• 締切済み

移民の背景について、教えてください

buchi-dogの回答

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.5

移民が生じた原因は、各時代において「日本の生産力に比して日本の人口が多すぎたから」です。なお、これが最も深刻であったのは、昭和20年から30年頃の時期、次いで昭和戦前期であり、明治や大正ではありません。 日本の人口は、明治維新の頃の約3千万が、昭和の初めには2倍の約6千万に増えました。敗戦によって外地から日本人が引揚げてきた段階では、さらに増えて約8千万になっていました。高度成長期にさらに人口が増えて1億人を突破し、現在の1億2千万でピークに達したとされています。 戦前の日本で国外への移民圧力が生じたのは、 * 人口が倍増したが、耕地面積はほとんど増えていない。農業技術の向上による収穫増大を考えても、2倍の人口を農業だけでは養えない。 * 農村の余剰人口は、都会に流出して労働者になった。しかし、第一次大戦後の長期不況(欧米では好況でしたが、日本は長期不況に悩んでいたようです。その後、アメリカの大恐慌に端を発する世界不況で、日本の不況が深刻化しました)で、労働力の余剰感が強まった。 * 結果、農村・都市の双方で、大衆の生活水準の伸び悩み・低下が見られた。 といったことによるものです。典型例が、飢餓線に近い低生活水準であった東北の農村の惨状です。この時期、冷害による不作が続いたことも悲惨さを拡大しました。 海外への移民募集は「地主になれる」「金を貯めて故郷に錦を飾れる」ことを謳ったものが多かったようです。実際は、宣伝と実態が大きく違うものが多かったようですが。移民先は、 ハワイ->アメリカ本土->中南米->満州 と推移していきました。なお、日本の「植民地」とされる朝鮮への農業移民は行われませんでした。最後の満州移民が一番成功したといえますが、日本の敗戦と共に凄惨な終末を迎えました。満州の開拓団員の被った悲惨は、日本史上空前絶後のものです。 戦後は、日本の国富が大きく損なわれたこと、海外からの引揚者(一文無しで帰ってきた人が多い)が戻ってきたことにより、高度成長が始まるまでは、人口問題の解決は戦前以上に重要視されました。 既に大陸への移民は不可能でしたので、ブラジルのアマゾン流域、パラグアイ、ボリビア、ドミニカなど、「誰も移民しようとしない最貧国・地域」の移民が行われました。当時、カンボジアやラオスに移民を送り込もうという計画すらあったそうです。「日本人を受け入れる地域なら、どこにでも日本人を送る」政策が取られていました。 下記の本に、外務省の無責任な移民政策、その犠牲になった日本人のことが詳述されています。 外務省が消した日本人 南米移民の半世紀 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30869284 なお、1960年前後に、北朝鮮に約10万人の在日朝鮮人とその家族が渡りました。これも移民の一種です。 * 在日朝鮮人は、一般に当時の一般日本人よりさらに低い生活水準にあった。 * 北朝鮮は、朝鮮戦争によって若年男子が大量に死亡し、労働力不足に悩んでいた。在日朝鮮人を労働力として必要としていた。 という理由がありました。北朝鮮に渡った在日朝鮮人は、本人の希望や事前の宣伝とは無関係に、農村や鉱山に送られて重労働を課せられたそうです。

thebus36
質問者

お礼

ご丁寧な解説、ありがとうございます。もしよろしかったら、もう少し教えていただけますか。 1)江戸期は人口はあまり増えていないのですか。どうして明治になって急増したのでしょうか。 2)明治期の農村に限っていえば、「人口は増えたが畑が増えるわけではなく、海外移住に活路を求めた」と考えていいのでしょうか。 3)ほかの回答者の方が書かれている「地租改正」「開国」などは、明治期の移民にどのような影響を与えたとお考えですか。 よろしくお願いいたします。

関連するQ&A

  • 近代史時代を背景とした、小説を探しています。

    近代史時代を背景とした、小説を探しています。 日本の明治、大正、昭和(戦前)を舞台としたもの 第一次大戦中のアメリカやヨーロッパ ミュージカル全盛期の頃のアメリカ (参考例) なにかお勧めがあればお願いします。

  • 【日本人が礼儀正しい歴史的背景は】明治時代の朱子学

    【日本人が礼儀正しい歴史的背景は】明治時代の朱子学にあったのでは? 朱子学が封建制度で礼をさせる=上下関係を作り出す教育を子供たちに行ったことによって礼をするように習慣付いた。 明治時代の偉い人たちは朱子学を学び人間には地位によって身分の差がある。産まれながらにして身分階級があるのを前提に社会構築したので子供たちは先生に挨拶をするお辞儀するなど礼儀を教えた。 しかしこの日本人の美徳である礼がインドのカースト制度のような封建制度の残骸だと知ったとき、日本人が礼をしている姿を見て、日本人は礼儀正しい民族と思うより、日本人は未だに封建制度の思想が残っていると見えてしまう。 要するに自分たちが目上の人にお辞儀をしているのは自分が身分が低く日本に身分階級制度が未だに残っているということになるのでお辞儀や礼など平等社会の現在では礼は礼儀作法ではなく明治時代の封建制度思想が未だに抜け切れていない未だに自分たちの社会に身分階級が残っているということになって、礼は本当に良いことなのだろうかと思ってしまいました。 皆が平等なら礼は要らないはず。 日本の礼儀作法は階級制度の名残りなので日本版カースト制度を礼儀作法と言って教えるのはどうなんでしょう。 日本の礼儀は昔の封建制度の名残りで人類がみな平等という今の思想からは程遠い文化だと思いました。

  • きめつのやいばみました。よかったです。

    きめつのやいばみました。よかったです。 しかし、時代背景が大正っておかしくないですか、大正って明治の文明開化で着物をきて作業する農民なんていなかったのでは?散切り頭でモンペを女性は履いていたと思うし赤線、遊郭など、限られた場所しかなくなっていたと思うのです。刀狩が大正16年ですが、既に農民一揆などは、なかった気がします。みんな刀を持ってましたか?大正はそふぼの時代なので、戦争はあったが着物を着ていた写真は見たことないです。戦争の服は見ました。

  • 移民という言葉を使わないように移民を推進(竹中平蔵

    5年ぐらい前に、竹中平蔵さんが、 『私はしています。・・(中略)・・・「移民」という言葉だと問題があるので「経済成長に必要な人材交流」として、政府に議論をするよう推進している』といったことを田原氏との対談で話していました。 その成果かと思われますが、現在日本は「世界最大の移民流入国」となっています。もちろん「移民」という言葉は使われず、外国人技能実習制度などを利用し、様々な言い換えが行われ、文言が帰られての移民政策が進められました。その結果として日本には急激に外国人流入政策が進み、現在、年ベースで世界最大の移民流入国となっています。 そして日本の外国人労働者が奴隷のように扱われることで、国連からは「日本の29万人の外国人労働者が奴隷状態にある」として是正勧告まで出されています。 また同時に低賃金外国人労働者を拡大することにより、多くの日本人が実質移民と人件費の引き下げ競争をさせられれて、より低賃金化が進みました。その結果、生活保護者をそれより貧しい生活にする必要があるとの政策により、生活保護への給付は1割ほどカットされたりもしています。 そして移民政策は公に議論されることなく、竹中平蔵一派の方々の移行により安倍政権により構造改革として進められる運びとなり現在に至っています。 得してるのは斡旋業者だけではないでしょうか。外国人労働者は日本で奴隷状態でギリギリの生活で身動き取れなくなり、多くの日本人も低賃金競争にさらされ、より貧しい生活を強いられる事態になっています。 個人的にまっとうな移民政策には賛成なのですが、奴隷制度のような移民政策には反対しています。それは将来の日本に禍根を残す政策だからです。 なんで移民政策のような重要な問題を、政府は公の議論を進めることなく、ほとんど議論されることなく施行してしまうのでしょうか?

  • 移民に反対して守りたい物って治安でしょうか?

    自民党は移民推進 ネットは移民反対派が多いです。 個人的には中堅層以下の子供も不要だし、移民も不要だと思ってます。 だから中堅層以下の子供が増える少子化対策や貧困国の移民はどちらもいりません。 他人の負担にならない個々の収入だけで育てられる世帯が産めばいいだけ。 普通にロボット化や専業主婦税やニート税の導入。 これだけでも十分な労働力人口や生産は維持できるでしょう。 まず、今の非正規社員がしている労働の多くはロボット化できる物も多い事 大企業の正社員で約400万の余剰社員(ネットではニート社員と言われている)がいる事。 労働力世代での非労働力人口比率がOECD35か国で最低水準な事(特に女性) これだけでかなり労働者人口を社会にひきづり出す事も可能でしょうし 3号被保険制度や生活保護制度の実質廃止で1000万程度の赤の他人の納税者 に負担をかけている層を大きく減少させられる。 それで22歳~62歳あたりは医者の診断書で働くことが困難とみなされた 者のみ生活保護がうけられ その他は自己責任の社会にする。生活に困ろうと働かないのが悪いだけ。 こうすれば、それだけで労働力人口不足の対応、社会保障面の対応はできるはずで 中堅以下の他人様の税金に集る層の子供や貧困国からの移民は不要だと思います。 .

  • B・ムーア『独裁と民主政治の社会的起源』について

    農業に関する就業形態についてご存知の方にお聞きしたいです。 今B・ムーアさんのいう方の『独裁と民主政治に関する社会的起源』を読んでいるのですが、日本の農業に関して、近代化とともに大土地保有制から地主・小 作人制度に移行したとの記述があります。そしてその原因は労働賃金が上昇したためだと。 なぜ労働単価が上昇すると地主・小作人制度の方が(近代産業社会に?)適合的になるのでしょうか。大土地保有制度ではやっていけないものなのでしょうか?

  • 無実の罪

    近代司法制度が整備された明治以降 無実の罪で死刑宣告されて、実際に執行された人が 多数いると思いますか?全くいないと思いますか? 多くはないが少しはいるだろうと思いますか?

  • 官邸制度が発足する前の首相の執務場所に関してなのですが、官邸というもの

    官邸制度が発足する前の首相の執務場所に関してなのですが、官邸というものができる前には首相はどこで執務を行ったのでしょうか。明治~大正期にかけて(第二回仮議事堂のころくらい)について教えてください。よろしくお願いします。

  • 江戸時代は農業社会?

    「江戸時代後期の諸問題と近代化」についてのレポートを書くために調べています。 このテーマでは漠然としているので、切り口を自分なりにつけようと思いました。 まず江戸時代というものを、年貢を税金にしていたことから米を基盤とした農業社会であるとまず定義づけ、近代化というのはその農業社会から新しい社会(たとえば工業社会?)へ変えていく作業だったのかな、と考えました。 江戸後期の諸藩には産業改革の萌芽もあったようですが、基本的には米メインの社会で、経済学的に無理がある社会だったと考えています。 それが抑えきれなくなってきた所に黒船が来て一気に革命が起こったのかなと それで、上記のようなことを述べている、それを裏付けるような、なおかつ初心者の自分にもわかりやすい本を探しています。 ちゃんとした文献を探すという作業をしたことがなく、図書館へ行っても高度な論集しかみつからなくて困っています。 なんかわかりにくい文章ですね・・・すみません(><) ポイントをまとめると、 ・江戸時代が農業社会であった。 ・その農業社会では無理があった。 ・明治政府はそれを解消した社会を作った。 この3つを裏付けるような資料が欲しい、ということです。 もちろん、自分はこう考えているという意見を書き込んでいただけたらとても助かります。

  • 明治期、日本より朝鮮が近代化が遅れた理由

    ネットを眺めていまして、韓国の方の主張として日本が明治期に近代化に成功して朝鮮半島がその後塵を拝した理由は、単に西洋文明に接した機会がたまたま日本が早かっただけだ、と言うような主張があり、どうも多くの韓国の方の意見も共通しているように思えるのですが、本当にそうなのでしょうか。 私の漠然とした印象としては、江戸時代に日本が到達した農業生産性の伸長や各地の豪商や豪農といった新興市民勢力の台頭、世界的にも類例を見ない市民文化の発展など多くの現象が、総合的で潜在的な国力を形成し明治期に一気に日本を列強の座に押し上げ、一方では朝鮮は過酷な身分制度に汲々としほとんど社会発展も人口の増加もなく、その差が日朝の差となって現れてその後の併合へとつながっていったと感じます。 坂本龍馬がどうしたのと偏狭なヒロイズムではとうてい理解できない歴史の底流がそこにはあると思うのですが、一方の朝鮮半島の社会発展史というべきものに何の知識もないので判断がつかないところでもあります。 他国への誹謗が質問の目的ではありませんので、事実レベルで近代化の遅れを論点とした日本と朝鮮の歴史の違いというものをお教え頂ければと思います。