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戦国時代の火縄銃の威力についての質問

nacamの回答

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.21

議論が、論点からかなり外れてしまっています。 caesar-x2氏の、歴史認識の全く欠如したお考えには、あきれるのを通り越して、感心してしまいます。 とりあえず、今回を最後に、caesar-x2氏のバカな発言には、回答しない事にします。 caesar-x2氏は、質問者の質問をまともに読まず、時代区分を考えずにありえない発言を行い、それを批判されると、ご自分で発言した内容とは、異なる発言を繰り返し、間違いを指摘されると、逆切れを繰り返しています。 そもそもの間違いは、5番のあなたの書き込みです。 5番をよく読んでみてください。 ご自分で言われている事がの論理が矛盾している事にきずきませんか? >日本ではそれが行われなかったので、有効に活用されていたかどうかも 含めて未知数のところがあります。 と言っておきながら、 >一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。 と言っています。 日本では有効活用されていないのに、敵兵の60%を殺傷するのですか? 日本の戦国時代の話しですよ。 どこの部隊が、60%の死傷者を出したのですか? 関が原の時の島津隊は、それ以上の死傷者をだしていますが、あれは一般ではありません。 また、なぜ、火縄銃の世界に、フリントロック銃の実験結果を持ち込んで、火縄銃の効果を主張するのか、意味不明です。 caesar-x2氏は、 >戦国時代に最も長射程で足軽でも簡単に扱えて、名だたる大将を討ち取ることもできる、有効な武器であるということがわかりませんか? と15番で言いながら、20番では、 >織田信長も鉄砲で3度ぐらい暗殺されかかったし、武田信玄は鉄砲で狙撃されたのがもとで死んだという説もあるし、鉄砲の有効性の一つの証明じゃないか。 と言っています。 15番では、合戦の話をしているのに、20番での論拠は、暗殺の話に摺り返えられています。 暗殺用の武器しすれば、鉄砲が有用な兵器である事は、自明の理です。 それは、私が18番で述べているとうりです。 ただし、それは暗殺の場合であって、合戦の主力兵器とは別物です。 >南北戦争のころまでそういうオトロしい戦術が実際につかわれていたわけで、 南北戦争は、何年の話? 戦国時代の話に、南北戦争の事例を出して何を言いたいのか理解できません。 >小部隊の鉄砲隊が銃剣やフリントロックでないと布陣できないとすると、上杉の300名の鉄砲足軽や、武田の500名の鉄砲足軽は、立つ瀬がなくなるんじゃないの? バカに付ける薬はありませんが、ほんとうにどうしようもないですね。 鉄砲部隊は、300名でも、通常その倍の槍兵がいるから、鉄砲300名であれば、600名の槍隊がいて、約1000人の部隊になります。 雑賀等の場合は、野戦ではなく攻城戦ですから、槍隊は必要ありません。 >「フリントロック式小銃は、18世紀」と言い「1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます」って言ってるからなぁ・・・いったい何のことなんでしょう?・・・これがまさに支離滅裂っていうんじゃないのかなぁ。 論理が矛盾しているのは、どの点なのでしょうか? 17番のk762氏によりますと、 >フリントロックは1648年に発明され ですから、フリントロック式銃が主流になるのは、1700年代ですし、(それ以前に無かったとは言っていません)、バヨネットもそのころです。 1700年代は、18世紀ですよ。17世紀と勘違いしていませんか。 現在の2005年は、20世紀ですか?21世紀ですか? そこまで、痴呆が進んでいるようですから、病院に入院される事をお勧めします。

tetujin23
質問者

お礼

お疲れ様でした。お二人の議論大変勉強になりました とりあえず、これにて打ち止めにさしていただきます。 議論合戦楽しんで頂きましたか?疲れましたか? 私としては、歴史の教科書が示す程鉄砲が戦国期において革新的影響を与えたかどうかが知りたかったので 質問さして頂きました。結論はかなり革新的だったようですね。(この点はお二人とも意見は一致してたようで)とりあえず教えて頂いたお二人には感謝を捧げます。それでは、またの機会に...

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