- ベストアンサー
なぜ明治時代の朱子学は日本人の礼儀に影響を与えたのか
- 明治時代の朱子学は封建制度で礼をさせる教育を行い、日本人に礼儀を習慣付けました。
- しかし、この礼儀は封建制度の名残であり、平等社会の現在においてはその意味が問われます。
- 日本人の礼儀は昔の封建制度の名残りであり、現代の思想とは異なる文化です。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「魏志倭人伝」の中に首長などに対して、平伏す民衆の姿が描かれています。 日本において、お辞儀という習慣は、既に2000年近い歴史があるのですね。 話は変わって、日本国憲法14条には 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」 とありますね。 そう、人間は日本においては平等なのです。 一方で貴方は、ご自身のご尊父、ご母堂様とは平等ですか? 分かりにくいですね。 では、対等ですか? ご両親のあいだに生まれ、ここまで育ててもらった訳ですが、それとも、生まれた時から一人で歩いたとか? 違いますね。 「長幼の序」という古い言葉がありますが、この言葉の意味するところは人間の平等ではありません。対等かどうかという問題です。 人間は法の下に平等なことは、日本においては当たり前のことでしかありません。 しかし、対等は意味が違う。 現在は、朱子学の時代、つまりは江戸時代ではありません。だから朱子学のいう封建的な身分制度など現在には欠片も残っておりません。 こうした価値観の中に、もし名残があるとすれば、それは制度化された身分的なことではなく、日常にある人間関係の中にある上下関係に過ぎないのです。 親子は平等です。会社の社長と貴方自身も人間として、当然平等です。 しかし、ご尊父と貴方は、父がどれ程年老いて世代交代を経ても尚、父は父であり、対等ではありません。また、社長や会長が偉いなどとは考えたこともありませんが、やはり、対等ではないのですね。 平等と対等、似て非なるもの。微妙ですが全く違う価値観ではないのでしょうか? はき違えたら、結果は全く別なものとなると思いますよ。 身分制度など既に過去のもであり、残骸も欠片も何処にもありません。 だからこそ、能力がある者、力ある者が起業し、たった一人から世界に羽ばたいていける時代になったのではないですか? 単純に後輩や部下にタメ口をきかれたら、腹が立つでしょう? ただ、それだけの話なのですがね。
お礼
みなさん回答ありがとうございます