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天神像について

江戸時代から明治初年まで我が家の敷地が浄土真宗系の僧侶(堂僧)が開山されたとされる 聖徳太子を祀る太子堂があったそうです。数年前敷地より(せん仏)天神像が出土しましたが 浄土真宗系の寺院や堂等で天神像を祀る事はあるのでしょうか?

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.2

基本的に浄土真宗では阿弥陀仏のみを本尊とし、他の像を祀ることはありません。但し一部に釈迦如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊とする場合もあります。それ以外の仏像は祀りませんし、宮もありません。 太子堂は仏塔ではないので作ったんじゃないですかね。その中にあったのなら浄土真宗として祀ったのではなく、太子堂の関連としてあっただけかもしれません。 後考えられるのは、一度廃寺などとなって、後に別の宗派の僧が興した場合です。これは各地で見られるようです。地方に行くとあまり堅苦しい事もいえないので、受け取って堂かなにかに納めていただけかもしれません。 いずれにしても浄土真宗であれば信仰の対象というわけじゃないと思います。 また「天神」」といってもそれが道真ゆかりなら、太子堂と同じように本来神仏としてではなく、偉人として祀ったものと考えます。これも直接信仰の対象ではないはずです。 さらに天神が何を指すのかによっても異なります。「せん仏」ということは中国伝来という事になります。 この中には道鏡における天神も含まれますし、日本において天神は主に雷神を指す呼称ですからこれらの可能性もあり、それも記念という意味合いが強くなります。 寺の収支が時代と共に変わることは良くあることなので、もう少し寺の歴史とその御像の歴史を知らねば答えは出てきづらいと思います。

noname#224207
noname#224207
回答No.1

>浄土真宗系の寺院や堂等で天神像を祀る事はあるのでしょうか? そのような事例は充分あるかと思います。 江戸時代までは、新仏習合で、お寺と神社は一体で同一の境内にあるのがごく普通でした。 僧侶が神主を兼ねているところも珍しくはありませんでした。 明治政府がこれを無理やり分けてしまい、現在の姿となっています。 お住まいはどちらの地方でしょうか。 浄土真宗の盛んな北陸地方では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛軸)を飾る習慣がありました。 金沢市では、正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで散見されていました。 尚、出土した像を御覧になられて、なぜ天神像と判断されましたでしょうか。 聖徳太子堂があったとのとこですが、聖徳太子の座像も衣冠束帯で笏(しゃく)を持った姿で彫られることがあります。 下記サイトの最下段に座像の写真があります。 聖徳太子像摂政像(仏像事典写真画像付き) 仏像ドットコム・東洋仏所 www.butsuzou.com/jiten/syoutoku1.html 天神像も同じように衣冠束帯で笏を持っています。 新仏習合の時代には本地垂迹説に基づいて、八幡様の本地仏は阿弥陀如来とされていました。 あるいは、八幡大菩薩像と呼ばれる仏像と神像の合いの子のような像も作られました。 以上幾つか理由となる事柄を挙げてみました。 一度お近くの博物館で鑑定してみてもらわれることをお薦めします。 郷土史家の方の中に敷地にあった太子堂の経緯に詳しい方がおられるかもしれません。 博物館や図書館などに問い合わせると紹介してもらえるかもしれません。

shinatori
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。地元の博物館等で経緯等詳しく調べていただきますね。

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