• ベストアンサー

戦国時代の火縄銃の威力についての質問

nacamの回答

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.6

戦国時代の火縄銃に対して、攻め込む側は、竹を束ねた物を持ち、弾除けとして利用しました。 最前線の兵士が、弾除けを持ち、その後ろから武装した兵が進みます。 当時の火縄銃の有効射程距離が100メートル程度ですから、火縄銃だけで、十分な殺傷力を持つことはできず、戦いの主力は槍部隊になっていました。 そのため、鉄砲部隊の割合は、3割程度に抑えられていました。(槍兵は、6割程度) これは、西洋でも同じで、同時代(155年代後半)西洋最強を誇ったスペイン軍の陣形テルシオで、銃兵は1/3にしかすぎず、槍兵が2/3を占めています。 銃の進歩とともに銃兵の割合は増え、30年戦争時代には、1:1になり、1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます。 5番の方の言われる、フリントロック式小銃は、18世紀の話で、日本の戦国時代にフリントロック式小銃は無く、比較される事に抵抗を感じます。 また、 >第二次世界大戦まで、連射できる小銃は主力兵器ではありませんでした これは、明らかに誤りで、日本軍だけが当てはまり、日露戦争以降、機関銃が主力兵器となっています。 第一次世界大戦など、塹壕と機関銃の戦いとなっています。 また、 >百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。 これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。 これも全くありえない話で、鉄砲3千丁を用いたとされる長篠の戦いでも、三千の鉄砲隊を肩幅60cmで一列に並べたとして、1.8Kmにしかすぎません。 これでは簡単に側面に回りこまれてしまいます。 さらに、当時の鉄砲の有効射程距離が100m程度ですから、鎧を着込んでいたとしても、1分程度で到達してしまいます。 当時火薬と弾をセットにした物を使っても、一発ないし2発の発射が限度で、とても敵兵の突撃を阻止できません。 そのために、槍兵が必要になります。 銃だけで敵兵の突撃を阻止できるようになるのは、機関銃の発明以後になります。 (小銃では、現在でも敵の突撃を阻止できないため、バユネットが今でも使われています)

tetujin23
質問者

お礼

大変勉強になります。 鉄砲が3割.鎗が6割ということは後1割が弓と刀ですね。

関連するQ&A

  • 「敵がいる!」←火縄銃ですぐ撃つ?

    戦中の火縄銃での戦い方を調べています。 大坂の陣など戦国時代末期の頃の戦を想定してみてください。 戦っている最中、ふと見ると自分の隊に敵兵が数人侵入してきたのを発見。 このままでは味方軍が危ない、だが走っていって捕まえるのは困難。 その場合、とっさに火縄銃で侵入者を撃つ…ということは当時あったのでしょうか? これよりもう少し前の時代だと隊列を組み、順番に撃ったというのは聞いたことがありますが、 大坂の陣くらい時代が後になっても刀や槍のように敵を見つけたら即攻撃とはいかず、 列を組み、撃てといわれたら撃つ、という戦い方だったのでしょうか。 「困ってます」レベルを選択して申し訳ないです、 ケガをしてしまい、図書館などに行けなくなってしまったのですが ここがわからないとどうにも作業が進まなくて困っております…

  • 火縄銃の早合について

    戦国時代の火縄銃で速い装填速度を実現させる為に考案されたという早合に関しての質問です。 同様の物が西洋でも使用されていますが、これに関しては日本の方がが出現が早いという認識を持っています。16世紀末に立花宗茂の隊によって世界で初めて使用されたという認識を持っていますが、これであっているのでしょうか?

  • 戦国時代前半の戦について教えて下さい

    NHK大河ドラマ毛利元就などの合戦シーンでは 最前列の長槍を振るう一兵卒までも「豪華絢爛な武者鎧」を着用して戦っています。 本来、徴兵された農民兵などが城主から貸し与えられた簡素な武具を着用して 戦に赴いていたのが現実かと思っていました。 NHK大河ドラマは作者の作話が多々入り込んでいるのは理解していますが、 この毛利元就の時代の戦は一兵卒までも「豪華な武者鎧を着用していたのでしょうか? 時代考証がスタッフにいるはずですからデタラメな合戦シーンは放映しないと思うのですが・・・ どなたか歴史に詳しい方回答をお願い致します。

  • 火縄銃が国内の戦で最初に使用されたのはいつ、何の戦いだったのでしょうか

    火縄銃が国内の戦で最初に使用されたのはいつ、何の戦いだったのでしょうか。 また、国産品だったのでしょうか。 火薬はどのようにして調達したのでしょうか。 技術史系のある本では、 「薩摩の島津、豊前の大友、安芸の毛利氏など西国の戦国大名が守護大名を打倒した合戦で初めて鉄砲が使われた。天文年間の終わりごろだろう」と書いてあります。 Netではいろんな情報が飛び交って、どれが正しいのか判断できませんでした。 正確なところは不明のような気がするのですが、詳しい方、教えてください。 よろしくお願いします。

  • 戦国時代の合戦や情報に関する疑問

    こんにちは! 私は戦国時代が好きで、よく戦国時代に関する本を読んだりします。 この間なんですが、暇潰しに散歩をしている時に戦国時代に関する疑問が浮かんだので質問します。 何の疑問かと言うと、まず合戦についてです。私はよく散歩するのですが、短いルートでもかなり家に戻るまで時間がかかります。そこからふと戦国時代の合戦をイメージしてみたんですが、戦国時代の合戦というと、右翼から中央の味方を救援するために横槍を入れたとか、某城を攻めさせている味方を呼び寄せ敵にぶつけるとか…とにかく巧みな部隊移動で合戦が行われてますよね?でも不思議なんですが、現代の整備された散歩でも移動にかなり時間を要します。ましてや戦国時代ですから、道も悪かったと思います。すると、部隊に横槍を入れさせるとか、味方を呼び寄せて敵にぶつけるとか、本当にできたのでしょうか?特に横槍なんかは、横槍を入れようとしても、敵の横に行くまでに時間がかかりますから、敵に横から攻めるというのがバレてしまい、あまり効果がないような気がします。 あと、情報についても不思議だなと思ったんですが、現代の情報化された社会でも某県の県境に人間が100人いる、なんてなかなか把握できませんよね?戦国時代だったら、それは敵の侵入を意味しますから、迎撃しないといけないと思うのですが、敵の侵入を把握できるほど情報化は進んでいたのでしょうか?あと、把握しても実際に現場に間に合うのか疑問です。 私の疑問は以上です。今までゲームとかの神の視点(合戦を上から覗いた)のような感覚でしか戦国時代を考えていなかったのですが、人間の視点だとかなり視点に限界があるように思え、疑問に思う点がありましたので、どうか教えてください

  • 昔の中学校の国語の教科書に出ていた話ですが、

    戦国時代のような場面設定で、朱色の槍と黒い鎧を身につけた勇猛な武将がいて、いつも戦で活躍していた。 ある日、若武者がその鎧と槍を使わせてくれと、言い出して、快く貸してやると、勇猛に闘った、 そして、その武者が地味な鎧などの出で立ちで合戦に出ていくと、次々と雑兵が襲ってきていつもよりとても手強く、結局討ち取られてしまった…。 という話の題名と著者をご存じの方は教えて下さい。 またもし、著者が何を言いたかったのか意図が分かる人は、教えてくれると有り難いです。

  • 戦国の百兵戦闘について

    鈴木正哉さんの書いた「鉄砲隊と騎馬部隊」という本をよく読みました さんの論旨を見れば、戦国時代の死傷者というのはほどんど(60~80%ほど)鉄砲あるいは弓矢より出た、と思いそうです その根拠として「軍忠状」をあげています。なるほど、当時の死傷者の調子とは、鉄砲と弓矢と代表された「遠射」による被害がもっとも多いそうです。さんはこれを統計として見せます でも、1984年、「武器の進化(The Evolution of the weapons and warefare)」という本を書いたTrevor Duppyさんによると、各々の武器でできた「致命傷指数」の程度は下にあります 刀あるいは槍ー23% 火縄銃(arquebus)ー10%(日本のことにもっと近かったです) 火縄銃(musket)ー19% もちろん、この資料は西洋の場合でしょう。でも、常識的に思うとも、乱射のうちに一つ、二つの弾丸と矢のすれる場合(遠射戦)がある一人の敵兵を狙って攻撃する場合(百兵戦)に比べれば、どちらの戦闘方式がもっと威力的なのかは明らかに触れてあります。 即ち、鈴木さんはその統計を根拠によって、「戦国には鉄砲と弓矢が戦いの主軸だった」と論じていますが、「質実的な戦闘力被害」の方だけ見ると、むしろ確かな殺傷のできた「百兵戦も大切な戦力だった」と取り上げることも可能ではありませんか

  • 戦国時代の火縄銃の威力について。

    現代の拳銃弾より威力があるって聞きますけど本当ですか? 大口径の火縄銃なら現代のボディアーマも貫通できますか? 詳しい解説をお願いします。

  • 戦国時代に関する質問です

    質問が複数あるので、題名を曖昧にしてしまったことをまず最初にお詫びいたします。 (1)戦国時代の騎馬隊について質問です。 本格的な文献を読んだ訳ではないですが、ある本で戦国時代の騎馬隊は輸送が主な任務であり、ドラマのように騎乗したまま戦ってはいなかったと知りました。 そこで思ったのですが、騎馬隊の主な任務が輸送であっても、少しは騎馬隊として戦いに参加していたと思います。騎馬隊が戦いに参加する際、どのようなことを求められていたのでしょうか?やはり機動力でしょうか?それとも、騎馬で人を跳ね飛ばす等の打撃効果でしょうか? (2)六角氏の軍役と城割について質問です。 六角氏の軍役を具体的に知ることは不可能でしょうか?特に100貫所有する者に対して、何人の兵を率いることを要求していたかなどが知りたいです。 また、城割という意味が良く分かりません。六角氏が城割をしていたと聞きますので、六角氏を例に説明していただけると助かります (3)肥田城攻めと野良田合戦における浅井長政の関連性について 浅井長政は周知の通り、六角氏から後に独立します。そして、それに怒った六角氏が浅井氏と交戦するわけですが…この二つともの合戦に浅井長政は関連しているのでしょうか? 質問を分かりやすく言いますと 肥田城攻めの段階で既に浅井長政は六角氏から独立しており、肥田城攻めにも関わっている。 または、肥田城攻めの段階では浅井長政は独立しておらず、野良田で初めて六角との戦に関わったのかという質問です。 どうか、回答のほどよろしくお願いいたします

  • 戦国の騎馬は農耕馬?

    戦国期の軍用馬について教えてください。ドラマや映画で戦闘シーンで使う馬はたいていサラブレッドなど西洋産の馬です。戦国時代に日本でそんな馬はいないのでは?したがって農耕馬やそれを改良した種だったのではと考えています。 重い鎧兜の武者を乗せて短躯の国産馬が戦場を駆け回れたのか疑問です。源平合戦の鵯越え(崖を馬で下り奇襲した)は作り話なのでしょうか。武田騎馬軍団もそうなのでしょうか?なぞが多いです。ご存じの方は教えて下さい。お願いします。