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戦国時代の火縄銃の威力についての質問

nacamの回答

  • nacam
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回答No.11

6番です。 9番の方は、勘違いされています。 戦国時代の鉄砲は、あくまで補助兵器で、主力は槍です。 それは、同時代の西洋でも同じ事です。 当時の鉄砲では、歩兵の突撃を全く阻止できません。 そのため、前線には槍隊を配置したり、防御施設を作り、歩兵の突撃を防ぐ事が必要でした。 火線が交差し、十字砲火により突撃を阻止できるようになるのは、連発銃が一般に使用されるようになってからです。 突撃の間に、一発から2発しか発射できない鉄砲には、突撃を抑える力がありません。 また、通常鉄砲隊は、2列ないし3列縦隊で使用されます。 それは、火線を厚くするためですが、縦隊を取り、火線を厚くすると、側面が開いてしまうのが欠点で、そのため、縦隊と横隊をいくつにするかが、各軍の悩みになっていました。 火線を交差した陣をひくのは、防御側で、攻撃側には、そんな事はできません。 防御側は、防御拠点として、陣地を作り、そこで待ち構えている間だけ、火線陣地の恩恵を受けます。 この場合、陣地が敵歩兵の突撃を阻止しますので、槍兵は、最小ですみますが、攻撃には、全く役に立たず、鉄砲は、補助兵器として分類されてしまいます。 >フリントロック式と火縄銃(マッチロック式)の違いは点火方式と、肩撃ちと頬撃ちの違いだけなので、同じ前装滑腔式の小銃という意味では、性能に大差はないんです。 9番の方は、専門家としていますが、フリントロック式銃を勘違いしていませんか? 9番の方が言われているのは、ホイールロック式銃のことで、フリントロック式銃と、マッチロック式銃(火縄銃)は、全く別物です。 フリントロック式銃が現れるのは、18世紀に入るころで、戦国時代(16世紀)には、フリントロック式銃は、ありません。 有ったのは、マッチロック式銃とホイールロック式銃(火縄を使わない方式)です。 1600年代後半に、ようやくホイールロック式とフリントロック式の中間ともいえるスナップハンス式銃が現れ、ホイールロック式につながってゆきます。 フリントロック式銃と、バヨネットの出現により、初めて槍兵が消えるのです。 バヨネットの有効性は、現在でも、建物の中での接近戦や、森林地帯、塹壕などでの戦いでは、有効です。 ただし、現在では主兵器とはいえませんが。 西洋においても、火線防御が効果を現し、実用化されるのは、1600年代後半です。 それは、銃の射程が伸びた事により、可能となります。 日本の戦国時代の火縄銃の有効射程が、100m程度では、有効な火線防御陣地はつくれませんでした。 特に大砲の装備がほとんど無い日本においては、火線の考え方が有ったのかさえ疑問です。 私が、横隊3000人と言ったのは、 >百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。 これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます この発言に対しての反論です。 有効射程100m程度の鉄砲隊を、1000人で撃つとすれば、横隊でしかありえません。 それを皮肉ったのに気付かれないようですね。 日本の戦国時代に、火線陣地や、フリントロック式銃を持ち出す事に、違和感を感じます。

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