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平安時代について、貴族たちが華やかな生活

takepan_tokiの回答

回答No.1

743年に発布された「墾田永年私財法」がそもそもの始まりです。耕した土地が自分のものに永久になる法ですが、当初は税が掛かっていました。これがその後の荘園の誕生に繋がります。 当初は、大きな神社仏閣の保持する荘園にのみ「不輸不入の権」が認められていました。不輸は年貢等税の免除、不入は田を点検する役人を締め出す法です。 この法を、通常の荘園にも持たせるよう朝廷に迫り認めさせたのが、藤原氏等の有力貴族です。そうすると、各荘園は有力貴族の庇護を受けるようになり、税は朝廷には入らず、荘園を持つ有力貴族が肥えていくことになりました。 これを何とかしようと、朝廷は「荘園整理令」を何度も出すようになりましたが、あまり効果がありませんでした。最初の荘園整理令が発布されたのが、902年の「延喜の荘園整理令」ですので、その頃にはもう律令制度は崩壊していたのでしょうね。 この荘園制度ですが、権力が貴族から武家に移り、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、荘園が幕府に没収される形で終焉を迎えます。 以上、ご参考になりましたら。

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