なぜベルサイユ宮殿は破壊されなかったのか?

このQ&Aのポイント
  • ベルサイユ宮殿は革命前後になぜ破壊されなかったのか?
  • ベルサイユ宮殿は貴族の優雅さの象徴であり、国家の財産でもあったため、革命時に破壊されることは自然ではなかった。
  • 革命時だけでなく、王家の一族が処刑された後も、ベルサイユ宮殿は保管され続けた。
回答を見る
  • ベストアンサー

ベルサイユ宮殿が破壊されなかった理由

ベルサイユ宮殿は革命前後になぜ破壊されなかったのでしょうか? 私が当時の民衆であれば、自分たちの血税によって作り上げられた宮殿など 憎くて仕方がないと想像します。 後世に自国の財産となることよりも、こんな国家を二度作ってはならないと考え、 貴族の優雅さの象徴ともいえるベルサイユ宮殿は革命時に破壊されることが自然 ではないかと思いました。 革命時だけでなく、王家の一族が処刑された後も、どのようにして保管されたのでしょうか。 お詳しい方がいらっしゃいましたら、お教えください。 ※こんなことを書いておりますが、ベルサイユ宮殿は本当に美しく、よくぞこの歴史的建造物を  遺しておいてくれたと、現代に生きるものとしては感謝しています。

  • sdance
  • お礼率82% (101/122)
  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数16

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • StuG3
  • ベストアンサー率26% (18/68)
回答No.5

1、初期革命派リーダーに商工業者出身のインテリ層が多かったため不必要な破壊や略奪は抑えられていた。 2、革命初期段階では、王や貴族の処刑や追放まで考えられていなかった。あくまでも王政の中での改革を要求していた。 3、ベルサイユ宮殿は当時、庶民に開放されていたので、「王権の象徴」というよりも「公共性のある建物・公園」という意識のほうが強かった。 以上の主因により、破壊・略奪されなかったのです。 ルイ16世一家が処刑されたころは、貴族や軍人たちの勢力が復活し始めていました。 「公共性のある建物」を破壊させることは当然許さなかったし、庶民もそんな気はなく、早く外国勢力を打ち払い国の体制が確立することを願っていましたので同宮殿の破壊なんて全く眼中になかったのです。 あと、同宮殿がパリ郊外にあった地理的要因もあるでしょう。 そもそも、異民族、異教徒、異国、蛮族が宮殿を襲う場合なら普通にありえますが、被支配階層が支配階級を引きずりおろす時、その宮殿まで破壊するというのは、実はそんなに多くはありません。 中国の王朝が倒れた時ぐらいでしょうか。 ルイ16世一家の処刑後も「人民の所有物」としてベルサイユは残されました。 普通に博物館か迎賓館扱いとして。 ナポレオン追放時に外国軍が来ますが、各国はフランスの王政復古を目指していましたのでベルサイユは当然破壊されません。 普仏戦争の敗北後も、ドイツ皇帝は自らの権威向上のためベルサイユを利用しました。当然破壊しません。 第二次大戦でも、政治・軍事・経済面でなんら価値の無いベルサイユの破壊は行われませんでした。 そして、重要な観光資源としてのみ、現在に残っているのです。

sdance
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ございません。 説得力のある、丁寧なご回答を頂きありがとうございます。 1~3のポイント、それぞれの観点から納得でき、 当初抱いていた疑問は完全に払拭されました。

その他の回答 (4)

  • dsdna
  • ベストアンサー率24% (308/1281)
回答No.4

 >ベルサイユ宮殿は革命前後になぜ破壊されなかったのでしょうか?  破壊する必要がなかったからじゃない?  あなたの質問文に「憎い」という表現があるけど、憎いことと破壊することは、落ち着いて考えれば無関係。「貴族が憎くて仕方がないから、ベルサイユ宮殿を破壊しよう」と関連付けなかったから、破壊する必要が生じなかったのでは。

sdance
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は憎しみと破壊が無関係だとは思いません。 仰るように、直接人とその所有物を結びつけて考えない人もいるでしょうが、 現代においても、放火や器物破損など憎しみを根源とする破壊は所々で見受けられます。 ベルサイユ宮殿が自分たちに全く関係がないものであれば関連付けることもないかと思いますが、ベルサイユ宮殿は民衆から搾取した税金によって建てられています。 パンひとつ満足に食べられない女がデモ行進を行い、農民が暴動を起こした時代に、富の塊のような宮殿はどのようにして破壊を逃れられたのか、それなりの理由があると思うのです。

回答No.3

暴動ではなくて革命だったから。 革命は暴徒が現体制に暴動を起こすのではありません。 現体制とは別の組織が武力を用いて国家を支配するようになることです。 武力衝突の現場となった結果として破壊されることはあっても破壊を目的としたり略奪を認めれば新政権が治安維持、国家体制が出来ていないことを示し旧勢力、第三勢力による政権転覆につながるのでこのような行為は行わないし行わせません。 これはフランスのみならずロシアでも清でもどこでも同じですね。 ベルサイユが博物館になったのは結果であって理由ではありません。

sdance
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、革命それも優れたリーダーのもとに行われていれば、 破壊を目的とするような愚かな行為は抑制され、支配するように事が動いていくものと思います。 現代においても、故カダフィ大佐の豪邸は内装こそ荒らされていますが、建物自体は破壊されず活動家に占拠され、彼らはこれは人々のものであると主張したそうです。 納得できました。

  • oignies
  • ベストアンサー率20% (673/3354)
回答No.2

革命後の支配者が、ここいいとこだからここに住もうとかんがえれば、破壊の対象になりません。 ベルサイユはいきましたが、ナポレオンがたしか、住んだとかの部屋があったきがするのだが、きのせいだろうか? ちなみにいまの皇居は、元は江戸城ですし、戦後GHQがおかれた日本生命も戦後統治のために、アメリカは破壊しなかったそうです。こんなものは壊してしまえ、というのがおきやすいのは、むしろ宗教的な施設だったりします。しかしそれさえおおくのキリスト教の教会が発掘してみると、もともと異教の神殿跡だったりするとか・・・ フランス革命にかんしていえば、革命後の支配者は全くの庶民というわけでもありません。それなりの階層のひとびとーーーブルジョワジーなどーーーが政権の中枢にいすわったかんじではないかとおもいます。 もし庶民の考え方が血税をつかってつくられた建物が憎くて仕方ないなら、日本だって、国会議事堂とか、にくいみたいなはなしになるでしょうが、実際見に行った人は、きれいなたてものでかわいいな、とおもい壊そうとおもわないとおもいます。かんがえるとしたら占拠しようということでしょう。ひとのこころというのはそういうものです。

sdance
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 壊されやすいのが宗教施設であること、言われてみれば納得ができます。 異なる思想を集める場所とあれば、邪魔で仕方がないでしょうね。 国会議事堂の例は、ベルサイユ宮殿のように贅沢をする場ではないこと、 現代において国会議事堂を破壊しようものなら即刻逮捕されることから、 本題とは少し外れるかと思います。 しかしながら、革命後ナポレオンが支配したことを踏まえると、 破壊すれば罪となるという点で、破壊されずに済んだ要因のひとつが見えました。

noname#195579
noname#195579
回答No.1

革命後に血を流して勝ち取ったことを忘れないようにフランス歴史博物館として 保存されたそうです。 http://allabout.co.jp/gm/gc/56046/

sdance
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 リンクも載せて頂いて感謝します。 シンプルなご回答ですが、納得がいきました。

関連するQ&A

  • ベルサイユ宮殿のいくつかの謎

    ベルサイユ宮殿と他のお城を比較すれば、日本に限らずイギリスの古城などもたまにあるけど外敵を打ち落とすための堀があったり、敵が見えやすいように上に長く作られてるとかじゃなく、ベルサイユは横に長いし、「鏡の間」など開け放しの場所があれば敵なんか攻め混み放題じゃないでしょうか? もうひとつは「名前のなぞ」です。 ベルサイユ宮殿は言うまでもなく、ブルボン家(ブルボン朝)や直近の貴族たちを一同に住まわせたと言う有名なお城ですが、 「ルイ」と言うのは例えば歌舞伎なんかでも世襲制で染五郎や新之助などは本名ではなく、「その一族や地位を表す」ための名前があるはずです。 家系図をパッと見ても、ルイだったり、フィリップ、アンリと名前が大体分かれてます。この名前の違いと、ルイって本名もルイなんでしょうか? 質問文が分かりづらい事もあると思いますが、懇切丁寧に答えてくれた人にベストアンサーは差し上げたいと思います。

  • 「ベルサイユのばら」でロザリーはなぜ処刑されないのでしょうか?

    「ベルサイユのばら」でロザリーはなぜ処刑されないのでしょうか? ロザリーって、善良な娘ですが恐怖政治の時代には処刑されそうな要素がたくさんありますよね。 「ベルサイユのばら」の続編「エロイカ」ではけっこう長生きしているようですが。(未読です) まず、育ちはともかく血筋でいうと生粋の貴族の娘です。 それも名門ヴァロワ家と、民衆に憎まれていたポリニャック伯夫人の間に生まれています。 恐怖政治の時代は、革命派だった貴族すら処刑をおそれて国外に逃亡しています。 しかも、彼女はジャルジェ家やポリニャック家にいる間は貴族の娘として生活しているし、 恐怖政治の時代には民衆の憎悪の対象になることもありえますよね。 おまけに王党派貴族ジャルジェ将軍とも親しい間柄で、王妃が投獄されてからは彼を王妃の牢獄に案内しています。 しかも、目的が王妃の逃亡計画の打合せです。 本来なら、これだけでギロチン行きになってもおかしくないと思います。 牢番のおかみさんたちが、のちに「王妃に親切にしすぎた」という文が出てきますが、 一番やさしく、親切にしていたのはロザリーのように思えます。 色々考えてみると、ロザリーは恐怖政治の犠牲者になった方が自然な気がするんです。 もちろん、可憐で善良なロザリーがギロチン送りになったら読者には耐えられないでしょうし、 物語のラストで主要人物が全員死んでしまったのでは、話にならないというのはわかるんです。 何より、実在したモデルの女性が長生きしているのだから、無理にロザリーを殺さなくてもいいでしょう。 でも、物語を読むと「何でロザリーだけ生き残ったんだろう?」という疑問がわいてきます。 考えられるのは、夫ベルナールに保護されたということぐらいなんですが、 何となくしっくりこないんですよね・・・・。 ベルナールは一体、どれだけの権限があったんだろう?というのも疑問ですし。 ロザリーに恐怖政治を生き抜くだけの逞しさがあったとも思えません。 ロザリーは、なぜ処刑されなかったのかが気になります。

  • 質問

    フランス革命勃発時に軍隊で鎮圧できなかったんでしょうか。 バスティーユ襲撃に端を発した暴動があっという間に革命へと発展しています。 この段階でルイ16世は、軍隊を出動させて暴動鎮圧をはかり、暴徒を解散させることは出来無かったのですか。 軍隊もその士官である貴族も、まだ完全に掌握している状態でした。 自国民への発砲が憚られたのでしょうか。ヴェルサイユ宮殿に群衆外貨ってなだれ込んだときはもう遅いと思いますが、なぜ王室の正規軍で鎮圧しなかったのでしょうか。 当時の一士官に過ぎなかったナポレオンもこの光景を見てから「バカめが(ルイ16世のこと)、大砲を並べて一斉射撃すれば、烏合の衆など蹴散らせるものを」と語っていたそうですか。

  • 世界遺産の数は多すぎませんか?

    ピラミッドやベルサイユ宮殿、紫禁城はまだいいとして…。 世界遺産の数が多過ぎると思うのは私だけでしょうか? 確かに、どこの国にも素晴らしい文化や遺産、自然があります。 これは外国にとっても大切な物です。 それは確かです。 しかし、世界遺産の数は多過ぎるのではないでしょうか? たとえば、シドニーのオペラハウス。 奇抜で素晴らしい建物ではありますが、世界遺産にするほどでもないと思います。 200年前に建てられたならまだしも。あれが世界遺産なら東京タワーも世界遺産に出来ますよね? 「日本の高度経済成長の象徴」みたいに。 ちょっと、世界遺産が多過ぎると思うのですが。 自国の文化財や自然は、自国が守らないと。ユネスコになんて頼らず。

  • 日本史とフランス史の比較

    フランスはフランス革命があって、ブルジョアでなくいきなり、当時の土地があったりなかったりの農業に携わる民衆などの支持等の自由、平等、博愛を目指して、恐怖政治に突入しました。 粛清の時代でした。たしかに選挙権などは現在平等ですが、貴族や科学者などいろいろ処刑して、かなり急な話だったかと思います。啓蒙思想などの影響がありますね。 日本は、明治維新期に時代の転換を迎え、志士などが現れ、いろいろわかれてあつまってで、暗殺なども多かった時代でした。でもフランス革命の段階では重商主義の田沼の現れましたし、遅めですが、現実的な進行もしました。 比較してどういう違いがあるのでしょう?

  • ベルサイユ宮殿

    冬にベルサイユ宮殿にいかれた方に聞きたいのですが、冬の宮殿はいかがでしたか? 夏は行ったことがあるのですが、冬の宮殿もいいのでは?と思っているのですが、いく価値あるのでしょうか??

  • ヴェルサイユ宮殿

    お世話になります。 ヴェルサイユ宮殿には、700もの部屋があるとききました。 トイレ、キッチンは何個くらいあったのですか? どなたかご存じの方、もしくはいい本をご存じの方 いらっしゃたらご連絡ください。

  • ベルサイユ宮殿

    7月パリ市内からベルサイユ宮殿へ個人で訪れる予定です。 英語しか話せません。 入場券を前もって購入する方法と、効率よく宮殿を見物する 方法を教えて下さい。

  • 12/31のヴェルサイユ宮殿

    今年年末年始にかけてパリに滞在予定なのですが、 今年は大晦日が日曜に当たるようです。 そこで、パリの店なども結構閉まってしまうのではないかと 思い、この日をヴェルサイユに当てようかと思っています。 日曜または大晦日でもこういう観光地の飲食店等は 開いているものでしょうか?

  • ヴェルサイユ宮殿への行き方

    今月パリに4日間滞在で旅行を計画しています。1日はちょっと足を伸ばしてヴェルサイユ宮殿に行こうと思っているのですが、国鉄、バスなど方法がいくつかあるようなので、アドバイスをお願いします。ホテルはパリの中心から少し外れたリヨン駅の近くです。また、この近くでお勧めのレストラン等がありましたら、教えてください。