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愛ってなんでしょ??
高校生時代、授業でフランス市民革命のことを習っているときにぼんやりと「あれぇ?」と思いながら、そのままにしている問題があります。 大学に入ってからも、そのまま。ちゃんと勉強してない(汗)。すみません。でも、気になります。 フランス革命のスローガンは今のフランス国旗にも表現されているように「自由・平等・博愛」であったと習いました。 それで質問なのです。 自由と平等は法的概念として根付いているように思うんですが、博愛という概念は根付いていないように思います。 例えば、日本国憲法を読んでも、「愛」は、前文に一箇所にだけあり、「博愛」は89条に一箇所あるだけです。 愛っていう概念は法的概念にはなじまないのでしょうか。その理由はなんでしょうか。 愛ってわたしたちには、(特にわたしのような女の子には 笑)とっても重要と思うんですが。 主におっさんたちが法律をつくるので、そうなっちゃう?。←いやいや冗談です。 法律について基本的な知識がないので、変な質問ごめんなさい。
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>憲法というのは政府に対する権力の制限の意味があるように フランス革命の当時はとくにそうですね。 権力→市民の矢印について、「余計なことをするな」として、自由権が生まれました。 私は手っ取り早く、「自由権=放っておいてもらう権利。社会権=~してもらう権利」と言っています。 これこれのことはしてもしなくてもOKだよ、というのが自由権です。婚姻なんかは、なんだかまだ「自由」に慣れていないところ(「何歳過ぎて独身はオカシイ」などの保守的な社会通念の押し付け)もありますね。 一方、社会権は、「働けないなら“飢え死にする自由”がある」では困るということで、教わったと思いますがワイマール憲法で初めて明文化されました。 もちろん、それ以前も、行政or国(「お上」)による救済というのがなかったわけではありません。しかし、それは「気が向いたからしてあげよう」という「施し」であって、「上から目線」のものです。そうではなくて、一人ひとりが「してもらう権利」を当たり前に持っている、というのが社会権の考え方です。 このあたり踏み込むと、生存権のプログラム規定説というような話になるので深入りはやめます。 が、私見を申せば、現状、日本の政治は自由を圧迫し社会保障を削る方向に動いていて、憲法改正論議云々ではなくてイギリス権利章典・アメリカ合衆国憲法と続く市民主義憲法の流れに逆行していると思います。 ただ、これは、行政が悪い、と区切れる問題ではなくて(いまの行政が良いとは決して思いませんが)、三権分立システムの中で立法がきちんとしていればいいわけで、最終的には国民がきちんと選択してゆく責任があります。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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博愛と愛は違いますよ。 博愛は一応、内面性や信仰性、個人性などの比較的薄弱な観念ですね。 法律は、法律自体の存在という理念・目的もありますが、個人や集団の存続とあり方の平和を目的と機能にしております。 そういう論理付けで何事も進めます。 そういう中での、博愛でもあり、また個人に内容化を託している愛でもあります。 まぁ人の生活のことだということで、この内容などについて法律がとやかくいう事は、不適切というよりも、責任と役割の逸脱です。 そこに口出しをしてきているのが、兎角、体制のことなく国の法律でしょうね。生活しにくいと存じます。 昔の日本の皇国史観や軍国思想はそういうものではないですか。 法律は、個人の生活の確保が大事で、その生活の内容は個人や宗教、文化や道徳・倫理でしょう。 法律では公序良俗(公の秩序、善良な風俗)そして公共の福祉以外には立ち入らないでしょう。
お礼
>博愛と愛は違いますよ そうか…ごちゃまぜにして考えていました。 英語も言葉を別にしていますよね。philanthropyってphil+anthropy;たぶん、愛するという言葉とアントローポス=人間という言葉をくっつけたのだと思う。 「愛」は、個人的関係、「博愛」はもっと広い関係を指しているのかもしれないと思いました。 んで、肝心のフランス語ではどうなっているんでしょ(汗) そして、法律についての詳しい説明ありがとうございました。
- LTCM1998
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「愛」だけを取り出すと、感情ですからね、法律にはなじまないですよ。 たとえば質問者さんは、「○○さんを愛しなさい」って判決食らったらどう思います? 法律というのは、(1)道義的な側面と、(2)強制力をもつ側面があります。 法律の歴史を見ると、古代から、「~せよ・~しなければならない」という形式と、「~したときは…にする」という形式があります。 そして、法律がもっとも強い力を発揮するのは、従わない場合に国の力で従わせるという強制力です。 「人を殺してはなりません」は当たり前ですが、これでは守られなかった場合にどうにもなりません。なので殺人罪という規定を作って、死刑・無期懲役・3年以上の懲役という処罰をするぞ!ということで、食い止めようとするわけです。 そうすると、「博愛」そのものを法律に入れるのは難しいですね。 とはいえ、言葉が入っていないからといって、まったくないわけではありません。 日本国憲法でいえば、「すべて国民は個人として尊重される」というのは、博(ひろい)愛のあらわれです。 どこからどこまでが「平等」で、どこからが「博愛」というように分けて考えると見えにくくなると思います。
お礼
>たとえば質問者さんは、「○○さんを愛しなさい」って判決食らった>らどう思います? ヤダ、そんなの(笑)。わたしの勝手にさせてくれ~。 >法律というのは、(1)道義的な側面と、(2)強制力をもつ側面があります。… そうすると、「博愛」そのものを法律に入れるのは難しいですね。 そっかぁ。なるほど! 「愛さなければならない」ってのはなんか変ですものね。 わたしも、道義的にそうなっているから愛しているとか、強制されてそうしているわけではない…。 お母さんがわたしを愛してくれている時に「道義的にそうなってますから」とか「強制されてました」なってわたしに言ったら、ショボ~ンです。 愛さなかったら処罰される、ってのも変ですね。 納得がいきます。 「すべて国民は個人として尊重される」というのもひろい愛かぁ これ、今の政府(行政権)に言いたいっ! 憲法というのは政府に対する権力の制限の意味があるように漠然と思うんですが、どうなんですか? もう一回教えてっ! お願いしますm(__)m でも、今、友達と食事に出かけるのであとでゆっくりで良いです。 例証を入れた丁寧なご回答ありがとうございます。
- poolisher
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フランス(自由・平等・博愛)-アメリカ(自由・平等)=博愛 と考えると、博愛の実際制度は社会福祉や社会保障といえます。
お礼
なるほど。 社会福祉や社会保障は博愛の実践ってことですね。 たしかに、「そのままでその存在を受け入れ、よしとする」(これわたしの愛の理解なんですけど)という精神を発揮しないと、実践できないことかもしれない。 参考になりました。ありがとうございます。
- 1582
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ためらわないことさ くやまないことさ
お礼
は~~~い ありがとうございます。 ってか、わざざわありがとうございます。
お礼
「もう一度お願いします」のお願いを聞いてくださりありがとうございます! >フランス革命の当時はとくにそうですね。 そうか、もうすこしよく勉強してみます。 法律は、国家と市民との力関係によって成り立っているんですね。 日本国憲法にも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」って書いてあるのはそういう意味ですかね…。 そして、自由権と社会権の説明とてもよく判りました。 「そんなこと余計なおせっかいです」と国に言いたくなるような事柄について、ちゃんと自由であってよい権利として位置づけられているという訳か。 そして、例えばみんなと同じように生存したり、生活したりするのも社会権として位置づけられているってことですね。 政府も大変ですね。(笑) んで、司法や立法はもっとがんばれ!。(なんか、少しなさけないのでは) ところで「愛」については、結局どうなったんでしょ。(汗) 「政府は博愛主義をもって政治にあたらなければいけない」って条項をわたしたちが作ったとして、生活保護額もっとあげろと要求したら「憲法○○条はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に、愛される具体的権利を賦与したものではない。愛なんてそれくらい抽象的なんだから」なんて判決でちゃったら困るわね。 >最終的には国民がきちんと選択してゆく責任があります。 一番納得しました! わたしも、行政にはちょっと文句があるので、選挙できちんと選択したいと思います。 では、みなさん、とっても親切に説明してくださってありがとうございました。いろいろなことを考えることができました。 特にLTCM1998さん、質問にも丁寧に応えてくださりありがとうございました。 「こういう先生が学校に居てくだされば良かったのに」と思いました。(最後は愚痴でした)