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【仏教】「五劫思惟阿弥陀仏」はなぜアフロの仏像なの

【仏教】「五劫思惟阿弥陀仏」はなぜアフロの仏像なのですか?大昔も天然パーマの天パーがいたってことですか?

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noname#259322
noname#259322
回答No.1

驚いた。あれはアフロではありません。 まああれは確かに現代人の感覚だとそれに近いように見えるかもしれません。 それに五劫思惟阿弥陀仏に関しては、あの髪型は確かに国内ではかなり珍しいです。 あれは螺髪(らほつ)です。 仏像でも最上位の如来像のみこの螺髪で作られます。 螺髪とは、仏像であらわされる三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)の一つです。 三十二相八十種好とは、釈迦の姿はふつうの人間と違い、このような優れた特徴があった…とされている特徴のことです。 その一つが螺髪、瑠璃色あるいは紺青色の髪の毛が右側に渦巻いていた、というものです。 知恵と徳の高さを表しています。 そして「五劫思惟阿弥陀仏」がなぜああいう姿かについては、まつっている金戒光明寺が説明しています。 >阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。 https://www.kurodani.jp/recommend/gokoh.php >五劫とは時の長さで一劫が五つということです。 >一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。 約160立法kmとは正立方体とすれば一辺が約5.43kmの大岩ということになります。 なお、世界最大の単一の岩とされているバリングラ(マウント・オーガスタス)の高さは1.1kmです。これは正立方体ではないけれども。 この大きさの岩山を3年に一度、羽衣で撫でて、それで岩山が削られてなくなるまでの時間… 一劫自体が気の遠くなるような長い時間です。 五劫はその5倍です。 そんな長い時間、じっと思惟を凝らす修行を続けていた、それを表現するために頭を覆うほど螺髪を伸ばした姿で表現三十二層おされたのが五劫思惟阿弥陀仏です。 なお、「三十二相八十種好は仏陀の姿を現している」とされますが、生きていた仏陀本人の個人的な身体特徴としては否定されています。 つまり、あれはアフロでもありませんし、仏陀本人も違います。(もしかしたら多少のくせ毛ではあったかもしれませんが)

redminote10pro
質問者

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  • oska2
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回答No.3

>五劫思惟阿弥陀仏」はなぜアフロの仏像なのですか?大昔も天然パーマの天パーがいたってことですか? 天然パーマと言うよりは、「修行中は散髪をしないので、髪の毛がからまった」のです。 からまった毛は、螺髪(らほつ)となります。 添付画像は、京都・金戒光明寺にいる阿弥陀仏です。 ※幕末に、会津藩が本陣を構えたお寺。

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回答No.2

いたんです。(本当!)

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