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宗教と無神論者について
- 宗教と無神論者についての疑問と、自身の考えについてまとめる。
- 宗教には嫌悪感を持ちつつも、家族の伝統を守るために宗派の行事や祭りに参加している。
- 幽霊や神々の存在を信じており、それらを尊重して手を合わせるが、自身は無神論者ではないと考えている。
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質問者が選んだベストアンサー
日本人の「宗教」に対する考えは誤解と矛盾があります。質問者様が悩むのも無理はありません。 そもそも信仰者vs無信仰者とか宗教vs無宗教という考え方自体が、一神教を前提としたものです。 日本人は(全般的に)一神教的な社会ではないのに、西洋的な一神教的価値観で宗教を考えすぎるから矛盾と誤解が生じるのです。 日本人にとっては、信仰なき信仰心もありえますし、信仰心なき宗教もありえるのです。 キリスト教やイスラム教が普通の社会(アメリカやヨーロッパ、アラブ諸国など)では「神を信じていますか?」という質問が成り立ちます。どのような神を信じてもいいのですがYESなら信仰を持つ者であり、N0なら無信仰者です。ただし無信仰者と無神論者はこの場合でも同じではありません。 つまり「神そのものの存在は否定しない」、エホバでも仏陀でもシバ神でもラーでも、誰かが信仰している信仰については受け入れるし、スーパーナチュラル(超自然的な力)や運命という確率論以外の(いわゆる神の思し召しとか天の啓示とか)は受け入れる、という場合は無信仰であっても無神論ではありません。 ただ、一神教的価値観ではどちらも「ろくでなし」という評価なのは同じです。 日本人の場合は、そもそもがアミニズム的宗教観であり多神教でありますから、特定の「神」を信じているというほうが例外的になります。この日本的な宗教観を、故山本七平氏は「日本教」という概念でまとめています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99 質問者様の持っている「自覚」はまさに日本教的な意識であり、日本人のスタンスそのものです。 だからこそ、一般的な日本人はキリスト教会で結婚式を挙げ、お宮参りや七五三を神社で行い、初詣や葬式をお寺に行って平気なのですし、初日の出や山河、針や箸(針供養や箸供養)などにも「尊さ」を感じるのです。 ですので、質問者さまは日本人としてごく普通だといえます。 しかし、ほとんどの日本人は海外に行ったり身内に宗教にのめり込む人などが出ない限り、自分の宗教観に矛盾や疑問を感じることはありません。クリスマスを祝いながら、何でだろう?楽しいからいいか!、程度の矛盾で済ますのがほとんどです。それ以上を考えると、情報や価値観としては「一神教的」なものしかありませんから、非常に矛盾をかかえてしまうからです(今の質問者様がそうですよね) 私もアメリカでの生活経験があるため(特に信仰の強い中西部だったため)非常にこの矛盾に悩みました。アメリカ人に「日本人にとっての宗教とは何だ?」と聞かれても答えられなかったからです。(ちなみに、この質問に明確に答えられないのは日中韓の儒教国だけだと思います) 質問者様の場合は、周りに極端な「宗教家」がそろっているわけで「宗教を信仰しているのが当たり前」という価値観に囲まれているわけですから、その宗教を信仰しない質問者様は「無信仰者」であり、「無神論者」に見えてしまうわけです。ただし彼らの言う「神」は自分が信じている神のみですから厳密にいえばその神を信じていないあらゆる人が無神論者に当てはまることでしょう。(まあ、身内以外にそう言ってしまうとトラブルになるので言わないということでしょう) ということで質問者様はまったくおかしくありません。一般的な日本人よりは宗教のことをお考えに成っている立派な方だともいえると思います。 身内との付き合いは大変だと思いますが、付かず離れず彼らがなぜ宗教に依存するかを理解するようにすれば、より深くいろんなことを理解できると思います。
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- makaay5
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「神の存在は認めている。神の代弁者の存在は認めない」と言えば整合性がありますね。回答者は無神論者ですが・・
お礼
神の代弁者、ですか。 今度からつかってみます。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
貴方の感性は非常に正直で正しいお思いますよ。むしろ周囲の批判する人たちが無知なんです。 願いをかなえるのが神、守るのが神・・それでは神ではなく人間のパシリじゃないですか。そんな神がいるはずありません。 神は遥かに崇高な存在であって、目的を叶えてくれることを存在条件にした段階で神ではありません。 信仰とは敬神崇祖の念を大切にして感謝するものであって、宗教は森羅万象から人間がその意図を推察し、或いは想像して生きる道を探るものです。 宗教の教えはあくまでも人間が作り出したもの、だからそれを信じなくても神を信じれば、無宗教者ではあっても無神論者ではない。 そんな違いも理解できずにキチガイ呼ばわりするものなど放置すればいいんです。こちらの耳が穢れるだけです。 神社神道には宗教のような教義がありません。教えが無いので宗教ではありません。しかし森羅万象の営みの中に人間も守るべき規律があります。それをそれぞれの人が汲み取って生きていく、それが神道の生活です。 日本人の日本人としての生き様の真髄はそこにあると私は考えています。 一人の子供が生まれたとき、日本人がボブなどと名付ける訳無いし、アメリカ人が与太郎と名付けるわけも無い。近年犬でもネコでも人間でも洋風の名前をつけるようになりましたが、古来、日本人がアマテラスと呼び。中国人が大日如来と呼び、インド人がマハー・ヴァイローチャナと呼んでも不思議ではありますまい。 名前というのは、その国の言葉で、その性格や働きを適切に表した形だからです。 だから名前に固執する必要はありません。「神」で十分なんです。 そしてその「神」でさえ、「人事の及ばぬ存在」を意味し、その定義を用いればキリスト教の天使や聖人や悪魔さえも「神」となります。つまり一神教だの多神教だのという区別も意味の無いものになってしまうわけです。 ですからご自身の理解、しかも脳の得た知識ではなく、魂の発動による理解を大切にし誇りに思ってください。
お礼
>宗教の教えはあくまでも人間が作り出したもの、だからそれを信じなくても神を信じれば、無宗教者ではあっても無神論者ではない。 思わずおぉ・・・とつぶやいてしまいました。 同じ神を奉っているのに、○○派とか宗派が分かれるのも、このせいなんですね。 >神社神道には宗教のような教義がありません。教えが無いので宗教ではありません。 これも初耳でした。 無宗教のやつが神社にいって頭さげてんじゃねぇ、偽善者ぶってんじゃねぇって言われたことがありますが、そもそも根本部分から間違ってたんですね。 歴史を学んでいくと、宗教が原因での争いがおき、多くの一般市民が亡くなるなんてことが繰り返され、なぜそこまで必死になるのか理解できませんでした。 そもそも日本人の宗教観が、海外のそれとは全く違うんですね。 日本人って、面白いなぁと改めて思いました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”私は自分が無宗教者ではあっても無神論者ではないと思うのですが、違うのでしょうか? やっぱり私の考えは矛盾だらけでおかしいでしょうか? ” ↑ おかしくありません。 例えば、人間の死体は科学的にみればただの生ゴミです。 しかし、これを生ゴミとして扱えるひとは、ほとんど いないでしょう。 このように、人間である以上、何かしらの宗教的感情は 持っているものです。 しかし、だからと言って特定の宗教をやるかというと それは別の話です。 宗教感情がある、ということと、特定の宗教をやる、ということは 矛盾するものではありません。
お礼
>人間である以上、何かしらの宗教的感情は 持っているものです。 >宗教感情がある、ということと、特定の宗教をやる、ということは 矛盾するものではありません。 なるほど、色々うなずけました。 以前テレビで、ゾウは亡くなった命を惜しむことができる動物だという話を見ました。 人間というより、生き物であれば、身近なものの死を悼み、惜しむことができるのかな、という気もします。 単にそれが、人間社会で宗教感情といわれるだけであるのだろうと。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>なので、宗教・宗教活動という言葉を聴くと、トラウマで反射的に嫌悪感を覚えます。 まあ、レベルの低い宗教が多いのは事実ですからね。割と多くの宗教の指導霊というか、祭っている神は悪魔系だったりするので、嫌悪を覚えるのが正常ってことかもしれません。 >>私は自分が無宗教者ではあっても無神論者ではないと思うのですが、違うのでしょうか? この世を超えた存在を信じているなら、無神論者とはいえないでしょうね。それでいいと思います。 >>やっぱり私の考えは矛盾だらけでおかしいでしょうか? いいえ、幸福の科学の教えからみれば、質問者さんがあげられたいろんな神々について、それに相当する存在がいるわけですし、幽霊がいるのもあたりまえのことであり、境内の中から話し声が聞こえるってのも、そういう家系なら極めて当然のことでしょう。「守り神」という存在がいるのもそのとおりです。矛盾はありません。 そもそも、この日本列島なんてマグマの上に浮かんでいるような存在です。地震が本来はもっと多いのが当然であり、その割に地震が少なく、列島が海の底に沈まないのは、天照大神以下、日本神道系の神々が列島を守っていてくれるからです。 彼らが「この日本という国に存在価値無し!!」と最終判断(ファイナルジャジメント)を下せば、ムーやアトランティスのような結果になるでしょう。 >>所謂、何でも願いをかなえてくれるような絵に描いた神や仏がいるとは思いませんが、神社にけば手を合わせますし、仏壇の中には観音様もいます。それらが尊い存在なのもわかります。 「何でも願いをかなえる」ってのは無理ですが、幸福の科学では祈願によって難病が治るってことがしばしば起こっています。医学的には信じられないような回復の事例が多いのですが、信者のみなさんは真面目なのか、「このくらいは信仰があれば当然のこと」と思っているのか、あまり騒がないんですよね。 まあ、それはおいといて、神様の意向にそった方向で努力していれば、必ず神の助けがあります。私も「こんな偶然なんてありえない。絶対に神の采配だ!」と思うことが最近ありました。信じる力がアップするに比例して私たちの受け取る神様パワーもアップするようですよ。 この世を超えた世界に存在する尊い神様たちを信じることができ、さらにそれを実感できるという質問者さんは、第一レベルの悟りを持っていると言えるでしょう。
お礼
人其々の見ている神様は、きっといろんな姿形があるのだと思いました。 その意向というのも、把握するのは難しいと思います。 自分が幸せになれば、誰かが不幸になるということもあって、そんな皆の願いを聞き入れようとする神様がいるなら、大変だなぁと思います。
- jacta
- ベストアンサー率26% (845/3158)
#3です。 > どうして見えることがおかしいんでしょうか。よく解りませんけれども。 そうではなく、疾患があるから見えるのではないですか? ということです。 > 宗教はもともと自分のためにやるものではないんでしょうか? そういう宗教もあるかもしれませんが、私はそんな宗教には反対です。 人間というのは、救ってもらおうとしているうちは決して救われないのです。 救われる側から救う側になったとき、はじめて救われる可能性が出てきます。 また、自分が救われたいから救う側に...といった損得勘定で動いているとやはり行き詰ります。
お礼
>そうではなく、疾患があるから見えるのではないですか? ということです。 薬をやっていて見る幻覚みたいなものだと皆言います。 でも確かに見えるものは見えるんです。好きで見ているわけでもないです。 初めて訪れた地で、お化けが出るとは知らずにいった場所で、苦しんでいる女性を目撃しました。 照らし合わせたのではないのに、家族全員、同じものが見えていました。 地元の人に聞いたら、かつてそこで自殺した人物だと。 服装や見た目からも間違いないと。 見たくて見ているわけではないです。ですが、ことついた頃から見えていました。 それが、疾患・・・「病気」だなんて酷い言い方だと思います。 私たちにとって、それは生まれ持った体質みたいなものなのに。 >救われる側から救う側になったとき、はじめて救われる可能性が出てきます。 そこに至るまでが大変で修行期間等あると思うのですが、そこに至れない人は皆、所詮は自分のためですよね。 自分が苦しみを知らなければ人を救えませんし、自分が救われなければやはり人は救えないと思います。
- jacta
- ベストアンサー率26% (845/3158)
> 親がどっぷり宗教につかっており、そのせいで虐待を受けたり、命の危機に瀕したからです。 私利私欲のために宗教をやろうとするとそういうことになります。 > そして、幽霊は信じます。あまり言うと変な目で見られるので表には出さないのですが、我が家の家計が所謂「見える」家計だからです。 断定的なことをいうと問題があるので避けますが、精神疾患を疑った方がよいかもしれません。 こういうのは遺伝するんですよね。 > そんな不思議な存在たちが「守り神」と呼ばれ、尊い存在なのだろうと思い、手を合わせ、頭を下げます。 少なくともそのような虫のよい話はありません。 > そんな私を矛盾してるとか、宗教をしないお前は無神論者だと言われます。キチガイだといわれます。 そのようにいう人が、どういう意図でいうのかは当人でなければわかりませんが、無神論者とはちょっと違う気がします。 無神論者というのは、きちんとポリシーをもって自分から能動的に「私は無神論者だ」というものだからです。 > 私自信、人間の願いをかなえてくれる神さまって本当にいる!とは思ってませんが、 私は特定の宗教をやっていますが、神も仏も信じません。 ただ、もし神というものが存在するとして、本当の宗教というのは、神が人間の願いをかなえてくれるのではなく、人間が神の願いをかなえるべきものだと思うのです。 最初に書いた「私利私欲のために宗教をやろうとすると...」というのは、この部分で根本的な勘違いをしているのではないかということです。
お礼
>断定的なことをいうと問題があるので避けますが、精神疾患を疑った方がよいかもしれません。 こういうのは遺伝するんですよね。 皆さんそういいますね。 どうして見えることがおかしいんでしょうか。よく解りませんけれども。 宗教はもともと自分のためにやるものではないんでしょうか? 私自信、深く信仰をしたことがないのでわかりませんが・・・。
- ota58
- ベストアンサー率27% (219/796)
意味も判らずやっているなら無神論者でしょう。 無神論者がなぜ悪い、でいいと思います。 神も仏もこの世ではなにも助けてくれないってことすら判っていないようですから。 列車や飛行機などの大事故や東北の大地震で、宗教者も無宗教者も神論者も無神論者も、皆平等に亡くなっていくのですから。
お礼
宗教はもともと死の恐怖の克服ですから、そういう意味で死ぬか活きるかではなくて、死ぬその瞬間に差があるのかな?とは思います。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
おかしくはないです。 あなたが無宗教徒だろうと無神論教だろうと どんな宗教に帰依し信仰しようと自由です ・我が家の家計が所謂「見える」家計だからです。 御同情申し上げます。収入に恵まれ家計改善されるといいですね。 昔は、うちも大半の日本人が貧しい時代で、 貧乏神や、火の車を見ることがありましたから\(^^;)...
お礼
別に同情されるような事は何もないですよ。
お礼
すごく解りやすい内容でした。 以前宗教論についての本を読んだことはあるんですが、内容が難しすぎてちょっと理解できなかったので、助かります。 よく私が特定の宗教を信仰していないというと、 「海外にいくとお前みたいなヤツは異常者としてしか見られないんだよ」 とあざ笑われたことがあります。 「私は日本人で日本にいるんだから、別にいいよ」 と返しましたが、それでよかったんですね。 むしろそこで一神教と比べることが、まぁおかしいといえばおかしいですね。 >アミニズム的宗教観 確かに日本はこれが際立っていますね。 昔の文献を読んでいると、危ないところをたまたまそこに立っていた桃の木のおかげで助かったので、その桃の木を神として崇めることにした・・・。とか、それに類するような面白い物語がいくつもありました。 下手をするとただの川辺の石ころを持ち帰って神棚に奉ったり・・・。 何事にも感謝をする心が、所謂日本教の根底にあるのかな?とも思います。 人を助けるものを神とするのではなく、助けられたから畏怖と敬意をもって神とするなんて、面白いですね。 身内や熱心な宗教家との付き合い方は、長年の経験でかなり心得てたつもりです。 ただ、あまりにも長年おかしいおかしいと言われ続けてきたので、そんなに私の考えっておかしいか・・・?と思い質問させてもらいました。 すごくすっきりして、質問してよかったと思います。