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戦国時代の火縄銃の威力についての質問

ss79の回答

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  • ss79
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回答No.8

戦国期の鎧は馬や牛の皮を漆などを塗り硬くしたものを重ね縫い、嚇し糸で形を整えたもので、胴などを保護する一体型の胴丸(剣道具のような)は胴丸鎧と別な呼称で呼ばれる位でした。 鉄は資源的にも高価でしたからこれを使用する事は主将クラスでなければ使用できなかったのです。 従って兵力の大部分は弓矢を防ぐ程度の鎧でした。 矢はよほど急所に命中しなければ致命傷にならず、数本の矢を受けても行動の自由を失うまでに至らなかった例も多いです。 この為、弓組の心得に、敵が引き絞った矢の先端に近ずくほどの矢頃になるまで近付いてから射るのを心得よという程でした。 鉄砲の威力はこのような鎧を貫通するので比較にならない程のダメージを与えますし、丸い鉛玉は命中の衝撃で変形し大きな傷を与えますから致命傷に近いことになります。 鉄砲の威力を試す為胴丸鎧を的に試射した話は聞いたことがありますが、命中して穴があいた鎧が現存している筈です。 前装式の鉄砲は装填し易いように口径が大きいのが普通で鉛玉も大きくなります。  有効射程は100m程とされますが実際はそれ以上まで飛びますから密集体形で接近して来る敵には誰かに命中する可能性はあります。 自分の身近でバタバタ味方が倒れた場合、前進の意欲を失う事は十分考えられます。 秀吉の朝鮮に討ち入りした時の緒戦の大勝利は鉄砲の威力による事が多かったのですが朝鮮側が鉄砲の製造を学んで対抗してきたので末期は敗北することが多かったようです。 決して世界一の軍隊ではありません。

tetujin23
質問者

お礼

ありがとうございす。 良くわかりました。やはり主将クラスでなければ粗悪 な鎧だったのですね、それならば強い殺傷能力のあるし歴史の教科書にあるとうり、鉄砲の使用は革新的なものだということがわかりました。それならば各大名が大金をはたいて高価な鉄砲を仕入れるということも納得いきます。

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