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日本史とフランス史の比較
フランスはフランス革命があって、ブルジョアでなくいきなり、当時の土地があったりなかったりの農業に携わる民衆などの支持等の自由、平等、博愛を目指して、恐怖政治に突入しました。 粛清の時代でした。たしかに選挙権などは現在平等ですが、貴族や科学者などいろいろ処刑して、かなり急な話だったかと思います。啓蒙思想などの影響がありますね。 日本は、明治維新期に時代の転換を迎え、志士などが現れ、いろいろわかれてあつまってで、暗殺なども多かった時代でした。でもフランス革命の段階では重商主義の田沼の現れましたし、遅めですが、現実的な進行もしました。 比較してどういう違いがあるのでしょう?
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- tak7171
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フランス革命は民衆革命ですが、明治維新は政変・クーデターでしょうね。 明治維新は、天皇の下に徳川幕府という軍事政権が統治していた体制を、他の勢力(薩長を中心とする)が取って代わったもの。それで生まれた明治政府は更に廃藩置県というクーデターを断行し、旧来の藩体制を破壊して中央集権の近代国家の組織に作り変えました。体制は劇的に変わりましたが、天皇というトップがいる国家体制が変わったわけではなく、執政部門が武力闘争の末すげ変っただけで、民衆による国家転覆ではありません。やはり政変・クーデターではないかと思います。
- ithi
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noonsoir69 さん、こんばんは。 それはフランス革命は下の方からの改革だったのに対して、明治維新は上の方からの改革だったのです。 それはフランス革命の主役は市民、農民だったのに対して、明治維新は支配階級である武士以上の身分のあるものでした。ある意味市民や農民は蚊帳の外だったのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- hekiyu
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フランスでは、増税をきっかけに被支配者が支配者を 打倒する、という革命でした。 これに対して、日本では阿片戦争をきっかけに、 このままでは植民地支配されてしまう、という危機感が 動機でしたし、 支配者が徳川から薩長土肥に交代しただけ、 という形になりました。 1,動機 フランス・・増税反対 日本 ・・欧米列強に対する危機感 2,態様 フランス・・被支配者が支配者を転覆させた そのため、革命が非常に血生臭いものとなった。 日本 ・・天皇の下、支配者が交代しただけ 比較的穏やか 3,結果 フランス・・王制から共和制の国民国家へ移行 日本 ・・封建制から共和制の国民国家へ移行 フランスは、増税をきっかけにしたため自由や平等が 重視されることになたのに対し 日本は欧米植民地支配がきっかけだったので、 植民地支配を免れるための戦争、日清日ロ大東亜戦争 と繋がる結果になった。
お礼
意義が違うということですね。 それでその後の歴史の流れも違う。 ご回答ありがとうございます。
- eroero4649
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フランス革命は下(大衆)からの革命、明治維新は上(権力者側)からの革命といえるかもしれませんね。 ただ、そもそも論として「明治維新は革命なのか」というのはあります。確かにやったことは革命的でしたし、志士が現れて政治体制が大きく変わったのは革命っぽい気がしてなりません。 しかし、革命というものはフランス革命からアラブの春に至るまで、「旧権力者の粛清」なくして成り立たないんですね。そりゃそうです、新しく政治体制を作った者たちからすれば、旧権力者側からの巻き返しが一番怖いわけです。であるならば、その旧権力者たちは粛清すれば死人に口なしになるわけです。ルイ16世やニコライ2世、カダフィ大佐までそうなってしまうのです。 しかし明治維新はどうなったのかというと、殺されたり切腹したお殿様は実は1人もいないのです。徳川政権最後の将軍である徳川慶喜自身が隠居して天寿を全うしています。あの新撰組のパトロンとなって薩長の志士たちを弾圧する責任者にあった松平容保もそうです。会津藩は、松平容保の身代わりに家老が責任をとって切腹して、それでお殿様は助命されています。もっというと徳川慶喜自身が貴族となってまあなんというか明治天皇の家臣というような立場になっています。面白いのが、明治時代になって慶喜が大阪にできた近代工場の見学に訪れているのですが、そのとき説明役は慶喜に対して「公方(将軍)様、こちらが〇〇でございます」と説明しているんですね。 明治維新を革命とするならば、外国人には理解不能ななんとも摩訶不思議な「なれあい革命」なんですよね。個人的な見解ですが、あれは革命というより、死人が出る盛大なお祭りだったような気がします。オリンピックとワールドカップとWBCと万博が同時に行われたような盛大なお祭り騒ぎですね。実際、ええじゃないか騒動なんてのが起きていましたしね。誰がいつどこでなぜ始まったのか分からず、大衆も理由はさっぱり分からないのにみんなで「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊って歌って大騒ぎして、いつの間にやら終わったのです。天誅組の変なんてのも、何がなんだか分からないうちに大砲をぶっ放されたらそれで大混乱を起こして壊乱しちゃいましたものね。
お礼
「なれあい革命」っていい言葉と思います。 旧権力者に対して、激しい動きはないですね。 ご回答ありがとうございます。
フランス史ではフランス革命とされ日本史では明治維新とされている、革命と維新の違いが基本的な違いです。 フランスではアンシャン・レジーム(第一身分:聖職者、第二身分:貴族、第三身分:市民や農民)という身分制度があり日本では(武家と町人・百姓)に区分されていました。 注:士農工商というの職業別の身分制度は実在していませんでしたので御注意下さい。 フランス革命は紆余曲折はありましたが基本的にこの第一身分、第二身分の人達と第三身分の人達との政権交代でした。 「農業に携わる民衆などの支持」とありますが、支持ではなく民衆が主体でした。 厳密に言えば農民ではなく中産階級の人達と言えますが、基本的には変わりません。 日本では武家階級内での政権交代であって基本的に町人や百姓による政権交代ではなかったということです。 この為に維新と呼ばれます。 体制が整った後に町人や百姓階級の人達が経済面で参画しました。 「フランス革命の段階では重商主義の田沼の現れましたし、遅めですが、現実的な進行もしました」とありますが相違を議論するのであれば直接的な関係はありません。 明治政府も従来からの米を基本とした重農主義から貨幣を基本とした租税経済体制へと移行しました。 富岡製糸場や八幡製鉄のような官営工場を設立し、岩崎弥太郎などの政商を生みだしたり、渋沢栄一などの実業家を生みだしています。 教科書や歴史書ではフランス革命にも明治維新にも王政復古という言葉が使われていますので、ややこしいかとは思います。 日本の王政復古は維新の主体となった下級武士が樹立した政府の頂点に天皇を置いただけです。 蛇足 ブルジョワ(ブルジョワジー)というのは元来は中産階級を意味します。 これを裕福な特権階級や資本家を意味する言葉として使いだしたのは後の共産主義時以降のことです。 現代の中国共産党政府も共産党政府に対抗する資本家として使っています。 フランス革命ではむしろ近代ブルジョア社会を樹立した革命とされています。 ロシア革命と混同しないようにして下さい。 フランス史などのヨーロッパ史でも日本史でも封建制という言葉が使われますが、ヨーロッパの封建制と日本の藩幕体制を意味する封建制は内容が全く異なりますので御注意下さい。
お礼
>日本では武家階級内での政権交代であって基本的に町人や百姓による政権交代ではなかったということです。 この為に維新と呼ばれます。 体制が整った後に町人や百姓階級の人達が経済面で参画しました。 わかりやすい言葉ありがとうございます。
お礼
明治維新は、政変・クーデター そうなのでしょうね。 ご回答ありがとうございます。