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談合の是非

談合の是非は、おかしいでしょうか 現在、談合すなわち悪、と定義されていますが、 この事について考えてみたいのです。 談合すなわち悪・・・定義 では、談合とは何でしょう (1)話し合うこと。相談。 (2)談合行為=競買や請負人入札に際し、入札者が事前に相互間で入札価格を協定すること。 定義の根拠は A談合は、新規企業の参入を妨害し、自由競争を阻害する。 B談合は、社会に不要な経費を増加させ、社会に不利益を伴う。 他にも有るかも知れませんが。 さて、AがBを帰結する信じられていますが。 談合(1)話し合うこと。相談。 が、Bを必ず帰結されるとは限りません。 Bを帰結しない談合が存在した場合 定義は相談することは悪であり、人は競争するべきだ。 つまり、相談で正義は成立せず、競争による対照が正義でしょうか。

noname#136055
noname#136055

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  • ssmax12
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回答No.1

>つまり、相談で正義は成立せず、競争による対照が正義でしょうか。 この事だけで考えるなら、かならずしも競争=正義とは限らないと思います。世の中には良い談合、悪い競争入札も存在すると思います。 また、資本主義においては正義でも共産主義ならどうでしょうか? 競争という言葉をひろいあげると談合の中にも競争が存在する事もありますよね。 話はそれますが、私は談合の悪い面において何度か悔しい思いをしています。 公共事業の入札制度はもっと改善するべきだと考えます。 優秀な頭脳によって作られた入札制度ですが、複雑なルールがあり、しかも不平、不満ばかりです。 魚市場のセリによる価格決定はシンプルなルールでうまくいっています。不思議でなりません。

noname#136055
質問者

お礼

なるほど、 >談合の中にも競争が存在する事もありますよね。 これいいですね。うん~棚ボタ(笑。 あれ、考えさられます、有難うございました。 おっと、いえいえ違うんです。 考えるのではなく、競争の結果が正義とされる風潮が怖いのです。 あらためて、ご回答有難うございました。

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回答No.8

こんばんは♪#2です <方法論的には、どうなのでしょう。 談合=話し合うこと。相談。 という定義でしたら談合そのものに 問題はないと思います。 前回は公共事業における談合を例に出しましたが 民間企業が同様に下請け企業を公募するとき 各下請け企業がそれぞれの利益確保の為に 談合することは何の問題もないと考えます。 むしろ、方法論的に言えば 生き残るための知恵と言えるでしょう。 話がそれますが・・・ 一般的に競争は自由主義経済の中で当然必要です。 しかし、それによって格差が生じたり一部の人間や 団体が富を独占したり、競争そのものができない 社会が生まれる可能性があります。 話し合いというのは、どちらかというとそのような 社会を作らないよう、社会権を確認する際に用いる 方法だと考えます。 利益の追求、富の蓄積、自由主義経済=競争 公共の福祉、富の分配、少数意見の考慮=話し合い ではでは♪

noname#136055
質問者

お礼

なるほど、上手くまとまりましたね。 偶然、今朝、読み終えた本に、今回のような質問は「見当違い」という批判を見つけちゃいました。 「それは、自己を意識し、支配するようになりつつある人間性という理念で、彼らが格闘してきたヘーゲルの遺産に明らかに由来している。計画化された社会の到来は、『必然の王国から自由の王国への人類の飛躍・・・人間は、自分のやり方で組織化した社会の主人になり、同時に自然の支配者、自分自身の主人となる』(空想から科学へF.E)と考えられていた。 私見では、この理念は全く的外れである。・・・ われわれはミラーのリストにある第一価値--意識的な社会的目的--を捨て去るべきだと思う。」(G.A.コーエン『自己所有権・自由・平等』p366) 社会的目的と個人的目的の区別が有るとしても難解ですね。 もっとも、その後、市場競争に対する別の批判を肯定するのですが。 ひょっとすると「見当違い」かもしれない質問に、お付き合いいただき、 有難うございます。

  • goo_chan
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.7

談合の是非は、おかしくないと思います。 どんどん議論されて新しいシステムに導ければよいと思います。 談合は形だけでとらえると、よくないことです。これは当然、社会的に不利益なのは確実です。 しかしながら、談合せざるを得ない発注者の仕組みにも問題があるので、一方的に悪にはなりません。 もう一回りの視点から見ると、 談合をしないと逆に、発注者が決断で困って決定しきれない部分がたくさんあると思います。 さらにもう一回り考えると、 そのような体質で資金をまわしても 結局は事業なり、国策なり、長くは続かないということが、国の借金を見れば明らかです。

noname#136055
質問者

お礼

>どんどん議論されて新しいシステムに導ければよいと思います。 とても、出来そうも有りませんが、考えるヒントですね。 皆さんのご回答を拝見していて、競争原理を肯定されている方が多いですね。 くるくる回って混乱してしまいそう、有難うございました。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.6

ひとつ提示しておかなければならないのは、共産主義の破綻です。 現在共産主義のシステムのまま運営してる国はなく、必ずどこかに競争主義の原理が働いています。 共産主義の根本を簡単にいうと、すべての市民のニーズを満たすだけのシステムを作り、みんなで相談してそのニーズを満たすように各々が自分の持ち場でがんばれば、必ずうまくいく。 という究極の談合体質です。 しかし上手くいきませんでした。「本当の共産主義」を理想としている人から見れば、あれは道半ばに共産党を悪いやつが食いものにしたからだというのですが、根本的に人間には共産主義にたどり着くには根本的に欠陥があるような気がします。 それは、自助のみでは必ずしも努力しないということだと思います。 だれかがやっているから、誰かがいい思いをしているから初めて自分もそこにたどり着くために努力をするという動機付けが非常に多いように思います。 ですから、、入札に限らず競争原理を働かせずに仕事を行い、それが公共の利益という観点から見て、利益にかなうのならば、談合も一向に構わないと思います。 しかし、そうすると民間企業でも競争が無いという状態が出来なければおかしいですね。 私は競争なくして、エンドユーザーが納得する仕事のあり方は無いと思います。 公共の利益という観点から見たエンドユーザーは、納税者です。 入札制度には問題がいっぱいありますし、競争原理が働けば必ずしも良い方向になるとは思いませんが、談合は決してエンドユーザーの利益にはならないと思います。

noname#136055
質問者

お礼

>私は競争なくして、エンドユーザーが納得する仕事のあり方は無いと思います。 これが普通の常識ですが 進化と言う競争の過程で、人間の得た知識や思考を活用するのではなく、知識や思考や無知まで使った競争と言う結果が正しいとなると、人間の知識のピンチでは。 談合がエンドユーザに利益を導けないのは本当なんだろうか。 勉強になりました、有難うございます。

回答No.5

悲観的じゃなくって、50年前の政治モデル経済モデルを現代と近未来に何の疑いも無く通用すべきと考えることは思考停止ですよ。 NPO勉強しましょうね。 町内会自治会青年会を積み上げていく政治が可能なまでに日本は成熟していますよ。 役人に大金の予算を使わせること自体が、制度疲労を起こしている面を指摘しているわけです。 支配者と非支配者という観点からすると、支配者は支配者のためにお金を使うのは当然、ただ、非支配者が文句を言わない程度の建前が必要ってことです。建前は被支配者が納得するかどうかがその有効性を左右します。少数のインテリが文句を言っても大多数の被支配者が納得してれば機能しているわけです。

noname#136055
質問者

お礼

やや、悲観的という言葉が善くなかったようですね。 問題は、談合すなわち悪・・・定義 定義は相談することは悪であり、人は競争するべきだ。 論理的に定義が世間で肯定されると言うことが、 下の文章の帰結を導くなら、感覚的な違和感が有ります。 例えば、「積み上げる」は相談なのか、選挙のような一種の競争なのか この辺りに関心があります。 此処での誤解は付き物ですから、ご勘弁を(笑。 有難うございました。

回答No.4

原則は入札ですが、その際仕様書がきっちりかけなくてはいけません。コンピューターシステムですと、この仕様書を書くという行為は非常に難しく素人では無理というのが理解されていますが、警察や法律のレベルでは、考えの及んでいない所です。 役人がサボっても問題を起こさずかつ威張ってかつ多少の恩恵をこうむれるのが談合です。 談合で無能のままえらくなってしまった役員に入札させると、後の不具合処理でかえって高くつくでしょう。どうでもいいところに気を向けて、大切な所を落としてしまうので、仕様書通りで一番安いものは、欠陥品です。欠陥品を作れといって、欠陥品を納入させるのですから、納入後は事故処理費用でかなり税金は無駄使いされてしまいます。そのまんま捨てるのが一番費用のかからない方法でしょう。 報道されるのは入札価格だけなので得したように思いますが、実際は高くついているんです。 この辺りを隠すのが、役人は上手ですし、マスコミも役人以上に知性がありませんから、理解不能で問題にはなりませんが。 きちんとした仕様書が書けない、受け入れ検査ができないのに、購入値段だけを取り上げるのはおっしゃるとおり無益なことです。また、このことは改善の可能性がないので、論じても無益です。

noname#136055
質問者

お礼

悲観的ですね。 指名入札には、事後処理というか、問題が起きたときの対応のできない企業を排除する、保険的要素もありますね、これも、役人がサボって楽しているのかな。 有難うございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

◆ 談合が成立する前提とも言える入札から考えてみました。 こういった制度にあまり詳しくはないので違うかもしれませんが、入札という形式の意図するところは「少しでも安い価格で仕事をさせる」ということだろうと思います。 つまり、基本的には「安ければ安いほど良い」ということであって、暗に「君達の利益より国民全体の利益の方が重要なのだよ」という大義名分によって支えられているということでしょう。 本質的な企業の目的は他を利することだろうとは思いますが、それも企業の存続があってこその話であることは小学生でもわかります。 入札という形式は、この点をないがしろにした不備の多い、いやもっとはっきり言うと良くない制度ではないでしょうか。 国民のために薄い利益で仕事をするよう強制しているわけですし、それはある程度やむを得ないとしても、問題は他社と『下限の無い競争』させているという点です。 いくら相手が大企業(恐らくは)とはいえ、多数(国民)のために少数(入札者)が犠牲になることを強いているのと同じことでしょう。 (犠牲的精神をより発揮したほうが常に勝者となるわけですから) ですからこの問題の本質は、「いじめられたからといって黙って犠牲になっている必要があるのか?」ということではないでしょうか。 大企業がいじめの対象者というのはなじまない構図かもしれませんが、結局そういうことになるように思います。 入札といういじめの制度に対して、いじめられっこが集まり苦肉の策として考え出したのが談合という形式ではないかということです。 ところがやってみたらいじめっ子も案外頭は悪いようで、形さえ整っていて国民に表面的な説明さえできれば特にうるさいことは言わないようだということに気付き、継続性も付与されたのでしょう。 時折、極端な無茶をやった会社やスケープゴート的狩りの対象となった運の悪い会社が罰せられることはあってもどのみち大したことではない。 会社的には自社他社含め、また家族的にもむしろヒーローとさえ言える。 というのが談合実行者の実態的認識であるのではないでしょうか。 ◆ 国は、 つまり政治家は、 つまりそれを選ぶ我々は、 欲をかきすぎているということでしょう。 素人の私としては、入札をやめて正当な対価を支払うようにすべきだと思っています。 無論、適正な査定額を提示して「安くやってもらう」ことをお願いすれば良いのです。 見返りとして企業名を挙げてその貢献度を国民に周知させれば、株価などにも反映されるのではないでしょうか。 ともかく、この入札というのは、古代ローマのコロシアムで奴隷同士を戦わせ生き延びたほうに報酬を与えたという制度と本質的には大差ないでしょう。 死にたくない奴隷同士が結束してお互いの利を図り、闘う振りをしていたからといって非難することが果たしてできるのでしょうか。 まとめると、 1、入札とは、多数の利益に名を借りたいじめであるため正当な競争とは言えない。 2、談合とは、1による被害を最小限に留めるために生まれた正当防衛的手段であって、当初の被害予定者が逆に加害者と認識されるような事態を招いたとしても、それは不可抗力的結果と言えるのであってその責を彼らに負わせることが適切な判断とは到底言い難い。 3、かといってこれを放置するのは明らかに不合理であるから、まずは初因である「入札制度」の是非、あるいはその内容について再吟味するのが正当な手順と言える。 大企業は心情的に好きになれない体質ですが、(恐らくは)深い部分を知らない素人が論理的に考えるとこの程度の結論にしか辿り着けないような気がします。

noname#136055
質問者

お礼

>大企業がいじめの対象者というのはなじまない構図かもしれませんが、結局そういうことになるように思います。 これはユニークな発想ですね。 確かに「応札」(入札に参加すること)見積もりなどに経費がかかりますね。 制度の是非に関して、良く考えてみると、正当な競争の結果は正当か?といった疑問も出てきますね。有難うございました。

回答No.2

こんにちは♪ 是非や善悪の話をするときは、 絶対的な善悪の判断基準がない以上、 「○○の観点からすれば」という 条件が必要に思えます。 「民主主義国家において、税金はできる限り  平等にかつ、効率よく分配されるべきだ。」 という考えを尊重するのなら 公共事業における談合は否定されるでしょう。 10円で作れるチョコレートの納入を、 業者みんなで話し合い、1億円で納入して 公共団体の役人を含め談合業者みんなで 分けるようでしたら、市場価格との差に ギャップを生じます。 市民は1億円のチョコレートを買った公共団体に 不満を持つでしょう。 この場合、Aの帰結がBではなく、不要な税金の 利用を招くですが・・・ 問題は、どのような観点から見た善悪であり 誰にとっての善悪かだと思います。

noname#136055
質問者

お礼

>是非や善悪の話をするときは、 お見事、やられましたかね(笑。 ただ、方法論的には、どうなのでしょう。 つまり、あるべき世界を、考えるのではなく、 競争に委ねるのだろうか? 有難うございました♪

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