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関が原 小早川の寝返り
sqwe-irの回答
関ヶ原の配置図を見て、ヨーロッパの軍事評論家は、 「西軍の勝ちだ。」 と即座に言ったそうです。 結果を知ると、 「いや、絶対にあり得ない」 こう言い、驚愕しました。 徳川家康本陣は、完璧に包囲され、本陣後方に毛利がいたからです。 このまま行けば、家康本陣は危ういのは明白です。 毛利が内通して、一応は軍を動かさない約束をしていました。 しかし、東軍が不利と見れば裏切るのは必定でしょう。 毛利3家の動きを決定的にしたのは、 毛利小早川の寝返りです。 つまり、小早川が徳川に突撃すると、後方が怪しいのです。3家を見殺しには出来ません。 ここで、毛利本家の突入が考えられます。 豊臣家崩壊の大きな原因は、豊臣5奉行の不仲です。 豊臣秀吉が健在の頃はある程度まとまっていました。 豊臣秀吉の死後も、前田利家の人柄で、何とかまとまっていたのですが、 前田利家が没すると、この問題が一気に浮上し、 奉行の福島正則などが徳川に付き始めます。 豊臣秀吉が生きているならば、不忠(裏切り)は出来ませんから、秀頼の家臣として殆ど残ります。 武田勝頼の例です。 武田勝頼は、諏訪勝頼と言い、信玄の血を引いてはいますが、元は武田信玄の家臣です。 武田の家臣軍団も、元は同じ家臣じゃねーか。こいつは。こう言う気持ちもあったでしょうが、ちゃんと家臣として仕えていました。 しかし、物言いは鋭く、勝頼は言われっ放しになります。 彼の取った行動は、 「信玄公より広い領土」 「戦に勝って、戦に反対した信玄公ゆかりの武将を臆病者となじる」 「意見を言わない家臣をそばに置き、信玄公ゆかりの武将の意見は、我が家臣を通して聞く」 はっきり言ってしまえば、 お前ら、こう言うけど、領土広いよ。 信玄公に勝ったろ。 戦に勝ったろ。危険だのやめろだの言う、信玄公ゆかりの武将などこんなものだ。 お前らもういい。聞きたくない。 言われた事を否定する行動しかとっていないのです。 最後に、織田鉄砲隊の前に大敗走するのですが、 ここで、信玄公ゆかりの武将は、武田勝頼が無事に逃げるのを見届け討死します。 信玄公ゆかりの武将の殆どが無謀な突撃をやってのけ、ここで討死します。 秀頼もこんな感じになるのではないでしょうか? ^^;
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