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主観と客観

noname#17334の回答

noname#17334
noname#17334
回答No.6

知のプロセスにおける主観と客観との関係 といえば、結論はナレッジマネジメントの野中理論「形式知と暗黙知」の相互関係 の話にもっていけば合格点のレポートが書けそうですね。 まず主観というのは、哲学用語でいえば、「考える主体」のことです。対になるのは 「客体」であって「客観」ではないです。 客観というのは、簡単に言えば第三者の視点。 ものを考えるとき、「見ている自分」と「見られている対象」と「それを記述するもうひとつの 視点」という差異を意識することが大事です。 たとえば、伊東美咲を「いいなぁ」と自分が思う「主観」と、伊東美咲は、質問者さまを 全く知らないという「客体」の側の視点と、所詮、伊東美咲と質問者さまは、無関係と いう「客観」的知見と存在します。 主観は、往々にして再現性のない証明の困難な事象を認識します。たとえば オレは背の高い女が好きだ。伊東美咲ちゃんは背が高い。よってオレが伊東美咲 ちゃんを好きになるのは当然のことだ。 この三段論法は、間違っていませんが、「俺」が伊東美咲ちゃんを好きになる正当性ま で立証するものではありません。 オレはかわいいおちょぼ口の女が好きだ。伊東美咲ちゃんはかわいいおちょぼ口だ。 よってオレが伊東美咲ちゃんを好きになるのは当然のことだ。 これでもかまいません。これは、理屈でこういうのを「形式知」というのです。 理屈上は誰でも納得する話です。 「そうか、お前は伊東美咲さちゃんがタイプなのか」と客観的に納得してくれます。 しかし、「俺」は、いくら自分が好きになる理由が明解であっても、それがタレントと 自分を結びつける絆にならないということを経験上知っています。 これを「暗黙知」といいます。とりあえず、自分のなかで「戦う前からあきらめる」みたいな 無理だよね。みたいな自覚があったりします。 でも、これは立場が変わればそうはならないわけで、芸能プロとかマスコミ関係者なら 伊東美咲ちゃんとのコンタクトの機会はやまほどあったりします。 主観というのは、人それぞれの理解です。 客観というのは、誰が見ても疑いのない事実の認識が得られる立場のことです。 知のプロセスとは、人それぞれの理解を基点に、誰がみても疑いのない事実の認識に 至ろうとする流れと、そのように普遍化されて推論の働く理屈になったものに基づいて 思惟しながら、自分なりの推論を導くプロセスが交互に行われるということです。 オレが伊東美咲ちゃんを好きなわけはお前にもわかるだろう。(理由の説明・・客観) うんうん。わかるけど、当面きっかけはつくれそうにもないよな。(主観・・・暗黙知) それはお前の勝手な思い込みだろうよ。オレは来週美咲ちゃんのサイン会に いくんだぞ。(形式知・・・客観) サイン会で知り合った相手と恋人になった芸能人はいないだろう。(暗黙知・・主観) オレは、好きでいるだけで満足なんだからいいだろう。多分きっとそうだろう。 美咲ちゃんに良く似た女の子紹介しようか? おう。頼むよ。でもオマエの〇〇似って、とんでもなくかけ離れたケースが 多いからなぁ(経験的暗黙知・・・主観) そんなことない、本人もよくそう言われるって言っていたぞ。(形式知 ・・・客観) そうかぁ

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