- ベストアンサー
パン江戸時代
Reynellaの回答
- Reynella
- ベストアンサー率51% (546/1061)
「江戸時代を通じて食べられていた」 食べていたのは日本人ではありません。 南蛮人渡来とともに日本にパンが伝来したのは事実ですが、それはパンが日本に広まった、ということではありません。パンは日本人にはほとんど普及しませんでした。パンはあくまでも、やってくる西洋の人達が食べるために焼かれていただけです。そしてそれは江戸時代も続きましたが、場所は長崎の出島内に限定されていました。18世紀の蘭学者の文書にはパンというものがオランダ語でブロフトと呼ばれ、小麦で作っているらしいことが書かれてあるそうです。(舟田詠子パンの文化史』講談社学術文庫) 蘭語は長崎出島の関係者のみにしか広まらず、パンという言葉が実態なしに明治にまで伝わりました。江戸後期には戦時携帯食としてパンに注目した人がいたようですが、広まることはなく、言葉だけが伝わったそうです。
関連するQ&A
- 江戸時代の追放刑について
江戸時代の追放刑は、重追放・中追放・軽追放・江戸十里四方追放・江戸払い・所払いの6種類に、門前払いを加えて、合わせて7種類(遠島を含める考え方もあります)ですが、先日所払いには軽追放と重追放があり、軽追放は江戸四里四方、重追放は江戸10里と定められていたとの記述を見たのですが、その根拠となる原典をお分かりになる方がいらっしゃいましたら教えてください。 一般的には、 重追放=居住地・犯罪地・関八州・甲斐駿河両国・五畿内・肥前国・東海道筋・木曽路筋の居住禁止(御構場所) 軽追放=居住地・犯罪地・江戸十里四方・京・大坂・東海道筋・日光道中の居住禁止(御構場所) 江戸十里四方追放=居住地・江戸日本橋から四方五里以内の居住禁止(御構場所) 江戸払い=品川・板橋・千住・四谷大木戸・両国橋(後に江戸の拡大により本所・深川を含める)内の居住禁止(御構場所) となっています。この根拠は公事方御定書です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%BF%BD%E6%94%BE%E5%88%91 なお、江戸四里四方は旗本が江戸外への外出許可を得る時の江戸の範囲、江戸城大手門から四里四方のことだと思うのですが。このことについても追放刑に四里という規定があるかどうかお尋ねしたいと思います。
- 締切済み
- 歴史
- 江戸時代の人々について
子供のような質問ですが。 江戸時代やそれ以前の人々の会話ってどのようなものだったのですか?古典に書いてあるような会話をしていたのですか?どこまで現代語に近い会話をしていたのか気になります。時代劇などで使われる「ござる」というような言葉を本当に使っていたんですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の標準語
江戸時代に標準語というのは、あったんでしょうか?(Q1) 一般庶民は縁がないとしても 参勤交代などで、中央の役人と話さないといけない 地方の大名かその家来は、『標準語』として江戸で話されている言葉を勉強したのでしょうか?(Q2) 京都から江戸に遷都したわけですが、言葉も一緒に『遷都』されなかった(?) のはどうしてなんでしょうか?(天皇を連れて来ただけ?)(Q3)
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 江戸時代での言い方に置き換えると
「報賞金」、「情報料」、「賞金首」といった言葉を、江戸時代では何と言っていたのでしょう。 小説を書く際に適当な言葉が見つからず、困っております。
- ベストアンサー
- その他(趣味・娯楽・エンターテイメント)
- 江戸時代に「愛する」という言葉はありましたか?
江戸時代のドラマを見ていると 「愛しています」というフレーズが 時々出てきます. はたして江戸時代に「愛する」という言葉があったのでしょうか? たしか「愛」という概念そのものがなかったと聞いていますが.
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 食パンの「食」って何で付いているのですか
こんばんは。 パンという名詞が英語ではなくてポルトガル語から来ているのは知っています。 しかし「食パン」の「食」の字がなぜパンの前についているのですか。
- 締切済み
- 素材・食材