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中川御番・駿府加番について
6dou_rinneの回答
中川御番は元冶元年までは3名ずつ5日交代で、元冶元年からは半月交代で勤務は短期間で、しかも深川で小名木川を往来する舟を監視するだけの暇な仕事ですからたいていは現有の家臣だけで大丈夫だったでしょう。 駿府の加番は1年交代で大名1名、旗本2名でしたが、こちらはある程度の家臣を引き連れていくことは必要でした。。 これらの役には限りませんが、江戸時代中期以降は高禄の旗本といってもそんなに多数の家臣はかかえていませんでしたから、足りない人員はそのつど口入屋から調達していました。 これらの武家奉公人は1年契約が一般的でしたが、1日だけでも可能でした。
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御回答ありがとうございます。 中川御番は暇な仕事だったのですね。 駿府加番は大坂加番と違って合力米が貰える訳でもないし、損な役回りだったのですね。