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子供(特に男児)には『をかし』の心がないのは?
私もそうでしたが、男児にとって『をかし』の心が全く不足しているので、花見などは退屈の極みになりますが、成長するにつれ(特に中年以降)花見のをかしを味わうようになります。この変化は何なのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
成長するにつれ、花見の魅力を感じるようになる理由は、いくつかあります。 年齢と共に自然に興味が広がる 年齢を重ねるにつれ、自然や季節の移り変わりに対する関心が高まることがあります。花見は春の季節の象徴的なイベントであり、桜の美しさに感動することで、自然に対する関心が深まることがあります。 ストレス解消になる 中年以降は仕事や家庭のストレスが蓄積されることがあり、花見はそのストレスを解消するための良い機会となります。桜の美しい景色を見ることで、気持ちがリフレッシュされ、癒される効果があります。 友人や家族との交流が楽しめる 花見は、友人や家族と一緒に楽しむことができる季節イベントの一つです。中年以降は、忙しくなって友人との交流が減ることがありますが、花見はそういった人々との交流の機会を提供してくれます。 時間の経過を感じる 花見は、季節の移り変わりを感じることができるイベントの一つです。中年以降は、時間の経過を感じることが多くなりますが、花見を楽しむことで、季節の移り変わりを感じることができ、自分自身の成長や時間の流れを実感することができます。 以上のような理由から、中年以降になると花見の魅力を感じることが多くなるのかもしれません。
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- Nakay702
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>いやぁ大変参考になります! との、ありがたいお言葉をいただいて、図に乗って、また遊びにきました。 成長期の子供にとっては、何と言っても栄養のつく「花より団子」ですよね。 お仲間の欲しい大人になると、やはり「団子より酒(と愚痴)」のようになりますかね。小林一茶も言ってます。 「花の陰 赤の他人は なかりけり」 と。人間、酸いも甘いも分かってくる頃ともなれば、やはり誰かと共感したいんでしょうかね。 そして、何かと感じ入りたい中年以降になると、「酒より花(と静けさ)」という感じになりますかね。大自然に見入って浸り込み、花を愛でて語りかけ、琴線に触れる「もののあはれ」や「をかしみ」を歌いたくなるのではないでしょうか。たとえ桜でなくても。 「ぼたん花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置の確かさ」(木下利玄) 「バラの木に バラの花咲く あなかしこ 何の不思議も ないけれどなも」(北原白秋) 「くれなゐの 花をいとしと わが保尿器(ポット) 椿がもとに あけて笑ましも」(岡本かの子)。
お礼
若者に老人の知恵があれば!の実例ですね。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
質問者からのお礼を拝見しました。 >そういう考え方もできますが、なかには若くしても植物学を志す者もいます。 ⇒そうですね。全然否定しません。 私の回答は、どうも遊びづいていけません。回答を装って自己満足のための遊びをしてしまいました。すみません。
お礼
いやぁ大変参考になります!
- takochann2
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をかしなのか、あわれなのか分かりませんが、人生経験も知性もない子供には無理な相談です。教養と人生経験の差です。
お礼
そうですか!経験と教養とは余計な心を育みますね(゜-゜)
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
>この変化は何なのでしょうか? ⇒以下のとおりお答えします。(人生は花とともにめぐります!?) 子供にとっては、「花より団子」だからです。 大人になると、「団子より酒」となります。 そして、中年以降になると、「酒より花」となります。 なぜか。 我ら中高年族(失礼!)は、「先が短い」からです。「三日見ぬ間の桜かな」などと言われるように、桜も「先が短い」ので、ことさらこの「お仲間」に共感を抱くのでしょう。ですから、もしも桜が何週間も何か月も咲いているなら、桜に対してそれほど『をかしみ』や『はかなさ』や『いとおしさ』を抱かないのかも知れませんね。 ことほど左様な状況であればこそ、かの小野小町は歌いました: 「花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに」、と。 かの入道前太政大臣も歌いました: 「花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり」、と。 かの和泉式部は、気丈にも花よりもはかない命の露でさえ、考えようによっては永遠なのだとばかり、こう詠みました: 「白露も夢もこの世もまぼろしも たとへて言えば久しかりけり」、と。 …「ああ、露よまた花よ時の流れよ、ゆるり参らん息切れぬやう」。
お礼
そういう考え方もできますが、なかには若くしても植物学を志す者もいます。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1466/3827)
成長するにつれ、人生の喜怒哀楽を少しづつ経験し、世知辛い世の中にあって、つつましいながらもホッとする時間を欲しくなるような年代になったためと思います。 それとともに子供時代の純粋さや残酷さもわかって来るのではないかと思います。 つまらなかったようなことにも「いとおかし」の心境かもしれません。
お礼
心のなかに『をかし』が芽生えるのでしょうね。
お礼
逆に言うと、中年以前はその傾向から無縁なんですね。