- ベストアンサー
明治維新はフランス革命と同質でしょうか
質問者が薄学なため、意味を成さない質問かもしれません。 フランス革命は特権階級に対する市民革命ですよね。利益を一般人民に還流させろという。では明治維新は武士階級を廃して、四民平等をということで、基本的には同じ思想なのでしょうね。 もちろん視点によって成り立つ成り立たないはあることでしょうが、大まかな意味はそういうことなのでしょうか。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
これは面白い(意味のある)質問ですね。実際に、この質問は「市民革命」というものをどう捉えるかという点で回答が変化します。 私以前の回答者の方たちは、両者をまったく異なるものとして捉えておるようですが、短期間の現象面だけを見るならばそれはそれで正解であると思えます。 しかし、別の視点として両者の時期をどう捉えるかによって見解は変わるでしょう。つまり、1789年の三部会開催に始まったフランス革命は1804年のナポレオンの皇帝襲位で終わりとするか、それとも1815年のウィーン体制の成立で終わりとするか、さらに1830年革命・1848年革命までを含めた動きのきっかけとするかによっても変わるでしょう。一方の明治維新にしても、1853年のペリー艦隊来航をきっかけとして1868年の王政復古で終了とするか、翌年まで続く戊辰戦争を含めるか、あるいはさらに後の武士層の最後の反乱である西南戦争までを視点に入れるかで異なってくるでしょう。 あるいはまた、日本の明治維新とほぼ同時期に起こったイタリア統一(1862年)、ドイツ帝国の成立(1871年)をどのように考えるかということも関係します。 さて、前置きが長くなりましたが、私はフランス革命から1848年革命(二月革命)までを一連の流れとして理解すべきだと思います。それはフランス革命が当初から王政廃止を目指した訳ではないこととナポレオン帝政を経て王政復古となった時点では旧体制の復活とも考えられる(「亡命貴族の10億フラン法」によって特権階級への補償まで計られました)ことから、革命の成果はようやく19世紀後半に至って定着したと考えるからです。一方の明治維新も少なくとも西南戦争までの時期で考えるべきであり、場合によっては憲法発布までを視野に入れるべきだと考えます。 そうして見れば、「封建的特権の廃止」「市民層の政治参加」「結果としての経済発展」という結果から両者とも「市民革命」であったと言えるでしょうし、同じ思想であるとは言い難いながらも両者は「同じ方向への歴史の流れ」を示していると言えるでしょう。なお、イタリア・ドイツの統一も同じ流れの一つだと私は思っています。
その他の回答 (7)
- gardenernaga
- ベストアンサー率47% (55/117)
フランス革命を理想化しすぎるのも問題だと思います。フランス革命の結果フランスがどうなったかを具体的に見ないといけません。それは、世界史の教科書でフランスの所だけ書き出せば判るはずです。 ・革命後、独裁政治が続きテロが日常化して、政治不安が増し、ついにはナポレオンの帝政ができた。それが敗北したあと、結局ブルボン王朝に復帰した。 ・革命後も身分制度は残った。フランスにはいまでも貴族を名乗る人がいて、広大な土地を所有している。 バルザックでも読めば? ・19世紀には中央集権化が極端に進んだ。その結果、20世紀に入ると「パリと砂漠(パリ・エ・デゼール)」といわれるくらい、パリにすべてが集中し、地方は不毛の時代となる。パリ以外大都市がないでしょ! ・19世紀に入ると、むしろ帝国主義的なアジア・アフリカ諸国への侵略が加速した。アルジェリアやベトナムの歴史を調べましょうね。 ・市民革命が徹底せず政治的不安定が続き、その後何度も革命が起きた(最後のはなんと1968年の五月革命ですよ)。そのたびに政権がひっくり返り、憲法がコロコロ変わった。すばらしい市民社会が確立されていればそんな必要はないはず。
お礼
やはり、革命が不十分だったのか、早すぎたのかと思っていました。なんで王政が復古する?とか。そういう意味で、日本の明治維新と、不完全さからなにか共通しているかもしれないと思っています。
明治維新→ 地方武士の反乱で、旧泰然たる幕府をつぶすという運動が、天皇を担いで天皇を中心とした政治体制に移行したということです。 フランス革命→ 一般市民からわき起きた反乱で、王政の政治姿勢に不平を持った市民が暴動から、当時の絶対王朝を倒したと言うことです。 いわば、明治維新は政治クーデターといえますが、フランス革命は、市民による革命ということでしょう。
お礼
はい。そういうイメージがあります。皆さんのご回答を見て納得しています。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
No.1です。 >えっ、フランス革命で王権を消滅させたのではないのですか。 私の表現が悪かったのでしょうか,そのとおりですよ。 ・明治維新……天皇中心の政治体制の確立(王政復古) ・フランス革命……王権の廃止 そういう意味で,明治維新とフランス革命は逆と書かせていただきました。
お礼
いま、読み返したら早とちりでした。 すみません。
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
明治維新はフランス革命とは全く異なります。 いわゆる王政復古ともいえる、支配者の交代に過ぎません。 多少平民階級の参加がありましたがこれとても政権が確立すると、すぐに弾圧されました。 赤報隊、諸隊反乱、自由民権運動の弾圧などを見れば明らかです。 天皇制を中心とした近代化が唯一の目標でした。 武士階級の廃止も国民皆兵が目的で手段の一つでした。それに明治政府には武士階級を支える財源の余裕もありませんでした。 ドイツを範にしたのも中央集権を確立するのに役に立つからです。 ドイツは小王国の連立からプロシャを中心とした統一国家になったばかりで、日本の藩主領の統一をはかるお手本としては最適でしたが、フランスはすでに民主政体でお手本にはなじまなかったのです。 中央集権の徹底が次第に軍国化に赴くのは必然でそれがその後の日本の運命を決めたのかもしれません。
お礼
やはり、民衆のかかわった革命か否かという点で、その後の雰囲気も違ったように思えます。
- apple-man
- ベストアンサー率31% (923/2913)
>四民平等をということで、基本的には同じ思想なのでしょうね。 戦前は明らかに不平等でした。 華族という特権階級もありましたし、 他の国民も階級によって差別されて いました。 明治時代生まれの、曾おじいさんの 戸籍を取り寄せたことがあるのですが、 書類に大きく「平民」という朱印が 押されていました。 戦前は日本国民ではなく、臣民と表現されていました。 つまり天皇陛下の僕だということです。 明治維新は支配者階級が変わったことと、 藩という地方自治の制度がなくなった だけのことです。 日本の政治体制も、フランスをお手本に しようという意見もあったのですが、 結局ドイツの政治体制を取り入れ ました。 ドイツも地方分権から1つの国家として まとまり始めていたのと、戦争に勝って いたということもあり、日本のお手本と なると考えられたからです。 ドイツもヨーロッパでは、後進国だった ので、国全体のために国民の権利を 制限していました。こういった思想を 取り入れたために、戦前の大日本帝国憲法は 欽定憲法、つまり支配者である天皇陛下が 法を作り、臣民を従わさせるという内容になって おり、宗教の自由など各個人の自由が制限 されることとなっていました。
お礼
戦前は不十分な民主主義でした。でも建前がなかったとも取れます。欽定憲法はやはり自由民権的なものと異質に思えます。
- haruchiyo
- ベストアンサー率29% (85/284)
専門家ではありませんが、基本的には全く性質の異なるものではないかと思います。 確かに、身分の低い武士や厳密には当時武士と認められてなかった人(郷士や新撰組などの武士希望者)が歴史の表舞台に登場した、と言う点では共通するものがあるかもしれませんが、それでも飽くまで武士及び公家が主導し、しかも飽くまで錦の御旗を掲げて、天皇の名の下に幕府を討った、と言うことで民衆が自由を求めて蜂起したフランス革命とは全く異なるものだと思います。 しかも、明治維新のために戦った人のほとんどはまさか武士の世がなくなるとは考えてもいなかったと思います。その証拠に、いざ廃刀令や廃藩置県が実行されると武士の不満が噴出し、西南戦争などが起こっています。
お礼
はい、武士階級は抵抗勢力が残りました。私も表面的には異質に思えます。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
こんにちは。 極端に書きますと、フランス革命とは逆と言ってもいいかもしれません。 (理由) ・江戸幕府の大政奉還後の1867年に朝廷(天皇家とその側近ですね)が王政復古の大号令を出していますから、フランスとは逆に天皇を中心とした国家の成立を目指しています。その後、第二次世界大戦の終戦まで、これが続くことになります。 ・諸藩の下級武士が中心となっているので、市民の不満が募って革命になったという経緯を辿っていません。また、明治維新の際に、市民が積極的に戦闘に参加したと言う経過もありません。従がって、市民革命とはいえないと思います。 「四民平等」は、幕藩体制が崩れて、武士を中心とする階級制度を維持する必要がなくなり、結果的にそうなったと言ってもいいと思います。
お礼
えっ、フランス革命で王権を消滅させたのではないのですか。ナポレオンはすぐに出なかったと思ったのですが。 明治期の市民ですが、潜在的な経済力を持っていて、それによって武士が戦をしたという面もかなりあるということはないのでしょうか。兵士も奇兵隊など、市民兵の萌芽がありますよね。
お礼
はい。「市民革命的に」どうだろうと感じていました。経済の発展段階に呼応するところもあるのではと、漠然と思っています。もちろん産業化は一世紀以上フランスが先行するのでしょうが、明治維新もそういう面では似たところがあるのではと思いました。民間資本の形成です。あまりわかっていそうなこと書くとボロが出てきますので、ここら辺にしますが、やはり資本主義と王政(封建制)折り合わないという面もあろうかと思います。