浅井長政の人物像

このQ&Aのポイント
  • 浅井長政とは信長の妹を妻に迎えるなどの縁続きから天下になる可能性もあったが、優れた武将であるにもかかわらず信長と連携しなかった理由について疑問がある。
  • 長政と信長の根本的な違いには、世の中の流れを読める優秀な部下がいなかったことが関係している可能性がある。
  • 長政の不遇な運命は小田と朝倉の因縁に巻き込まれたことが一因であり、普通の武将である長政にとっては不運だったと言える。
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浅井長政の人物像

何を質問していいのか、自分でも漠然としていますが、小本を読んでいて、「浅井長政」のことが気になりました。それで少し、ネットで、調べてみたのですが、せっかく信長の妹をもらっているのだから、上手に立ち回れば、成り行きによっては、「天下」だって……という印象も持ったのですが、基礎的な知識がないままに、下記のような疑問や印象を持ちました。 1 長政は、優れた武将だったと感じたのですが、信長と連携しなかったのは、「世の中の流れを読める優秀な部下がいなかった。」と理解してもよいでしょうか???それとも、本人の資質ですか??? 2 「世の中の流れを読める優秀な部下がいなかった。」ということに一因があるとすれば、このことが、「信長と長政の根本的な違い」と理解してもよいのでしょうか??? 3 それとも、長政本人は普通の武将で、ただ不幸だったというか、運が悪かったのは、「小田と朝倉の因縁に巻き込まれた。」だけだったのでしょうか??? 4 漠然とした印象ですが、長政って、戦国時代の殿様としては、「やさしすぎる」というか、「生まれてくる時代を間違えた」のではないか???

noname#247736
noname#247736
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回答No.2

信長は地方の由緒ある豪族との血筋を望み、近郊の浅野長政に目を付けました。乱波の情報では「武将としての器は無いが、政治家としての能力は超一流」とのことで絶世美女である妹を嫁がせました。信長は戦乱の夜が明けた後の有能な人物を集めたかったのです。長政も今風の考え方で信長という新進気鋭の若社長に一生付いていこうという気持ちだったのです。当然、天下取りの気持ちは微塵すらありません。しかし隠居した長政の父、久政はコテコテの戦国武将で、隠居しても家内では未だ力は持っており、縁故ある朝倉家を裏切るとはとんでもないという考えでした。当初は、長政も朝倉家侵攻派でしたが、結局は久政の意見を飲むしかなかった「頼りない男」だったわけです。最後は逆ギレして信長に歯向かう決意をしました。仮に長政に「有能な家臣」がいて諫言したとしても長政は父親には歯向かうことが出来なかったのです。信長も当初は朝倉家もすぐに服従するとの思いでしたがなかなか上手くいかず、信長包囲網が形成されつつあったため、結局、本意ではなかった朝倉侵攻を急いだわけです。 実際、父の久政は信長の天下取りには好意的だったのですが、朝倉家がどうしても織田家に服従せず、信長もそれなら滅亡させるなんてこと言うから「仕方なく」反信長に考え方を変えたのです。それが頭が古い戦国武将の考え方だったのです。朝倉家が素直に織田家に服従しておれば、浅井長政も信長の右腕として腕を揮ったことでしょう。 残念・・・(ノД`)シクシク

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 「信長は地方の由緒ある豪族との血筋を望み、近郊の浅野長政に目を付けました。」……そうなのですか???単に「信長の戦略」だと思っていました。 「武将としての器は無いが、政治家としての能力は超一流」……そうですか???「逆じゃないかなぁ???」という印象を持っていました。よくわからない人物なんです。もっとも、私も専門家ではないので、「わからないのが当たり前」、自分の奥さんでさえも「どんな人なのか???」なんて感じることもありますね。笑 久政はコテコテの戦国武将で、隠居しても家内では未だ力は持っており、縁故ある朝倉家を裏切るとはとんでもないという考えでした。……そうでしょうか???私は、「久政って、戦国武将じゃなかったし、その部下たちも戦国時代を読めなかった。その被害を受けたのが長政だったのではないか???」と感じたのです。 それが頭が古い戦国武将の考え方だったのです。……頭が新しくなくては生き延びていけないのが「戦国時代」だったのではないかという気がしています。

その他の回答 (1)

回答No.1

異説もありますので、何とも言えないのです。 長政自身は信長に歯向かうつもりは無く、家臣の一部と父親の久政が勝手に動いた説もあります。 隠居したとはいえ久政の言うことは絶対だったそうです。 斎藤義龍が父の道三を討ったように長政は父を討ったり幽閉したりは出来なかったようです。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 斎藤義龍が父の道三を討ったように長政は父を討ったり幽閉したりは出来なかったようです。……下剋上の時代です。武田信玄もそうですが、「殺さなくてもよいけど、もう、後に影響を及ぼさないように徹底的に処理する」ということが、長政には欠けている「優しすぎる」面があるように感じました。

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