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「儒教」って本当に“宗教”の部類に入るのでしょうか?

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回答No.2

子、怪力乱神を語らず。 孔子を神や聖人としてあがめ、孔子の言ったことは絶対だと信じる人にとっては、儒教は宗教。そうでない人にとっては、人生の指針。儒教にどのようにかかわるかによって宗教にもなり、人生の指針にもなるのでは。中国三千年の智慧でしょう。 宗教=思考停止、考えることをやめただひたすら信じる。テルトリアヌスは、"不合理ゆえにわれ信ず"と宗教の本質は考えることではなくて信じることだといってますね。これは、儒教にかぎったことではなく、学問でも、学説が現実と違っていても、偉い学者が言ったことだからとそれを信じて疑わない人がやっているような学問はその人にとっては宗教となんら変わりはないですね。

mustapha13666
質問者

お礼

ありがとうございます。私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、クリスチャンの方々なり旧新興宗教の信者の方々なりなにかしら信仰を持っている人々からかつて「…疑うことも大事だが、それ以上に信じることも大事」と言われたことがあります。ある意味、良くも悪くも「信じること」からその対象は何であれ「宗教」は始まるんですね(極めて“当たり前過ぎる”話なんですが…すみません)。

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