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長征について

本を読んだ感想なんですが。 毛沢東の20世紀最大の奇跡ロングマーチ。 それは物凄い道のりを越えて進軍する共産党員の物語りでとてもすごいと感じました。道々で人々に施したり、規律を守り、飢えに我慢し略奪をしなかった。その道のりはナポレオンのモスクワ撤退の道のりを凌駕する素晴らしいものだと書いてあり、想像を絶する苦労を感じました。長征を終え、試練を乗り越えた毛沢東は共産党員の団結を揺るぎないものにして最強の軍を作り上げ、革命を揺るぎないものにした。これで本が完結してるのですが、なぜ、長征する事にしたかそして毛沢東や共産党員が様々な行動を起こすのですがすごい素晴らしい最強とかで文が終わり次の章に行くきます。読んでいて胸を捕らえるのですがなぜ、そういう行動をとるのとかも知りたいです。長征中のもっと詳しい話も知りたいのですが是非教えてください。

  • 政治
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回答No.1

夢を壊すようで申し訳ないけどね。なぜ長征が行われたかを中心に書こう。 第1回国共合作は1925年の蒋介石の上海クーデタによって崩壊し、国民党と共産党は再び対立することになるんだが、共産党主流派は都市における労働者の支援を当てにし、反主流派の毛沢東は農村工作を中心にして1931年に瑞金という所に中国共産党が中華ソヴィエト共和国というのを作るのね。これは毛沢東が中心になって作るけれど後に都市を追われた共産党の主流派に乗っ取られてしまう。で、これを国民党政権の蒋介石が抗日戦をするより国内の敵である共産党をたたきつぶすことを優先して攻めるわけ。 共産党側はゲリラ戦術で抵抗したりして4回まではなんとか持ちこたえるんだけど、ついに1934年10月の第5回総攻撃によって負けることになる。で、30万人の共産党軍が国民党の包囲を破って逃げ出そうとするけれど実際にはその脱出の時に9割の共産軍が倒れて残った3万人だけがなんとか脱出に成功するわけ。これが長征(大西遷)の開始ね。 でも、後から国民党軍は追いかけてくるし、共産党軍最大の拠点である瑞金が敗れたわけだから行くところがないしね。どこへ行くか迷いつつウロウロしてたのよ。そして、1935年1月に遵義という所でこれからどうするかの会議が行われ、この会議で毛沢東はクーデタに成功して共産党の主導権を握る。そして、言葉巧みに「我々は逃走しているのではなく延安(共産党のもう一つの拠点)で日本軍と戦っている仲間の所へ応援に駆けつける所だ」と意義づけたのよ。 ということで生き残り3万人の集団が人口の多いところを通ると国民党軍によって壊滅させられるので、大きく迂回して延安まで行ったのが長征というわけ。まあ、その間に延安の共産党が「八・一宣言」を出して対日戦のための呼びかけを行い、これがきっかけで張学良の「西安事件」なんかが起きて蒋介石は捕虜となり第二次国共合作を約束させられたりするわけね。結局、共産党軍は中国第八路軍として蒋介石国民党政権の指揮下に入るけれど、常に日本軍との厳しい闘いをするように仕向けられる。まあ逆にこれが逃げ隠れしていた国民党軍に比べて実戦経験豊かな強い軍隊を作ることになったから、何が幸いするか判らないもんだ。 だから、長征時からの党員と言えば中国共産党ではエリート中のエリートというか、経験豊かな兵士として非常な尊敬を受けたんだね。でも、実際は敗残兵の集まりだったわけ。規律正しいと言ったって、確かにそういう側面もあったけれど、それ以上に乱暴な行いをして国民党側にその所在を知られるのが嫌だったから、おとなしかったのよ。こちらの方が実態に近いけれどがっかりしないでね。

okamainaku
質問者

お礼

夢が壊れました><。。。でも、真実も知りたかったので大変参考になりました。長征の生き残りはほんと、エリート中のエリートなんだと思います。けれど もし、中国が新しい政権になったらかなり非難されるのかなその人たちは?英雄は英雄で良いのに・・。けれど読んでいますとそうは思えなくなってきましたけど0^少しがっかりです。回答ありがとうございました!!

その他の回答 (4)

  • tkr1977
  • ベストアンサー率20% (80/395)
回答No.5

こんばんわ。 「ワイルドスワン」ユン・チアン/著 土屋京子/訳 講談社文庫 ↑読まれました? 未読でしたら是非。 作者ユン・チアン(女性)の実体験をもとに書かれています。 詳しくは下記サイトに皆さんの感想が載ってますので、そちらを参照して下さい。 →http://www.7andy.jp/books/detail?accd=18781925 (参照サイトは、ハードカバー版につながってますが、現在は文庫化されています。)

参考URL:
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=18781925
okamainaku
質問者

お礼

回答どうも!!皆さんの感想を読むと かなり面白そうでした^0^良い本を紹介して頂いてありがとうございます!!

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.4

拠点であった瑞金を国府軍に攻撃され、延安まで逃げ回った敗走のことです。その間に全滅に近い状況に陥りました。まあ物事は、どのようにも書きえるという好例でしょう。 確かに国府軍にとって、ここまで弱体化させたとは言え、延安に入れさせたことは九仞に一介を欠く事態ですから、失態には違いありません。

okamainaku
質問者

お礼

本を読んでいて逃げているとは感じられませんでしたが戦術的撤退はあったような・・・?ほんとうに書きようですよね。でも、フィクションでも面白いから良しとしますか^0^回答ありがとうございました。

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.3

 中国の公式見解通りというか、愛国教育の結果なんでしょうけど西洋や日本で考えられていることとは相当なずれがあります。(失礼ですが、笑ってしまいました)  毛沢東の紅軍など左翼連中は、伝説的に立派な軍だったように言っていますが、かつてその移動場面を目撃した西洋人によると、相当な驚きだったようです。  その光景たるや女・子供・家族ごと引き連れて生活そのものが軍隊という、それはもう近代の軍の概念からは考えられないデタラメな一軍だったのです。中国そのものが毛沢東の八路軍があり、蒋介石の国民党軍があり、地方の軍閥があり、馬賊・匪賊ひしめいて戦い合っている、まだ近代国家として一つのまとまりを成していなかったのですから当然と言えば当然ですが。  1931年、江西省の瑞金に毛沢東を主席として『中華ソビエト共和国臨時政府』を樹立。例によってそこでは、独裁恐怖政治が行われ住民は厳重に統制され逆らうと殺されました。国民党の何応欽の報告によれば、中国共産党の根拠地とした江西省では、虐殺された者18万6000千人、放逐された者210万人、焼かれた家10万戸以上に上ったといいます。  中国国民党・蒋介石は、満州国を事実上黙認して共産党との内戦を優先します。1934年共産党は根拠地の瑞金を失い、毛沢東は有名な『長征』を開始します。  『長征』ー名称こそ勇ましいですが実態は『大敗走』で、10万いた兵が6000に激減したといいます。  延安に落ち延びた共産党は、華北一帯の共産化を進め、国民党に対して『内戦を止めて、日本と戦おう』と呼びかけて延命を図りましたが、国民党の掃討の前に共産党の運命は『最後の5分間』と言われました。  そんな中突如、『西安事件』(1936年12月)が起きたのです。共産党に寝返った張学良が蒋介石を監禁し『内戦停止』、『一致抗日』を迫りました。二週間後、蒋介石は巨額の身代金を払った上、『即座に反共活動を止め、抗日戦のための資金と武器を共産軍に渡す』という協定に署名して釈放されました。

okamainaku
質問者

お礼

紅軍は善政をおこなうからあとからあとから年寄り子供問わず、参加してくると書いてありましたが・・・ 。頂いた回答を見ているとそうは思えなくなってきました。恐ろしい数の民間人が犠牲になってますね。中国物語は大抵、雄大で広大に書かれていますが話が少し矛盾しているのでしょうか?読んでいて面白いのですが、これからは少し疑いを持ってみてみようかな? 回答ありがとうございました。

  • Traja
  • ベストアンサー率19% (107/546)
回答No.2

私も専門家ではありませんので、そのつもりで。 発足当時の中国共産党は、 ・(封建制度や列強支配に反対する)インテリ層 ・都市労働者 ・(地主でない、下層の)農民 を基盤にしていました。 ただ、どちらかというと都市を主な拠点に、革命運動や武装闘争を行っていました。 しかし、時間が経つにつれて乱立していた軍閥勢力が蒋介石の元に集約されるにつれ、共産勢力は劣勢となり、拠点にしていた都市を失っていきます。 その勢力関係の変化の際に、共産勢力内部でも権力闘争があり、農民層出身の毛沢東が主導権を握るにつれて、共産勢力の基盤も都市部から農村部へ移らざるを得ませんでした。 そして、勢力挽回と共産思想の農村への展開を兼ねて長征が実施されました。 蒋介石も攻勢を続けて共産勢力を駆逐したかったのですが、折からの対日戦争もあり、結局都市部は蒋介石勢力、農村部は毛沢東勢力と言った微妙な棲み分けが出来ていきました。 農村を基盤にする毛沢東勢力ですから、農民の反感を買うような行為は当然出来ませんでしたし、少なくとも初期の共産勢力には理想的な共産主義の思想が強かったですから、上記の様な逸話が生まれるわけです。 テーマが大きすぎるので、大雑把になってしまいましたが、おそらくはこんな感じかと

okamainaku
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。毛沢東が農民出身とは 知りませんでした。他の将校とかなり揉めているシーンが多かったような気がするのですがこれも、身分の差で良い争いが耐えなかったのでしょうか?中国史には農民が天下を取ることが多くありますね、ロマン的ですね。回答ありがとうございました。

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    私が今住んでいる自宅は、旧日本軍の駐屯地跡地が宅地化された場所で、町全体が軍隊の町だった戦後忘れ去られた街だ。 ここで昭和40年代に生まれた私の子供時代、戦争はよく聞く思い出話だった。 対アメリカでは、有名なB29爆撃機よりも潜水艦が実際は厄介だったそうだ。 中国は悪夢だよ。 実際に日本軍と戦闘をした中国の実質的主権は国民党で、毛沢東の八路軍は当時日本軍の撤退した地域で、非戦闘民から略奪する武装化した盗賊だったそうだ。共産党に看板替えしたのは、国民党が勝利した後の内戦での話だ。戦勝国は実際は台湾の亡命政権だ。 さて、中国には食人を容認する文化があり、非常時には全く躊躇されなかった。 文化大革命時、政治教育のための集会が頻繁に開かれ、人民教育のため裏切り者が糾弾され頻繁に処刑された。 食用に人肉がふるまわれたそうだ。 熱心に共産党の集会に参加するのは、肉が出るし、腹が減ってたからだそうだ。 外国に国境を閉ざしていても隣の国がわからないわけがない。 これ、イスラム国以上だよね。 この残酷な政権を承認し、正当な戦勝国である国民党を排除する苦渋の選択は1970年のことだ。 そしてこのような国が国連常任理事国になる。 イスラム国も存続し続ければ、この国際社会の決断より国連加入は難易度が低い。 ナチスを上回る規模の惨状を作り、現在も存続する人類の危機だ。 勇ましく売られた喧嘩を買うつもりで、戦争を語るネット世論があるね。 中国に陸戦部隊を上陸させたら、いかなる地獄ができるか、アメリカ以上に知っている日本のリーダー層が、友人であるアメリカ人に頼むわけがない。 いかなる先端兵器でも、できることは海上封鎖だけだ。 中国を喜んで地獄にして、焦土戦術を取れるのは中国人の共産党軍だけだ。 戦争状態に発達した場合の有効な戦術は、中国の内部分裂の誘発であり共産党は自国の陸軍が実質的に最強であることを承知している。 そして内向きの軍隊であり、内乱抑圧が主任務だ。 戦争状態になったら、トランプ政権の誕生で、日本政府が大幅な自衛隊の拡張をしても、派兵するのは韓国やベトナムの防衛任務のみで、中国への上陸は日本もアメリカもまっぴらだ。 この膠着状態は、冷戦以上に陰湿なアジアの緊張を作り、中国自体は文化大革命当時か、それ以上の戦車が非戦闘員のひき肉を作る悲惨な状態になる。 さて、どこか遠くの土地で人が死んでも、それを防ぐためになすことがないか考えなければ、人類の一員ではない。憎い奴や軽蔑するやつを人間だと考えていなくてもだ。 とてもじゃないが世界にそんな惨劇は作りたくない。 戦争反対。 そういうわけで右翼的にむやみの中国相手に意地を張るのはよしましょうや。 中国人をバカにしているわけじゃない。 平和は切実なんだ。 今回はこんな論説で、社会情勢に関して、あまり聞いたことがないであろう意見を述べました。 哲学カテゴリーでの実験的検証でして、社会情勢についての見解や考察について何か、あなたの考え方を改めるきっかけになるだけの意見かどうか論説してください。 時事問題に関する意見としては妄想じみているとまで言われかねませんが、そういう新聞ネタは研究対象ではありません。

  • 北朝鮮の金正日って本当に独裁者なんでしょうか?

    北朝鮮の金正日って本当に独裁者なんでしょうか? 北朝鮮では、金総書記の誕生日祝賀行事が開催されたが、本人は姿を見せなかったとの報道がありました。 この件に限らず、かの将軍様はあまり公式の場に姿を見せないようですが、そんな行動を聞くにつけ、かれは本当に独裁者なのかと、疑いたくなります。 真の独裁者とは、他の追随を許さない強力なリーダーシップと自己顕示欲をもっているのが普通だと思います。 歴史上の独裁者を思い浮かべてみると、ナポレオン、ヒトラー、スターリン、毛沢東、フセイン… どの人も自分のイベントには意気揚々と出てくるし、他国のリーダーとも堂々と渡り合っていたり、自分の理論や演説などを生中継で延々と述べたりしています。 それに比べると、金正日は他国の指導者とつきあうこともほとんどないし、あまりに影が薄い。何よりも無表情で精気が感じられない。 カリスマ性を高めるためにわざと露出を控えてるという説もありますが、そのためなら返って逆効果じゃないでしょうか? かの国の、真の支配者は実は別にいるのじゃないかと、常々思っているところですが、この考えは的はずれでしょうか? 実は、知られていない実力者が別にいて、金日成の世継ぎの彼を操って北朝鮮の政治を操っているということはありませんか? やはり歴史になぞらえれば、日本の元祖・将軍様の鎌倉幕府や江戸幕府も、将軍が実権を握っていたのは初代のころだけで、代を重ねると執権や側用人などに権力を奪われています。 それでいて、平民や外国向けには「征夷大将軍・公方様」と奉っていて自分は表に出てきません。 同様に北朝鮮にも、北条時政や柳沢吉保のような表に出ない実力者がいて、金正日は単に奉られるだけの傀儡人形ではないかと思ってしまいます。 もちろん、本当にバカ殿では、すぐにばれてしまうでしょうから、自分は傀儡の実力しかないのだと自覚できて思い上がらないくらいの分別と、たまに表に出るときに馬脚を現さないくらいの教養や演技力はあるのでしょうけどね。 ともかく、そういう傀儡を操っている人物はいるのでしょうか? だれか、そういう真の実力者たる人物で名前が浮かんでくる人はいるのでしょうか? (以下の質問は、上記の想像が的はずれならごめんなさい、スルーしてください。) で、それが事実だとして、そういう裏事情を各国の政府や諜報機関は把握しているのでしょうか? 真の実力者がだれか分かっていれば、交渉や対決の時にずいぶん違うのじゃないかと思います。 例えば米国がなぜあれほど裏切られても北朝鮮に軍事力を使わないのかという質問に対して、「米軍の軍事力は圧倒的に強いが、北朝鮮の体制が崩壊すると無政府状態になって秩序が崩壊すると困るから」というのがありましたが(http://okwave.jp/qa/q4754020.html のANo.3など)、もし金正日が本当は独裁者でないのなら方法があります。 ピョンヤンを急襲して金正日を保護(拉致?)し、真の実力者を排除(逮捕?)して、国内向けに「君側の奸を排除した。以後も将軍様のもとで団結を」とでも宣伝して、新たに金正日を利用してかの国を統治するというのはどうでしょうか? 金体制への忠誠心でマインドコントロールされた北朝鮮の軍部や民衆は、陰の実力者が交代しても付いてくるでしょう。。 事実、米軍には実績があり、太平洋戦争後の処理で天皇制を温存して軍部を排除したのもそうですが、近年もパナマの実力者ノリエガ将軍を排除した事例もこれに相当します。 ノリエガ将軍は同じ「将軍様」でも、金正日と違って総書記でも大統領でも首相でもない、単なる最高実力者だったので、排除してもパナマの国体に傷が付くことなく、国際的非難もあまりありませんでしたよね。 なので、可能性としては面白いと思うのですが、どうでしょうか?