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主観と客観

jim51の回答

  • jim51
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回答No.7

私はファンではありませんが、某巨大掲示板に #6 氏のような伊東美咲のスレがあったのでつい書きたくなりました。余談。 本題に入ると、主観→客観は成立するが客観→主観は成立しないといったことを書けという課題でしょうかね。 個人的にはこの問題を考えようとする時は、以下の書物を引っ張り出して何とか理解しようとします。しかし何度読んでも、そういう問題が存在するのは分かっても、理解や納得まで至らないわけですが。 竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』『現象学入門』 もちろん、前者のほうがとっつきやすいです。その後に出版された似たような書物があればそれでも可。ただし著者が違うと見解も違ってきます。 担当教員の好みもあるでしょうが、彼の学問上の立場は別にして、あなたが「客観的」にまとめればそれで合格点を出してくれるように思います。 しかし、あくまで客観「的」であって「客観」ではありませんよ。「主観」がなければ「客観」もない、すなわち絶対的な「客観」はないのですから(竹田氏によれば)。 つまり哲学者の言うことは絶対に正しいが、学生の言うことは絶対に間違い(あるいはその逆)、というのはあり得ないということです。 課題で何かテキストを読んでというのは、伊東美咲ファンのように自分の頭の中だけで完結した妄想ではなくて、「客観的」に存在する書物を何か読んで、これは単なる自分の妄想ではありませんということを私(担当教員)に示しなさい、という趣旨ですね、たぶん。 いずれにしろ「主観」「客観」といっても、ここの回答者諸氏のようないろいろな解釈があると思います。 したがって、その解釈(結論)が妥当かどうかというよりは、そこに至る過程(プロセス)が妥当かどうか、あるいは過程そのものに対する質問者さんの見解を問われているのではないでしょうか。 #6 氏がヒントを出されていますが、この過程がウェブログで行われるとどんな感じになるか、というのは以下のページに簡潔な説明があります。 さまざまな無数の「主観」(暗黙知)が「客観」(形式知)に限りなく近づく(しかし全くの「客観」ではない)過程で、多くの人の共通理解が生まれてくる、といったようなことです。 http://kotonoha.main.jp/weblog/000846_knowledge-management.html まず最初に何か厳然とした動かせない「客観」が存在するのではない(これも上記の過程で生じるから)という考え方は、個人的に好きな考え方なのですが、質問者さんがこのような考え方に馴染めるかどうかはまた別問題なので無理にそう考えろとは言いません。 何か誤りがあればご指摘ください。

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