• ベストアンサー

聖書上の『that』の用法を教えて下さい

新約聖書(New International Version)マタイ伝26章55節と56節に以下の記述が有りますが、『that』の文法上の用法を教えて下さい。(日本語訳は別の聖書からとったもので、New International Versionとは直接関係有りません。) Am I leading a rebellion, 『that』 you have come out with swords and clubs to capture me? あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。 But this has all taken place 『that』 the writings of the prophets might be fulfilled. しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである。 これらの2つの『that』は文法上同じものでしょうか。 これらの『that』を『so that』に置き換えることはできますか。

  • 英語
  • 回答数2
  • ありがとう数3

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

感覚の回答ですが、 一文目は、 Am I leading a rebellion, so that you have come out with swords and clubs to capture me? で、 二文目は、 But this has all taken place so that the writings of the prophets might be fulfilled. で、どちらも仰るとおりso that だと思われます。 用法は 1が結果、2が目的です。 具体的にみますと 説明の便宜上、一文目をまず平叙文にします。 I am leading a rebellion, so that you have come out with swords and clubs to capture me. 「私は反乱を起こしている(反乱軍を率いている)。その結果、おまえたちは手に武器をもってとらえようとやってきたのだ。」 これが疑問文になるのですが、 パッと見た印象で、通常の疑問文ではなく、このような自分の問いかけには、修辞疑問的意味(反語的要素)が含まれている感じがプンプン漂っています。 「私は反乱を起こしているというのか?おまえたちが結果的に今ここに武器なんぞ手にして捕まえにやってきているところをみれば?」「わたしゃ違うぞ!!」くらいですかね(笑) 二文目は、2つ気になる点があります。 (1)that節内にmightという助動詞がある点で、 so that ~ may などの「目的」表現であろうということ。 (2) that以下は、未来表現(may よりも推量の度合いが弱いmight)で、前半の主節が現在完了である時制の違いがある点で、因果関係をみても、that節内は「目的」が有効ではなかろうかということ。 で、 「予言者の書き物が実現されるためにこのことが起こってしまったのだ。」 つまり、 「このことが生じたのは、予言者の書き物が実現される目的があったためだ」 となると思われます。 このような題材は、もっと現代では把握しにくい構造を伴っているときが多くみられますが、意外と現代の文法で解釈ができるのだなぁと思いました。(間違っているかもしれませんが・・・。) ただ、一文目の 結果のso thatは、通常that省略です。 ただ19C~20Cの文献(そんなに読んでませんが・・・)でも、so を省略し、thatのほうを残す表現は存在します。この点が難しいと思います。 間違っていたらすいません・・・。

fanzhao
質問者

お礼

大変参考になりました。 前の文の『that』の前に『,』がありますが、このコンマが有るかないかで、意味に違いがでるのでしょうか。 前の文も後ろの文も、従文が主文を限定するよりも、叙述的要素が強いように思いますが。

その他の回答 (1)

回答No.2

第一文の解釈について。 文の意味の解釈自体はNo.1さんと同じことになるのですが、thatの用法については、別の見方をしています。 「[判断の根拠を表す副詞節を導いて](…する)とは、なんて」というヤツではないでしょうか。ジーニアス大英和に次のような例文が載っていました。 Am I a cow that he should offer me grass?「私に草をくれるなんて、私はウシかい」 イエスも「剣やこん棒を持って捕らえにくるとは、私は強盗なのか」(「わしゃ、強盗かよ?」って言ったら、雰囲気違いますよね^^;) とおっしゃったのでは。 なお、コンマの有り無しは、そこで一呼吸置くかどうか、ということだと思います。 ちなみに、so thatに関して言えば、一般的には「結果」の用法のときには、コンマを置く。コンマがないと、紛らわしさが生じる(「目的」とも「結果」とも取れる)ということになっていますが…実際には、その場の雰囲気で。

fanzhao
質問者

お礼

ありがとうございました。 『so that』の省略形ととるか、『that』の別の用法と見るかですが。『判断の根拠を示す』際にこの種の用法が用いられると言うことでしょうか。 しかしもう一つの文の方は「私がとらえられたのだから、これで予言者の書き残したことも実現するろう」と言っているように見え、『判断の根拠を示す』用法よりも、『結果』の用法に近いように思えます。

関連するQ&A

  • 聖書における「the」の用法、その1

    New International Versionマタイ伝23章2節には 「The teachers of the law and the Pharisees sit in Moses' seat. 」 と、「teachers」と「Pharisees」ともにtheが着いています。 しかし同じマタイ伝23章の13節以降に 「Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites!」 と言うフレーズが繰り返し用いられており、その際は「teachers」にも「Pharisees」にもにtheが着いていないのは何故でしょうか。

  • 聖書についての質問です。

     私はクリスチャンですが、聖書について、どうでもいいような事ですが疑問に思うことが2つあるので、質問させてください。 1、先日、ローマ書16章を読んでいたときに気付いたのですが、23節の後になぜか24節が無くて、25、26節と今度は番号がダブっていることに気付いたのですが、どうしてこのようなことになってしまったのか?聖書には旧約、新約ともに、何章何節と番号がふられていますが、そもそもあの通し番号は、いつ付けられあのでしょうか?そして、聖書の他の箇所にも番号が抜けていたりしている箇所が存在するのでしょうか? 2、新約聖書の4福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという順番になっていますが、この順番はどのうな理由で決められたのでしょうか?書かれた順ならば、マタイよりもマルコの方が早いと聞いていますが、どうしてでしょうか? 以上、ご存知の方教えてください。宜しくお願い意します。

  • 新約聖書にある預言者とは

    新約聖書 福音書について質問します。 新約聖書を読むと、随所に預言者の言葉が成就したとの記述があります。 たとえば、マタイによる福音書によると、 主が預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためにおこったのである。 “見よ、乙女が身重になって男の子を産み、人はその子をインマヌエルと呼ぶであろう。” ・・・・・・・・・・・・・ 預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。 “声がきこえた、-ラケルのはげしいわめきとなげきの声である。・・・・・” ・・・・・・・・・・・・・・ “彼はナザレ人と言われる。”と預言者たちをもって言われた言葉が成就するためであった。 ・・・・・・・・・・・・ “悔い改めよ、天の国は近づいた。”この人は、預言者イザヤによってこう言われた人である。 “荒野に叫ぶ者の声はひびく、主の道を用意し、その道をまっすぐにせよ。” ・・・・・・・・・・・・ このように、預言者の言葉が成就したと書かれていますが、その預言者の言葉はどのような本に載っているのですか。教えてください。

  • パッション  聖書に詳しい方教えてください!

    こんにちは、レポート課題で新約聖書に関する映画を 見なくてはならなくて、パッションを見ました。 それで、見た映画を考察しなくてはならないんです。 ”この映画は新約聖書のどこの部分が描かれている”など書かなくてはいけません。 それでネットで調べたんですが、この映画は 新約聖書の福音書を題材にしたのは わかったんですが、どこの章を題材にしてるなどは 詳しくのってませんでした。 一応、レビューした方が、 この映画はマタイによる福音書26章36節-27章56節、 マルコによる福音書14章32節-15章41節、 ルカによる福音書22章39節-23章49節、 ヨハネによる福音書18章1節-19章30節、の部分が描かれているのかな? と書いてあったんですが、あっているのかがわかりません。 聖書に詳しい方、教えてください。

  • 聖書における人称の用法

    New International Versionマタイ伝の以下の2つの節では、最初に「you」と二人称で呼びかけていますが、その後所有格「his」や目的格「him」に三人称を用いているのは何故でしょうか。  これは英会話の中で普通に用いられる表現なのでしょうか、あるいは聖書の中だけのことなのでしょうか。 (1)"Which of you, if his son asks for bread, will give him a stone? (MT:7-9) あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 (2)Who of you by worrying can add a single hour to his life ? (MT:6-27) あなたがたのうちだれが、心配したからといって、いのちを少しでも延ばすことができますか。

  • 新約聖書について。

    新約聖書について。 マタイの福音書1章1~17節にあるイエスキリストの系図があります。 アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、バビロン移住からキリストまで14代とあります。 何の気なしに見ていたのですが、ところどころ人が抜けていたり、数えても14にならなかったりします。 これは間違いなのでしょうか?

  • 聖書で目にされた表現『drink of~』の用法を教えて下さい

    New International Versionマタイ伝26章29節に以下の一節が有ります。 『I tell you, I will not drink of this fruit of the vine from now on until that day when I drink it anew with you in my Father's kingdom.』 WEB上で見つけた日本語版の聖書では、以下のように訳されています。 『あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない。』 もし「drink of~」で「~から造ったものを飲む」と言う意味になるとすると、アップル・ジュースもしくはリンゴ酒をのむと言う際、I drink of apple.と言うこともできるのでしょうか。仮にできるとすれば、日常的にこの種の表現が用いられているのでしょうか。

  • 聖書の動詞の用法について

    He said to them, How is it then that David, speaking by the Spirit, calls him 'Lord'? イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。 For he says, 'The Lord said to my Lord: Sit at my right hand until I put your enemies under your feet. ' すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。 If then David calls him 'Lord,' how can he be his son?" このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。 以上はNew International Versionマタイ伝22章43-45節の記述ですが、43節の「calls him 'Lord'?」、44節の「For he says」、45節の「If then David calls him」の3動詞は何故過去形ではなく現在形が使われているのでしょうか。

  • 聖書における仮定法の用法について

     New International Version版マタイ伝24章の22節と24節に以下の記述がありますが、何れも未来のことを述べているにも関わらず、前者には仮定法過去完了が、後者には仮定法過去が用いられているように見えます。  仮定法過去完了は過去の事実に反することを仮定する際に、仮定法過去は現在の事実に反することを仮定する際に、用いられると教わった記憶があります。  日本語版聖書の記述からすれば、仮定法など用いず、通常の条件節で十分ではないかとも思いますが、英米の一般英会話の中でも未来のことの記述に仮定法過去完了や仮定法過去が用いられるのでしょうか。あるいは特別な意味を表すためにこうした表現が用いられたのでしょうか。 22:If those days had not been cut short, no one would survive, but for the sake of the elect those days will be shortened. もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。 24:For false Christs and false prophets will appear and perform great signs and miracles to deceive even the elect--if that were possible. にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。  ちなみにNew Living Translation版では次のように記述されています。 22:In fact, unless that time of calamity is shortened, the entire human race will be destroyed. But it will be shortened for the sake of God's chosen ones. 24:For false messiahs and false prophets will rise up and perform great miraculous signs and wonders so as to deceive, if possible, even God's chosen ones.

  • 英語版聖書の一節の文法構造が分かりません

    マタイ伝27章14節(New International Version)に以下の記述が有りますが、『to the great amazement of the governor』の文法構造を説明していただけないでしょうか。 また『not even to a single charge』の“not”は無くても良さそうな気がしますが。 But Jesus made no reply, not even to a single charge--to the great amazement of the governor. しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。(日本語訳はNew International Versionとは無関係です。)