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戦国時代の火縄銃の威力についての質問

caesar-x2の回答

  • caesar-x2
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回答No.20

もう書かんつもりでしたが、とことん論点がズレてますからやっぱりはっきりさせます。 結局あなた(nacam)の結論は鉄砲は革新的効果がなかったといいたいわけですか? そしてその根拠は射程が100メートル以下だからというのが理由らしい。 にもかかわらず届く範囲が5メートル以内で殺傷力も低い槍は評価するわけですねよ? この恐るべき矛盾がどうしてわからないのでしょうか・・謎です。 そして実際に鉄砲が普及したという事実は無視ですか。 重箱のすみをつつっくような書き方をしているせいか、今回の書き込みは特にあなたの過去の発言に矛盾しているだけでなく、結論が逆転すらしてますよ。ジョークなら意外と笑えます。 4発云々の話はフリントロック式の話なのになんで槍隊がでてくるのでしょうか・・・18世紀のヨーロッパの話でしょ。いきなり銃剣のないどこかの軍隊の新しい話題ですか?・・しかし(必ずしも事実とは異なるけど過去の発言で)「フリントロック式小銃は、18世紀」と言い「1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます」って言ってるからなぁ・・・いったい何のことなんでしょう?・・・これがまさに支離滅裂っていうんじゃないのかなぁ。 ちなみに18世紀前半なら一糸乱れぬ歩行と一斉射撃の時代でしょう。号令で動作するから4発なんて絶対無理。18世紀後半から各個射撃や散兵の時代になるわけですが、横隊戦術では野戦で横隊同士が向かい合って何分どころか、何時間も撃ちあったんですよ。 なんと南北戦争のころまでそういうオトロしい戦術が実際につかわれていたわけで、フレデリックスバーグは特に(最悪のケースとして)有名ですが、とにかく横隊の銃撃戦が2分で終わるなんてことはないね。知らないようだけど。 「戦場では、敵が突撃してきたら、射撃後槍隊の後ろに下がりますので、1分程度射撃すれば、十分です」とあなたが言うのなら、やっぱり鉄砲は効果的なんじゃないの? 矛盾ですね。 いったいどっちなんだと強くいいたいですね。それが結論になるでしょう。 ヨーロッパ人にはできるるけど、日本人にはできなかったというのでしょうか? 先頭にいる鉄砲足軽は突撃した敵の槍足軽に黙って切り殺されたというのでしょうか?ちがうでしょ。 それとも4発なら十分で2発なら不十分というのが、あなたの判断なのでしょうか? もしそうならなんで4発なら十分になるのか説明がほしいね。 ちなみにフリントロック式でも銃撃だけで突撃を止められる保証はありませんよ。隊形戦術の場合は突撃が止まるかどうか士気が大きく影響するし、有名な老近衛隊の突撃を止めた英近衛旅団の銃撃は拡張横隊をつかったもので、側面攻撃をしたからです。それはつまり火線を交差させるということであって、英軍の薄い2列横隊のファイアーパワーを最大限に生かす隊形としてムーアが考えたもの。 小部隊の布陣ってあまりに非論理的なので理解できませんでした。やっぱり人間、論理的であると想定しているものだから。 しかし小部隊の鉄砲隊が銃剣やフリントロックでないと布陣できないとすると、上杉の300名の鉄砲足軽や、武田の500名の鉄砲足軽は、立つ瀬がなくなるんじゃないの? 雑賀衆や根来衆だって、小部隊で活動しますけど・・もっと少ない鉄砲足軽隊もあるよね。 伺いますが、鉄砲足軽は何人ぐらいじゃないと配置を許されないのでしょうか? 貧乏大名は我慢してその数に達するまで火縄銃を買い貯めなければいけなんですね!たとえば石つぶて隊の代わりに二十名程度の鉄砲足軽を出そうとすると、危ないから駄目と制止されるわけですね。 何て厳しいルールなのでしょうか。知らなかった。きっと戦国大名も全員知らなかったと思いますよ。そんなルール。 あんまりオバかな話なんでスルーしようと思ったけど・・痴呆症? そうかあなたは認知症なんですか、お大事に。 弓の殺傷力が高くないとは日本弓道界に対する侮辱に近いね。ハハハ。弓こそ鎌倉武士の主力武器ですよ。 何で60メートルか知らないようだから教えると、遠的競技の射距離が60メートルなんだよ。もっと遠くも飛ぶけど、狙ってあてられるのは名手だけ。定義上の有効射程は命中率50%の距離を言うから、有効射程はもう少し短いけどね。 1メートルの距離で発砲したらどうなります? 確実に命中するでしょ。その距離で命中したら、まず致命傷ですよ。死ぬじゃないか。たとえ話とはいえ、もっとイマジネーションを働かせてもらわないと困るね。槍では相対しても殺せるかどうかはわからんけど、銃なら引き金をひけばいいだけで、武術も腕力も経験も関係ない。そういうことを私は何度も何度もいってますよね。やっぱり認知症だからかな~何度言ってもわからない。 大将って別に総大将って意味じゃないよ。武名の誉れある武将って意味です。繰り返しになるけどそういう 強い人も、鉄砲なら雑兵でも討ち取れるってことを言っているわけ。論旨ってものがあるんだから。流れを読めよ流れを。 しかし織田信長も鉄砲で3度ぐらい暗殺されかかったし、武田信玄は鉄砲で狙撃されたのがもとで死んだという説もあるし、鉄砲の有効性の一つの証明じゃないか。 「合戦に勝利する事と、大将を討ち取る事とは別の事」って書いているけど論旨と全然関係ないね。ついでか? 書いてることはそりゃそうだろ。 痴呆症に健忘症ですか、そりゃあ大変ですね。こっちは一人でスカッシュしてる感じ。一方的に点がはいって困ってる。 それからk762さん、私が火縄銃と書いているのはポルトガル人がアジア各地に伝えたタイプ(つまり頬撃ち式)のことです。 もちろんマッチロック式には肩撃ち式もありますよね。

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