆には先祖が帰ってくるので墓参りして仏壇に手を合わせるおそらく標準的な人間です。この行動は宗教的には非常に矛盾していますが多くの人はごくふつうにこういうことをやってると思います。 キリスト教については訳語の問題だと思います。 キリスト教における聖職者のことを僧と訳すこともあります。 カトリックの場合、修道の誓いをたてることが出家に相当すると思います。 一応タテマエ上は俗世間との交渉は原則不可、神に一生をささげます。カトリックの神父は妻帯は許されておりません。 仏教も外来宗教であり、「出家」「僧」なども所詮は訳語であることにご注意を。 なぜ阿弥陀仏なのか、ということですが。 阿弥陀仏が自分にすがる一切の衆生を救済しようという誓願をおたてになったからだと聞いております。ひたすらその誓願を信じ、すがるのが真宗の基本的立場だと理解しています。出家であろうと在家であろうと弥陀の誓願の前では平等です。 (と、いうようなことをいいだすから日蓮上人から「念仏無間、禅天魔」などとぼろくそに言われたんでしょうねえ) 私は自分の考えを単に述べているだけで、odd-artさんを惑わそうとは全く思っておりません。素人ですから教義上の誤解などはあると思います。一旦、回答を始めた以上は出来る限りご質問に答えようと思っているだけです。 惑わすものと思われるならば質問を締め切っていただいてもいいですし、siginoの回答は見たくない、とおっしゃっていただいてもけっこうです。そうおっしゃっていただければ私はもう投稿しません。 私個人としてはodd-artさんのお答えは勉強になりますので、どんどん私の答えにつっこんでもらいたいのですが。 自分の答えを正当化しようと思っているわけではありません。自信なしにしていますように正しいかどうかも私にはわかりません。私個人はこう思っているってだけですので。 まあこのへんの問題はやりすぎるとシャカがただしいならキリストは間違ってるのかってなことに極論するとなってきちゃいますが。 一人信心などへの危惧はごもっともだと思います。 しかし、宗教各派の多くはそのスタートラインにおいて異端であったという歴史は事実でありましょう。(キリスト教、イスラム教はユダヤ教の異端から始まった。仏教もバラモン教の異端からスタート。) あ、適当にトムライをしていたってのは無節操に埋めてたって意味ではありません。誤解なされたのならばお詫びいたします。 結婚式にしたところで人前式もありますよ。神前式も現在の形は歴史が浅いと聞きます。しない人だってあります。 冠婚葬祭のライフイベントはけじめや通過儀礼としてなんらかの儀式を伴うのが普通ですが、それが宗教儀式でなければならないことはないと思います。ただこういった儀礼は「宗教」もふくめ民間信仰によってなされている社会が多いとは思います。

odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

 まず、阿弥陀は、どこの仏でしょうか?  「念仏無間」をご存じないのですか?  黒依謗法ということも、ご存じないのでしょうか?  私の補足は、当然してない人の意見を聞いたわけでもなく、している人は、どうしてなのかを聞いているわけです。もとより、結婚式も挙げず、婚姻届で済ます方もおられます。  ともあれ、御金言に  「よき師と・よき檀那と・よき法と、この三つ寄り合ひて祈りを成就し」 と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして御僧侶のお導師(よき師)、このすべてが揃(そろ)って、初めて成仏を叶えていただくことができるのです。  そして、出家と在家の違い、僧侶とは何かを質問しているのは、こちら側で、何故、逆に質問されるのでしょうか?  分からなければ、別段、回答もされる必要がありません。ましてや、質問者が答えるべきものでもありません。

  • sigino
  • ベストアンサー率30% (99/329)
回答No.6

レスありがとうございます。 でも、、、葬儀に僧って必要なものでしょうか?否、です。クリスチャンがキリスト教式の葬儀をし、また神道式の葬儀もあります。創価学会のような友人葬、学会葬だってあります。なんらかのトムライの儀式はしますけれど、それに僧侶が必要って訳じゃありません。それこそ檀家制度で寺の証明がないと葬儀も出せなくなるまでは、親類縁者で適当にトムライをしていたわけですから。今の日本では形式上仏教徒が多いから形式上僧をよんで葬式をするまでのことだと思いますが。 odd-artさんは非常に信心あつい方のようですが、この程度の宗教心しか持ってないのが大半の日本人でしょう。教義をきちんと知っている人は少なく、代々そうだから葬式のときはとりあえず仏教徒って感じの人が多いのですから。 また格式は寺院法度よりさらに古く、仏教が国家宗教とされた奈良時代に誕生し、延喜式や鎌倉五山などさまざまな変遷を経て、寺院法度でほぼ現在の形に落ち着いたと思いますがいかがでしょうか。 小乗が大乗にいたるまでの一時の教えだというのはあくまで大乗側から見たいいかたで、もともとシャカの説いた原始仏教は小乗だと思っています。現在もミャンマーなどは小乗、、、もとい、上座部仏教ですよね。もしこれが私の誤解でしたら訂正してください。確信持ってるわけじゃありませんので。 開眼、入仏、などの仏事だってシャカのころからあったわけじゃありませんし。 戒は修行上大事なものではありますが、方便のひとつにすぎないのではないでしょうか? 一切空であり、また覚者にとって戒がどれほどの意味を持つでしょうか。戒に縛られることもまた悟りを得たい、よい僧でありたいという欲からくるという解釈も成り立つのですから。もっともこれは生臭でない僧に関して言えることですが。 odd-artさんの持っておられる信仰から定義される僧、というのは今の世の中では稀有でありましょう。 またそれが教義上誤りであり、利己の欲得に宗教を利用している僧がいるのも確かですが、それがこれだけはびこるのは一般人もまたかれらを利用している一面があるからでしょう。まさに「便利な葬儀屋」「町会みたいな地域交流の場」ETCとして寺院や僧侶を利用しているのです。需要がある以上なくならないのもまた当然の帰結でありましょう。宗教上はあくどいかもしれませんが、世俗社会的にあくどいのとはまた違います。(でもこれを宗教者づらしてやられるから、お怒りなんだとは思いますが) 雲水さんなどはまさにodd-artさんのいわれる「僧」であると思いますが、雲水さんは葬式しませんよねえ、、、。 真宗の僧は出家か在家か、といわれたら間違いなく(教義上も)在家ですし。 ちなみに日本の仏教は民間信仰の影響をモロに受けていて、日本以外の仏教とはかなり違ったものだそうです。山川草木悉皆成仏というのは日本だけだそうです。(これは学生時代聞いた講義の受け売り) 私の実家は浄土宗で、婚家は真宗なのでそれ以外の宗派はあまり知らないんですが、真宗はかなり特殊に感じます。親鸞聖人が始めたときは創価学会なみにアナーキーだったじゃないだろーか、、、。僧も在家である、と公言するあたりやとにかく阿弥陀仏にすがれというあたり。盆の扱いや法事に対するスタンスも浄土とですらかなり違う。法華とは大分違うんでしょうね。どちらかというとプロテスタントと共通するものを個人的には感じます。(プロテスタントの牧師も「在家」ですよね) 真宗の場合、「とにかく阿弥陀仏にすがれ」ですからつきつめると出家の必要はなくなってしまうんですよねえ。 現在では、宗教を生活の手段としている僧が多いことには賛同しております。 世襲の職業として僧をしている人も多いです。それがよいことか悪いことかは別にして、、、事実上そうですよね。職業としての僧が宗教上はともかく社会的に認知されている以上、私はせめてよき社会人でありよき職業人であってほしいと思います。(と、書くとそれでも僧なのか、っていわれそうですが)

odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

 雲水は、禅宗等の修行僧ですよね。  いつかは、どこかの寺の住持になれば、葬儀だってするでしょう。  葬儀をする僧侶は、寺の住持でしょ。  何を頓珍漢なことを書かれて、私を惑わそうとされるのでしょうか?  そもそも、何故、阿弥陀仏なのでしょうか?  在家と出家の違いがはっきりしませんが、これはご自分の回答を正当化されようとしての、ご回答なのでしょうか?  葬儀というのは、僧等が居ない時代は、祈祷師等のそういった外道の類いとか、民族間で決められた長老とか、そういったことの専門の人物がやっていたとされます。むやみやたらに、土葬、荼毘にしていたわけでもなさそうですよ。  では、結婚式はどうでしょうか?  必要でないのなら、する必要もないでしょ。勝手に行って、勝手に参れば済むという事になります。神前結婚にせよ、神主によっているのは何故でしょうか?  キリスト教にも、出家と在家があるのは初耳であります。出家とは、仏教だけだと思っておりました。意味が違うんじゃないですか?  御本尊と信者(在家等)の中間を為し、取り次ぐ導師(出家した僧侶等)という存在なくしては、本当の流れは通わず、知らないものがやれば、我見・我流となり、筋目がなく、取り次ぎを崩す元で、信心もない姿(一人信心、自己満足、学びもせずに知ったかぶり、獅子身中の虫)となりかねないのではないでしょうか?  得てして、御不敬にもつながるでしょう。その方が、恐い事です。なんでも、知る者に道を尋ねよとあり、知らぬ者に尋ねれば、迷う元でしょ。

  • sigino
  • ベストアンサー率30% (99/329)
回答No.5

「制度上の僧」とワタシが言いましたのは、いわゆる「僧」のことです。それぞれの宗派で一定の手続き(いわゆる得度)を得ると、本人自身の意識はどうあれ、世間から「僧」として認められます。 「宗教概念上の僧」というのはあなたがいっておられる「僧」がこれだと思います。自分自身の宗教・信仰をつきつめるためや悟りを得るために出家遁世することですね。別に得度しなくても自分がそう思えば「僧」です。 この2つは重なり合いますが、イコールではありません。 ちなみに小乗仏教では民衆救済の概念はありません。 また、浄土真宗の「僧」は「在家衆生の代表で、道場(寺院)の運営に携わる人たち」で他の宗派の「僧」とは立場を異にします。絶対他力が真宗の教えですので、他人を救おうなんておこがましい意識はありません。皆で阿弥陀様におすがりしようってわけですから。 一方禅宗は小乗仏教に似たところがあって、自力での悟りを目指しますよね。これの究極例の1つが一休禅師だと思いますが。飲酒も女犯もしてますよね。 このように宗旨宗派によって「僧」も異なります。 一口に戒のなんのと言われても、困ると思いますよ。 もちろん「生臭坊主」が多いのも本当のことで、現に私もそれで困ってますが。 ちなみに現在の葬式仏教を作ったのは江戸幕府の檀家制度によるもので、仏教側から出てきたものでないことを申し添えておきます。 あなたは宗教の信仰や教義の面だけ見られて、それと表裏一体である宗教そのものが制度として成立しているところを見ておられないのでは?

odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

 そんなことを言ったら、出家も在家も関係なくなります。  僧でなくても、戒名、入仏、開眼等の仏事が出来てしまうでしょ。わざわざ、葬儀に僧侶を呼ばずに勝手に、創価学会のように、学会葬、友人葬と称して、あげることが出来ることになります。  それから、僧という概念が違いませんか?  小乗教は、自己の救済のみを願う二乗(声聞・縁覚)を仏教に誘引し、やがて大乗教へと導くための一時的な教えです。ですから、今では無意味なのですが、それでもそれに固執していることが、各宗派が依経とする経文を見れば分かります。  今は末法、法華経のみが大乗であり、是名持戒と説かれております。しかし、爾前の諸経の意は、小乗の五戒、二百五十戒、十重禁戒、四十八軽戒、十無尽戒、十戒等をたもつと説いている。ちゃんと読経しているではないでしょうか?  檀家制度は、キリスト教禁制のために仏教に帰属させ、僧侶により証明させ、寺の証明がないと葬儀も出せず、身分が証明されないために、無宿人として浮浪者ということになったわけです。それよりも、寺院法度の方が問題でしょうね。格式が生じました。  でも、間違いであれば、正すことも出来るわけですが、それをしないのは何故でしょうか?  利用している宗派が存在しているということでしょ。その方が、悪どいというものです。それに甘んじている僧がいるわけでしょ。僧という本分も弁えられずに。

  • sigino
  • ベストアンサー率30% (99/329)
回答No.4

あの、このご質問は、「制度としての僧」をさしておられるんでしょうか? それとも「宗教上の概念としての僧」をさしておられるんでしょうか? (これも大乗仏教か小乗仏教かで異なりますが) おそらくその2つが一致しないことに対する怒りがおありなんだと思うんですが。 それだと回答は 「理想と現実は同じじゃない」 ってことで、そのような僧自身の悩みから宗教の改革が生まれてくるとおもうんですけど。 ちなみに私は葬儀屋も広い意味で「制度としての僧」だと思ってます。 あああ、身もふたもないか……。

odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

 制度と宗教上の僧があって、違うというのは分かりません。  僧というのは、宗教でしょ。法か何かで定めているというのでしょうか?  そんな制度は、知りません。それには、在家と出家の違いも明確にされておられるのでしょうか?  その制度を是非、教えて下さい。

  • amida3
  • ベストアンサー率58% (448/771)
回答No.3

BBSやメールの文量でご説明できるようなご質問ではないので、お答えがなかなか難しいですね。 「出家」、「在家」という用語をどのような意味でお使いかも良くわかりませんが、出家を「家を出て仏門に入ること。俗世間をすて、仏道修行に入り、戒律を守る事」という意味でお使いでしたら、現代の日本には出家者は、まずいないでしょう。浄土真宗以外の宗旨では、肉食妻帯は出来ませんが現実にはしていますからね。その意味では、浄土真宗に限らず在俗の生活です。 浄土真宗は、親鸞聖人が山に篭もって自分だけが救われるのではなく、みんなで共に、と在俗の生活をしていてもすくわれるのですよ。という実践で。山を下り肉食妻帯の在俗生活の中で大衆に仏法を説くところに始まっています。その意味では、僧侶が人里を離れ、山に篭もって修行をするという宗派ではなく、みんなと同じ生活をして、みんなの現実の苦しみを知ったうえで教えを説く宗派であります。 サラリーマンをしたことの無い人に、サラリーマンの苦しみがわかると思いますか? >一般民衆と変わりが無かった人もいたようです。 とございますが、一般大衆と異なる事をしなければ救われない教えなら、一般大衆は救われません。一般大衆と同じことをしていても救われる教えであるという実践が、親鸞さまの日頃は野良仕事をし、必要なときに袈裟衣をつけ仏法を説く、という生活なのです。 説く仏法が尊いのであって、説いている坊さんが尊いのではないのです。説かれた法施という布施に、財施という布施で応じ、布施の交換が行われますが、これが皆さんが交換の為に出したいわゆる金銭の「御布施」です。 当然ですが、仏法との交換ですから「御布施」僧侶個人の収入ではありません。たぶんこの辺のところに誤解があるか、もしくは最近都会で発生している不心得な葬儀社さん関係のにせ寺院?にせ僧侶的なところのご批判ではないでしょうか? 現在の法律では、偽物を取り締まる法律が無いので坊さんで無い人が坊さんの格好をしているという例も聞いたことがあります。 (葬儀社さんが潰れた寺院を自己の専属の寺院にして坊さんの格好をした変な人がでてくるとか、東京には「葬式法事執行業」の派遣会社があるとか) この手のものは論外です。一緒にされては困ります。 なお、正式な宗派名を騙って御布施を取ったらお布施詐欺です。迷わず警察に行きましょう。ただし、単純に「浄土真宗」と名乗っただけでは取り締まれません。「浄土真宗本願寺派」とか「真宗大谷派」と名乗って、そうではないときに初めて詐欺にあたります。浄土真宗○○という新興宗教もありますし、正式な宗派名を騙ったのでなければ、現在の法律では取り締まれませんので、難しいですね。 私どもでも「49日からお願いします」と電話をいただく事があります。葬儀はどこのお寺ですか?ときくと、聞いたことの無い寺院名で「葬儀社さんが連れてきた」というケースが増えています。 それと、お寺に入った御布施についても誤解があるようです。 兼業の収入(会社などからの給料)は個人収入です(もちろん源泉徴収で税金払います。) 皆さんからいただく御布施は、僧侶個人の収入ではありません。お寺(宗教法人)の収入です。そして、この宗教法人から住職としての給料をいただきます。この金額は、檀家さんたちの代表者により、お寺の収入に合わせていただきます(これも源泉徴収で所得税がかかります)。もちろん、貧乏な寺では0円という場合もあり、この場合御布施は寺院の維持修繕費にまわり、住職のところには一銭もありません。つまり、住職は、御布施が多かろうと少なかろうと自分の収入には影響がありません。 私の田舎では檀家さんが30人程度に寺院もあり、とても御布施だけでは寺院の維持費(本山賦課金、本堂の維持管理)はまかなえませんので、家族全員が外で働いています。身銭を切ってお寺を維持していますから、当然お寺が無い方が本当は裕福になるはずです。潰すわけに行かないので(場合によっては合併等で廃寺していますが)頑張っているのであります。そんな寺院が半数以上ですから一まとめに浄土真宗の僧侶は・・・というご批判は止めてもらいたいです。 まあ、お寺の本堂などを無くしてしまえばお金はかからないのでしょうが、本堂があるだけで、年間の維持費は300万円から500万円はかかります。それに将来の建て替えや大規模修繕を考えたら寺院収入が年間1000万円有っても住職の生活費までは出ません。私も今ちょうど確定申告書を書いていましたが、寺院からの収入は130万円(税金引く前)です。兼業ですので会社からの収入とあわせて確定申告です。 なお、自己の修学研鑚はもちろん怠らないようにしていますが、毎朝7時の勤行後、会社に行って、帰宅後24時に寝るまでの時間ですから、確かに平日は1日2時間くらいしか時間は有りませんね。でも土日に各地の寺院での法話会で御説教を頼まれる事がありますので、勉強は欠かせません。 少なくとも、親鸞聖人や阿弥陀さまに見られて恥ずかしいような事の無い様には心がけているつもりです。御粗末な人間ですから清廉潔白というわけには行きませんが・・ 失礼ですが、あなたは偽物の坊さんしか見たことが無いのではないでしょうか? 南無阿弥陀仏 合掌

odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

 僧侶になる時には必ず受戒をして僧侶になったのでしょ。  もし、受戒もせずして僧侶になったと言うものは、僧ではありません。では、それはどのような戒なのでしょうか?  普通、五戒を破り、恥じることのないような坊主は悪口を言われても仕方が無いでしょ。  何故、阿弥陀仏なのでしょうか?  何故、黒衣を着ておられるのでしょうか?

回答No.2

形式的でいえばmizukiーさんが書いておられる通り得度した時点で出家です。 もちろんその得度(出家)の時点で、ちゃんとしたお師匠様についてその弟子となる「得度式」を修行するという大前提があります。 特に昨今では在家僧とかいって、ごく簡単にその人の気持ちだけで僧侶になれるというような案内チラシを出している組織があるようです。(それで現実に葬式や法事、説教までされているそうですが・・・・。) 実質的には出家と在家の違いは同じ仏教徒であるという点では同じです。 ただ出家には上求菩提・下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)と申しまして、自ら菩提心(仏さまを信じて疑いない心)を発して修行をする。そして同時に衆生(生きとし生ける者・悩める者)を救う、教化するという意義があります。 ただodd-artさんの質問はどう見ても現在の出家(僧侶)に対してのご不満がありありと見えます。 同業の僧としては誠に恥ずかしい限りです。 仏教を含め宗教で修行のない宗教はありません。又、修行が無ければエセ宗教です。 もちろんここで書く修行とは、水を頭からかぶったり、険しい山を何日もかけずり回ったり、お堂にこもって何日も経文を唱え続けるような修行だけをいうのではありません。 言い換えればあるお経の中にあるように、自分自身が救われなくとも、一切衆生(自分の回りの他の者)を渡さんと(救おう)と発願して営む(修行、継続)というような事も含まれています。 そうなんです。 仏教は絶対にすべて許される宗教です。 そう信じて疑いなく修行が続けられたらその時点で出家なのです。 多少難しくなってしまいましたがお許しを。 あなたがおっしゃるような事業主坊主やセールスマン坊主、ニセ坊主はほっときましょう。

odd-art
質問者

お礼

ありがとうございました。

odd-art
質問者

補足

「浄土真宗は在家仏教ですので、得度は出家ではありません。ただし男性は一旦剃髪します。」 とありました。これでも、本当に僧なのでしょうか? 出家の意義が全くありません。これでは、偉そうにしている檀家と同じでしょ。違いますか? 問題は、僧面をして、金品をせしめていることにならないのかということです。嘘を付いているんじゃないでしょうか? どうして、今の僧は妻帯等が許されているのでしょうか?

  • -mizuki-
  • ベストアンサー率38% (212/555)
回答No.1

得度を受けた人のことを僧侶といいます。 かつて勝手に得度して僧侶になった人のことを私度僧と言いました。 言うなれば、きちんとした得度を受けていれば、 何をしていても僧侶になれるということでしょうかね。 ただ、宗派によっては得度を受けるために試験があったりもするようです。

odd-art
質問者

お礼

有り難うございました。

odd-art
質問者

補足

得度を受ければ、何をしようが、どんな格好をしようが僧なのですね。それじゃ、生臭坊主と変わりません。 ところで、得度とは、何でしょうか? 僧の任務とは何でしょうか?

関連するQ&A

  • 出家という選択

    まだ将来のことではありますが、 幼少時から仏教と浅からぬ縁があり、 僧侶となり社会活動をしてみたいという意志があります。 まだ漠然として入るのですが、 大学時代も仏教関連の研鑽や講義を受けており、 恩師に浄土真宗の住職の方もいるという状況です。 寺持ちでもない一般在家の人間が出家し、 研鑽を積むこと、また家庭をもち生活を営むことは可能かなど、 教えていただければ幸いです。 まだ24歳と若輩のため、 すぐに行動するとはいかないのですが、 教えていただくことにより少しでも自信がもてると、 後々の道標となりますので、 何卒よろしくお願いいたします。

  • 出家得度は簡単にできますか?

    俳人住宅顕信の年譜を見ると、 1982年9月から1993年4月にかけて、中央仏教学院の通信教育受講。 1993年7月京都西本願寺で出家得度、浄土真宗本願寺派の僧侶となる。 とあります。 こんなに簡単に出家できるものなのでしょうか? 出家したら一般の人とどう違うのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 浄土真宗の修行等について

    仏の道に進もうとは考えておりません。浄土真宗に興味があり質問します。 浄土真宗は在家仏教と聞きます。 多くの最近の僧侶になる人が進むであろう仏教大学に入学してから、住職になるまでのおおまかなスケジュールを教えてください。(これ歳くらいで「副住職」とか一般的な例でいいです) どの段階でどのようにして得度をうけるのでしょうか? 一度だけ剃髪するのですか?それとも頭にかみそりを当てるだけなのですか? 浄土真宗には修行という概念もないのかもしれませんが、お寺に入って最初のうちは何をするのでしょうか? また、大学にいかない場合どのように浄土真宗の僧侶になるのでしょうか? 他宗派とのちょっとした比較も含め回答していただけますとありがたいです。 そのほか僧侶の立場での他宗派との大きな違いを教えてください。

  • 出家と在家 僧と俗?

    何時もお世話になっております。 どうも最近、気になって仕方が無いのですが・・・ 我が家の近辺は国道に近い事もあって、暴ヤンたちの溜り場になっていて、暴走行為を繰り返しながらスプレーで落書きなどして困っているのですが、その落書きの中で最近よく見るのが、「出家と在家 僧と俗」と言う落書き。 暴ヤン僧侶でもいるの?はたまた暴ヤン新興宗教の布教活動でもしてるのか(苦笑)?一体何の意味があってのこの標語のような落書きをしているのかが、さっぱり分かりません。 どなたか、この意味(いや、本来の意味は分かりますが)ご存知の方はいらっしゃいますか?

  • 三帰依のうち「僧に帰依する」の意味について

    仏教を学び始めた者ですが、仏教信者が帰依すべきものとして、仏・法・僧という「三宝」があることを知りました。このうち仏と法については帰依する相手(対象)としてすんなり理解できるのですが、「僧に帰依する」の意味がいま一つ分りません。「僧」というのは僧侶個人のことではなく、出家者の「集団」を指す(指していた)といわれます。であるならば、「僧に帰依する」というのは出家者が自分の所属する団体に「帰属し、忠誠を誓う」という意味に捉える、即ち三帰依というのは元々出家者としての態度・心構えだったのではないかと解釈するのが正しいような気がするのです。それを現在は仏教者であれば誰でも(在家信者でも)、仏・法に加えて僧にも帰依(信奉・尊崇)すべきであると、「僧」が教えているような印象を受けて、何となく違和感を覚えます。「僧(サンガ)」が団体ではなく、個人や僧職に就く人一般を意味するのなら、在家信者や一般人がそれを信奉・尊崇するという行為は腑に落ちます。ただ、この言葉が現代仏教の「宗派」という意味に使われているならまだしも、あくまでインドで釈迦入滅後仏教が発展段階にあるときに存在した仏弟子の集団を意味していたのなら、これへの「帰依」というのが何を意味する(していた)のかいまいち理解できません。 「僧への帰依」が何であったかの正しい解釈に加え、三帰依というものが何時ごろ誰によって言い出されたものか(何らかの経典などに謳われているのか)も併せてご教示願えればありがたく思います。

  • 僧侶がする数珠について質問です

    僧侶がする数珠について質問です こんばんは! 最近、疑問に思った事があります。それは、僧侶の方がされている数珠についてです。 この前、法事があり、お坊さんが家に来たのですが、その時、お坊さんが持っていた数珠が とても高級な感じだったんです。やはり、僧侶の方は一般の方とは違う数珠をしているのでしょうか? 浄土真宗(西本)の僧侶専用の数珠ってあるのでしょうか?教えてください!

  • 江戸時代。僧侶に成るには。

    浄土真宗を除く宗派では、僧侶は妻帯を禁止されていました。 ということは、わが子に寺を継がせることはできません。 そこで、僧を必要とする寺には上位の寺から僧侶が派遣されてくるシステムだったそうです。 質問ですが、どうすれば僧侶になれたのですか。 例えば、近くの寺に頼んで、宗派の僧養成所のような所に入所させてもらうとか。 また、僧侶は魅力ある職だったのですか。 次男坊・三男坊にとっては、魅力があったのでは、と思いました。 成り手の希望者が多ければ、競争も激しかったのかな、と思いました。 よろしくお願いします。

  • 天神像について

    江戸時代から明治初年まで我が家の敷地が浄土真宗系の僧侶(堂僧)が開山されたとされる 聖徳太子を祀る太子堂があったそうです。数年前敷地より(せん仏)天神像が出土しましたが 浄土真宗系の寺院や堂等で天神像を祀る事はあるのでしょうか?

  • 浄土真宗の僧侶資格ご存知の方

    浄土真宗の僧侶資格を持っているお寺の副住職に身内のものが暴行を受けました。 僧侶は刑事起訴されて先日判決が出ました。 懲役1年6ヶ月 執行猶予4年です。 僧侶は刑事起訴されても普通に仕事をして平気な顔しています。 一般的な会社の場合、解雇の対象と思いますが浄土真宗の宗派の規則とか僧侶の免許には懲罰の規定や、免許取り消しの用件はないのでしょうか。 詳しい方よろしくお願いします。

  • 葬儀屋さんへ手配僧侶についてご質問です

    はじめまして、 首都圏で浄土真宗の教師資格(住職同等の資格)を持つ在家僧侶です。 お寺は九州なのですが、関東の自宅を布教活動の拠点にしています。 宗派が珍しい為か、なかなか仕事が無く困っています。 宗派を指定しない葬家の方には指定の僧侶がいましてなど厳しいお話しも頂きます。 予算を控えたい方専門でも良いのですが、そういう指定の僧侶になる為にはどうしたらよいでしょうか。 また、噂では僧侶を養成している所もあると聞きますが本当でしょうか? 将来古民家でも買えれば住職認定は即可能な状態ですし、その後宗教法人も得られるのですが、なにしろ仕事が無いのでは・・・・・・と困っております。 ご意見や方法をよろしくお願いいたします。

専門家に質問してみよう