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有神論者・無神論者

ラマチャンドラン氏の著書によると、ある部位を刺激すると、神秘体験をするとのことです。 脳卒中により関係部位を損傷した場合にも同様な事が起きるようで、無神論者/有神論者の統計を取ると、有神論者が圧倒的に多いようです。 ここで、『神』という概念は、西欧においては宗教として生活に密着しており、ユングのいう所の深層意識の『元型』となっているように思います。 そこで、「八百万の神」、「困った時の神頼み」的思考の日本人は、どの様に感じるのでしょうか?

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  • gellgugu
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回答No.1

まず、「困った時の神頼み」の人は有神論者ではないと思います。 「八百万の神」ということは神道ですね。 神はあらゆる自然に存在し、特に太陽(天照大神)に感謝することは生活の一部となっています。 日本語を紐解くと神へ通じている言葉が沢山あります。 「いただきます」という言葉は作った人への感謝や命を授けてくれた作物や生き物への感謝もありますがもとは食事を取らせていただけるという神様への感謝です。 意外と日本も生活に密着してますね。 ただ日本には怪しい新興宗教が増えすぎて宗教に対する不信感があまりにも大きくなったため無神論者が多くなりました。 恐らく世界で一番多いと思います。 しかしそれは裏返しで、有神論者が多かったから多くの人をだませる(そういうマーケットが出来る)と思って怪しい新興宗教が出てきたのでしょう。 最初に言いました「困った時の神頼み」の人は有神論者ではないというのはつまり普段の神への感謝も無く特に何もしていないのに究極になると縋ってくる、そういうことだからです。 有神を論じてないんです。 でもこれを少し考えると深層心理には神がいるという裏づけにもなるのですが。 なんだか答えになりませんがそんなところですかね。

kanpyou
質問者

お礼

そうですよね。 「無神論」という言葉自体が「神」を意識したアンチの言葉なわけで、純粋な比較検討が不可能な問題です。 少なくとも、キリスト生誕から2千年以上経過していますし、それ以前にも何らかの信仰対象があったと推察できるようですので、社会として、「神」や信仰の対象を求めているのかもしれませんね。

kanpyou
質問者

補足

ありがとうございます。 ユングなども指摘しているのですが、『神』の存在は、人類に共通する『無意識』の概念なのでしょうか? それとも、成長過程における、教育や体験など、外界を通して意識形成されるものでしょうか?

その他の回答 (1)

回答No.2

微妙に感じるんじゃないでしょうかね? 一神教が光が目の前に広がっていくイメージだとしたら 多神教は蛍が町中を光らせるように点々と心に光ってくるんじゃないでしょうかね? ちなみに数年前の日本人の信仰はテレビでした。 テレビで そんな神様なんて・・ という雰囲気があればそっちの 方向へ 宗教は危ない という雰囲気があれば無神論信仰主義者へと 変貌していったのではないでしょうか? われわれはいったい何を信じて生きていけばいいのでしょうかね。

kanpyou
質問者

お礼

私たちの意識は、思ったより、曖昧・不安定なので、外界に依存して意識を保ち、安心感を得ているのかもしれません。