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戦国時代に騎馬隊の役割と六角氏の軍役と城割、浅井長政の関連性についての質問
- 戦国時代の騎馬隊の主な任務は輸送であり、戦闘にはあまり参加していなかったが、機動力や打撃効果も求められていた
- 六角氏の軍役は具体的な情報は不明であるが、100貫所有する者には一定数の兵を率いさせた可能性がある。城割は六角氏が城を所有している者に対して課税する制度である
- 浅井長政は肥田城攻めの段階で既に六角氏から独立しており、肥田城攻めにも関わっている。また、野良田で初めて六角との戦に関わった可能性もある
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騎馬兵の存在は(組織的運用)存在しなかったというのが、最近の考え方でしょう。 この時代の馬そのものが、モンゴルの草原を駆けるような体躯的になってないのですよ。 山岳に適するように後ろ足が発達しておりまして、ハイスピードで走ることはできない。 信長が桶狭間の時、清洲から熱田まで2時間かかっていますよね。時速で8kmぐらい(笑)。 短時間なら35Kmぐらい出せるようです。それ以上走るとたぶん死ぬでしょう。 その、信長公記のある合戦の記述の中に、戦闘中は馬を後ろに下げて、徒歩で戦っているさまがあります。 つまり、とても高価だったということです。 それと、その時代の道ですか、馬2頭が並んで通れる道がそもそもありません。 騎馬隊(隊という言葉もありません)が通れる道が日本の国にはなかったわけです。 武田家の軍役では50貫で騎馬1 徒歩兵8人 ですから元から騎馬隊は存在できません。 北条家の軍役も50貫で騎馬1 旗持1 鉄砲1 槍2というところです。 浅井については、新しい文献が出てからでしよう。
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- tanuki4u
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1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99 足軽隊の戦闘で手薄になった箇所への突撃・突破とそれに対する逆襲 ※ 古代ローマ時代の騎馬兵の機動力ではない 上記の例は、江戸時代になり整備された段階でのものだが、戦国時代は江戸時代以上に大名戦力は国人連合の色合いあが強く、各国人が連れてきた兵力を大名が集約運用することはなかった。 2 http://blog.goo.ne.jp/hikonejou400/e/04718b287cd6a8f2116a2e0103d0620a http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%89%AF%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
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回答ありがとうございました!
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