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日本語の<主観性>をめぐって(
こんにちは 日本語は言語として、ほかの言語よりとても主観性があると思っている。(これについて検討して欲しい) 例えば、紹介する時、「私」とか普通は言わない。でも、イギリス語、中国語にはいつも「I」、「我」第一人称として言う。 また日本語の授受動詞について、「あげる」、「くれる」、「もらう」そういう三つの言い方があるが、イギリス語、中国語は「give 」、「给」そういう一つ単語でいい、そして、表す意味は大体客観的だ。 日本語について、言語の特徴、言語類型、主客合一 、主客対立 、主観的把握、 客観的把握 それぞれについて、説明して欲しい。 意見とか、資料とか、なんでもいいもらって欲しい。(これを巡って、論文をやっているから~~)
- totoli
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- marisuka
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言語の特徴、という言葉で思いついたのですが、日本語と中国語の、それぞれの文法用語の異同、なんてテーマもおもしろいかもしれません。もし私が中国語に詳しければ、調べてみたいテーマですね。 totoliさん、補足ありがとう。 ここは質問-回答のサイトなので、これ以上の会話は残念ながらできません。「来年の二月に黄鶴楼を見に行きます。」なんて言っていてはいけないらしいのです。この回答も削除されるかもしれません。でも日本語に関する質問なら、いつでもできる限りお答えします。お待ちしていますよ。
- marisuka
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補足を拝見しました。 論文のテーマは自分で決めるものです。でも、それがどれほど難しいかは、よくわかります。言語の特徴、言語類型など、どこかに書いてあることをまとめただけでは、論文ではなくレポートですからね。 ご質問の中で疑問点としてあげられている主客合一 、主客対立 、主観的把握、 客観的把握は、とらえどころのないことだと思います。そもそも「主観的」とはどういうことか、からして説明が難しい。人の心理から考えなければならない。 論文であるからには、資料や例をあげ、客観的な分析をして結論を出さなくてはならない。そこで考えられるのが、「話し言葉と書き言葉で、それぞれどんな場合に主語が省略されるのか」です。話し言葉のほうは、小説やマンガに出てくるセリフを資料にすればいいと思います。または、それらを「書かれた話し言葉」として扱うか。 日本語では、主語は修飾語の一つとして、容易に省略されます。では逆に、省略できないのはどんな場合か、と考えれば、おもしろい研究ができるのではないかと考えます。私はもうそんな研究をしている余裕のない生活なので、ぜひやってみて欲しいと思います。 以上、なにかヒントになれば幸いです。 ちなみに、私は中国が大好きで、しょっちゅう旅行に行っています。旅行中、いつも中国の方に助けてもらっています。ほんの少しでもお役に立てたならうれしいのですが。
補足
嗨!marisukaさん~こんばんは 相変わらずまず礼を言う、ありがとうございました! そしてね、ご意見、本当にいいと思う。 「主観性」というのは本当にあまり説明できない、私なら。なんか自分はなんとなく分かるが、でも、そういう感じはどんな感じか、ほかの人にははっきり伝えない。中国語で、多分「只可意会不可言传」そういう感じかな。(哈哈) 「主語の省略」はいいテーマと思うよ、でも場合か、原因か、どの点から手を付けようのはまた決めっていない。今はこれについて資料を探して考えている。決めたら、必ずmarisukaさんに教える。 marisukaさんは中国へ旅行したよね、じゃ中国語できるか、どんなところに行ったの?わたし日本に行きたい、日本だけてなく、中国も、ほかの国も、いろいろなところに行きたい。遠いところに、そして、そこに住んて人々、かれらの生き方、私は自分の目で見に行きたい、知りたい。多分、好奇心のせいだな もし、日本語について疑問があったら、また聞いてもいいですか?
- marisuka
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言語として主観性がある、ということ自体、まずどういうことかわかりません。だから回答が寄せられないのでしょう。そんな言い方を聞いたことがないので。だから論文のテーマにしたのかとは思いますが。 質問文を読むかぎりですが、「私」と普通では言わないのは、もともと主観的なことを言おうとする言語だからである、という理解でいいのでしょうか? ならば、根本からくつがえすようですが、日本語でも主語は明示されます。ただ、私見ですが、日本語では「一度登場した主語は、主語が交代するまでは省略される」という特徴があるのです。 また「わかりきっている主語は省略する」という特徴もあります。この「わかりきっている」という範囲が、日本と諸外国では違うのでしょう。英語だって中国語だって You give me ? を Give me ? と言うでしょうし、「你给我吗」を「给我吗」と言うでしょう。日本語では「私は」「あなたは」を省略する機会がずっと多いのです。主語は発話者である、というのが一般的、ととらえているからだと思います。 この「主語の省略」という観点から日本語をとらえ直してみてはいかがでしょうか。 ただ、このままではほかの回答はつきにくいと思いますよ。この質問に回答するとしたら、一つの論文になってしまいそうだからです。それはあなたがすべきことですからね。 日本語がかなりお上手ですが、中国の方ですか? 「もらって欲しい」は間違いで「送ってほしい・与えてほしい・紹介してほしい」あるいは「ください・いただけませんか」と言うべき場面です。 論文が完成することをお祈りいたします。加油!
お礼
ありがとう~(*ˉ︶ˉ*)
補足
まず、本当にありがとうございました! 確かに中国人だ、すごいなあ、私は英語も例にとして出していたのに~ははははは、冗談だ~ そしてご意見もありがとう、まあ、日本語の文法は苦手で、よく間違った、ちょっと恥ずかしいな~(ははははは~)でも、頑張ります 論文のテーマはまた決めていないんだ、確かに日本語の主観性という話題はちょっと難しいなあ、範囲も多すぎるし、曖昧な論文になるかもしれない~ じゃ、その中にただ一つをとってテーマにとして論文を書くのはできるかな、marisukaさんはどう思う?
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補足
すみません、ついにここは質問-回答のサイトのが忘れしました。でも、そんな熱心に助けてくれて、心から感謝しています。 もし日本語に関するわからないところがあったら、marisukaさんに相談します。