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イエスとは人間存在として実在していた。その2

Nakay702の回答

  • Nakay702
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回答No.3

再投稿を拝見しました。 前回よりも文章は改善されて、全体的にやや面白くなっていると拝察しましたが、部分的には依然いちゃもんをつけたいところはあります。「そこまで言わんでも」と言いたい部分もあるかもしれませんが、勝手知ったる者同士の「精神的挌闘技」とでも思し召してご一瞥ください。制限字数を超えますので、2回に分けて送ります。 (その1) >イエスの生きた時代のユダヤ人は奴隷だった。(…)喧嘩腰は学問カテゴリーの特徴なので、上品な解答だけしてくださいとか、そこいらのヘタレみたいなことは言いませんよ。 ⇒この「イエスの時代、ユダヤ人は奴隷だった」にはやはり抵抗感があるなあ。百歩譲って、ユダヤ人が奴隷だったとしましょう。で、お尋ねしますが、誰の奴隷? 主人は誰? イエスの王?ローマ皇帝?地方長官や役人? 誰とも言えないでしょう? それもそのはず、「主人」と目されるのは、敢えて言えば、人でなく律法だったからです。つまり、当時ユダヤの民は、錯綜する律法の渦に埋もれて自己を喪失していたのです。オルテガ流の言い方によれば、精神的人間としての個を失って「社会化」していた(自己・主体性・個性を失い、周囲のことばかりに気を取られ、ただ社会に流されるままに生きていた)からです。 前2世紀より以前には、ギリシャ人は「理性」に、ローマ人は「法と国家」に、ヘブライ人は「律法」に依存して安寧に生きていたといいます。ところが前1世紀のローマ世界は、法や律法の肥大化による「文化的繁茂」の中に溺れるようになります。その律法・戒律は、信仰・(トーラーなどの)学習・改宗・人間関係・争い・刑罰・祈りや食事など、日常のあらゆることに及んでいたようです。つまり、時の地中海周辺やローマ世界の人々は、いわば情報過多症を患い、「社会化」され、その中で自己を喪失してしまっていたのです。 >キリストというのは、今のところ彼らに安寧をもたらすように寡作(画策?)した、パウロキリストでないか?(…)この先にも、個人的に思案を続けたいので、新着ネタになんでもいいから助言してください。 ⇒イエスのキリスト性について、私は以下のように認識しています。 世紀初め頃のローマは共和制から帝政へ移行する過渡期で、周辺部とはいえその版図内にあったユダヤも揺れていました。特に、モーゼ以来の律法・戒律が1つ増えるごとに(古いものを廃棄しないので)増大し、数百という半端でない数量になっていました。そこで、ユダヤ人はそのすべてを捨て去ることのできる新しい律法の発案・提唱を心待ちにしていたようです。それに呼応して、自称メシアが現れては消え、消えては現れていました。その中で、相当数のユダヤ人を引きつけた一人がイエスでした。その理由は、一言で言えば、彼が「単純化」の天才だったからです。「律法を捨て去れ! 新しい契約こそ唯一必要なものだ。それは信仰である。愛である。汝の隣人を愛せ…」。漁夫ペテロはこれに共感し、朴訥ながら熱心にこれを布教し、エルサレム教会の中心者として活躍し、最終的には初代ローマ教皇となった(ただし、ネロの迫害で殉教)。また、パウロは、始めキリスト教を迫害しましたが、イエスに会って回心し、ユダヤ的律法への固執を離れて諸民族に遊説したので、「異邦人の使徒」と言われました。こうして、イエスの単純化は身を結んだのです。そして、イエスは第1のキリスト、パウロは第2のキリスト言われました。 >喧嘩腰は学問カテゴリーの特徴なので、上品な解答だけしてくださいとか、そこいらのヘタレみたいなことは言いませんよ。この先にも、個人的に思案を続けたいので、新着ネタになんでもいいから助言してください。 ⇒前項で述べたことを、この際思いきり補足・敷衍します。 オルテガによれば、西欧世界はこれまでに3回の歴史的危機を経験したそうですが、そのうちの最初が外ならぬこのイエスの磔刑の時期、つまり、ローマ共和制末期~帝政期に起こったことなので、これを古代危機と呼びますが、その内訳は大きく分けて2つ:その1つが政治的危機で、共和政体から三頭政治を経て帝政に至るまでの紆余曲折。もう1つが文化的危機で、律法や宗教の問題でした。当初ローマはギリシャと同じ多神教でしたが、イエスの出現からそう遠くない頃、徐々に一神教化していきました。といっても、しばらくの間はローマの三神(ユピテル・ユノ・ミネルヴァ)、ギリシャのゼウス・アテナ、ガリアのテウタテスとタラニス、エジプトのイシスとオシリスなどが併存して、相互の接触が混淆・習合・融合現象を生み出しました。さらに、各宗教の秘儀を伝授された信者たちの小集団が増加していって、それ自身一つの救済宗教であるキリスト教への道を開いていき、その礼拝式の神秘性のゆえに、地方的な団体即ち教会に結集していきます。ところがこのキリスト教会は他の諸宗派と違って意見の不一致を許しません。キリスト教会は、イエスに化肉せる真の神を認めない者を拒絶し、想像上のもの、悪魔的なものとみなされるような神的存在の崇拝者を拒否しました。数代にわたる皇帝によるキリスト教の禁止・迫害・容認の末、ついにキリスト教は国教化されるに至ります。 時間を少し巻き戻しますが、キリスト教の国教化に先立つこと数世紀、使徒パウロが、キリストの福音はユダヤ的律法を条件とせず、それゆえに人種、社会の差別なく、すべての人に伝えられねばならぬことを確信した時に、キリスト教の普遍性は確認され、保証されました。この異邦人・異教徒への布教が、キリスト教普及の第二の要因であったと言えることは上にみたとおりです。さらに、その頃はすでに地中海の西側諸都市においてユダヤ神学とギリシァ哲学を結合する試みが展開し、フィロンがこれを頂点に押し上げていました。「ヘレニズム的なロゴスの媒介によって、ヘブライズム的な神が世界を創造し、世界に啓示される。」この折衷主義の業績は、イエスの単純化やパウロの行脚に次いでキリスト教普及の第三の要因と言えるでしょう。(その2へ続く)

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 そうさらっと言うよりも、ねぎらいを込めて、「お疲れ様です!」と頭を下げたほうがいいところだよ。 その1と、その2の投稿までの時間差を承知したからだ。 前回の質問で、ユダヤ人は奴隷というのは文章と文脈を改めたほうがよさそうだ、とか、また何か話が集まったら、気の向いた時にちびちび修正すりゃいいだろうと思っていたら、いきなり山のような宿題だよ。 即座には、こなしきれないけども、少なくても文章を修正するための題材ならば、ほぼ提供しつくしてくれたのだと感じるよ。 今回は主文の完成度の低さから、「おもしろ娯楽読み物」の体裁だから、むしろ喧嘩になるリスクは少ないだろうと、割と楽観していた。 人類滅亡、ノストラダムス、宇宙人来襲、こういうネタを娯楽的に世の中に拡散することを定期的に行う宗教的な趣味がキリスト教圏にはあるから、この話も大好物の娯楽ネタなんだと発想を切り替えたよ。 私は神道系の日本人という自己を自覚していて、その立脚点だと「キリストなる奇跡は未来永劫現象しない」という妖精さんのささやいた定説があるのだ。 そういう話をすると「そうですよね」と回答する人も出てくるから、割と了解もされている見解なのだろう。 しかし、ありえない話としてパウロの行った偽の予言を、強引に捻じ曲げて組み立てなおすと、成立しないはずの予言はつじつまが合って、成立可能になる。 したがって今回の説は大好物なのだろうと考えたよ。 ただし、どんな応用が出来るかというと、やはりアニメや漫画のネタ帳が有力だ。 キリスト教にかかわる材料を消したライトノベルとかで、そういう顛末の余韻を背景にしておくと、エヴァンゲリオンとかの扱ったネタをもっと穏健にまとめることもできるだろう。 新約キリスト教徒は、パウロの野望で構築された、2000年にも及ぶ「死霊返魂」の巨大な呪術装置で、パウロにしたがって信者となった人々は、ことごとくそのためのイケニエだった。 イエスとは呪術装置のための小道具で、復活の予言が指し示すのは、偽の予言者パウロである。 パウロはイエスを小道具に使って、自分こそが永遠の命を持つ世界の王になろうとした。 そのような陰謀が隠されていた。 こういうあらすじから、「キ印」を抜き取れば娯楽作品だ。

Flareon
質問者

補足

怪談話(目を背けてくれ) 実は今は精神汚染を受けていて頭が悪くなっているんだよね。 今回は比較的、原因の割り出しが出来ていて。 いわゆる粘着とかの類で感受性が高い私が感化されたのだ。 ただし、生きている人なら、思念の放射でまさに粘着だが、今回は死者による立派な霊症だ。 今回の挑発に憤怒の類ではない。 動揺したのだ。 強度は中程度で、数日かかるが解消できないわけではない。 敬虔に宗教を信じた死者にわだかまりとして残る執着のストライクゾーンだった模様で、慰霊のためには浄化しなければならない類だ。 中程度というのは、腐りきった妄執ではないという意味で、対処が可能だし内容が悪質ではない。 ただし、執念の類は浄化されることに抵抗を示して、執着を続けようとする性質があるから、精神力による力任せの浄化で数日かかるよ。 その間は、私は頭が悪くなるというわけさ。 我ながらいつもいつもなにやってんだろうねと思うけども、もう性分で勢いにまかせてやらかしてしまうんだよ。 毒素を私に集めているんだ。

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