• ベストアンサー

「左遷」の菅原道真が「天神」とはこれいかに

fujic-1990の回答

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

 日本には、古来「荒魂(あらみたま)、祟り神」でも祀れば「和御魂(にきみたま)、守り神」に変わる、という思想がありました。  そして強い霊力をもって祟る恐ろしい神ほど、和御魂、守り神に変わると強い守護力を持つと考えられていました。  また、日本は「大八洲豊葦原瑞穂国中国、言霊(ことだま)の幸ふ国」と言われてきました。  ざっくり言うと「我が国は、大きな8つの島から成り、豊かに葦(水草)が生い茂る水豊かな国で、あの世とこの世の中間にある国で、言葉には不思議な霊力が備わっていて、発せられた言葉の霊力によって良いことも悪い事も実現してしまう国である」というような意味です。  令和の現代でも、「縁起でもないことを言うな!」とか言ったりします。悪い事を言うと、言霊のせいで悪い事が起きる。一説によると、太平洋戦争でも悪いこと(アメリカに勝てない)を警告すると実現してしまうと思って、警告ができなかったという話もあるくらいです。  確かに菅原道真は、藤原一族に陥れられて「太宰権帥(だざいのごんのそち)」つまり「太宰府の次席将軍」と言っても実際は窓際族で何もさせてもらえない地位に流されました。  そこで「東風吹かば・・・」なんて歌を詠んだわけですが、これは美しい歌を詠むと、言霊の霊力によって神が感動し、京都に戻してくれるに違いない、という発想の歌なのです。恨み辛みを歌にするわけにはいかないのです。ヘタをすると日本が滅ぶ。  菅原道真が死んだころ、偶然に天災地変病気、様々な凶事がおこりました。特に落雷(それを原因とする火事)が頻発しました。  藤原氏は理由についていろいろ考えましたが、心当たりは道真を左遷して死なせてしまったことでした。庶民たちもそう考えて、雷の音がすると「桑原くわばら」と唱えました。  桑原という場所は、菅原道真の所有地なので、いくら道真が怒ったとしても自分の領地には雷を落とさないだろう、ということで「ここは桑原です。雷を落とさないでね」という祈りです。  今でも、誰かに騙されそうになった時などには「桑原くわばら」と唱えます。「桑原くわばら、そのては桑名の焼蛤」などと。  話を戻しますが、そこで藤原氏は、藤原氏「が」菅原道真を神として祀ることにしたのでした。そうすれば強い守護をしてくれるだろうと。  藤原氏が道真を祀り始めると、庶民はその学識に注目して学問の神様として崇敬しだしたのでありました。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 『「東風吹かば・・・」なんて歌を詠んだわけですが、これは美しい歌を詠むと、言霊の霊力によって神が感動し、京都に戻してくれるに違いない、という発想の歌なのです。・・・』 そうだったのですか、ならばあの歌の調べも理解できます。大秀才菅原道真ならこの国を害する結果になるような歌を詠むわけがありませんね。藤原氏についてはともかくこの瑞穂の国については最後まで愛していたはずですから。

関連するQ&A

  • 菅原道真の歌 梅の花は?

    「こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな」(菅原道真 拾遺和歌集) 「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」 この歌の最後が違うんですが、どちらが正しいのでしょうか? 私は2つ目を高校の授業で習ったのですが。 それとも写本の違いなどでどちらも正しいのでしょか? 専門ではなく素人の質問ですので、素人でもわかる範囲でご回答をいただきたいです。

  • 分霊勧請

    菅原道真の魂を太宰府天満宮から湯島天神に持ってくるのにどんな儀式をしていたのでしょうか?

  • 菅原道真はどのようにして学問の神となったのでしょうか。

    菅原道真は藤原時平の讒言によって大宰府に流罪となり 死後、天変地異や疫病の流行がおこったのは菅公の怨霊の仕業だとされました。 菅公が雷神となって祟る様子は北野天神絵巻にも描かれており 菅公が怨霊であったことは疑いのない事実です。 が、現在では菅公は学問の神として信仰されています。 私も学生のころよく天満宮へ御参りにいきましたが 菅公が怨霊であったことを知ったのはほんの10年くらい前のことです。 家の近所の天満宮には絵巻風に菅公の生涯を描いたものが展示してありましたが 雷神となって祟るシーンはありませんでした。 菅公が怨霊から学問の神へと神格を変えたのはどういった経緯によるものなのでしょうか。 時を経るうちに菅公が怨霊であったことが忘れられたのでしょうか。 天満宮の経営戦略によるものでしょうか。 それとも全く異なる経緯によるものなのでしょうか。

  • 古典における「匂ひ」について教えてください

    菅原道真が大宰府に左遷された折りに作ったという「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」の「匂ひ」の意味は、花が咲く、という花色の美しさでしょうか。それとも、香りも含んでいるでしょうか? 梅について、万葉集の頃には、ほとんど白梅の見た目の美しさばかり詠んでいますが、古今和歌集では香りも詠っているようですね。 901年作、と思われる道真の歌は、どうなのでしょう? お教えいただけましたら幸いです。

  • 学問の神様

    先日テレビを観ていて疑問を抱いたのですが… 太宰府天満宮が「学問の神さま」で有名な理由とは結局のところ何故ですか? 菅原道真が左遷させられた理由等々はわかるのですが・・・ 何故学問の神と呼ばれるかを『○○だから…』というように知りたいです(^^;)。 梅が有名なのは近くに住む老婆が慰めようと餅に菅原道真の好きな梅の枝を添えて渡したから・・・という解釈でよろしいのでしょうか… 素朴な疑問です。

  • 住居近くの竹林の中の古い菅原道真公様の石碑の所で

    私は初老65歳で農業しています。・・・昨年(平成23年2月16日)と同年の(3月7日)に現世では 理解出来ない現象を朝の明るい時に2回見ました。・・・菅原道真公様をお祀りされてる事を初めて 知りまして。そこの家の方に見せて頂いた時のことでした。2月16日の時はただビックリ・・・すごい と怖いの2つの心でした。1~2分間位見て、手を合わせて帰りました。すぐにパソコンで検索しました ら、絵や写真などは、なく、文章で大体に(火雷天神)様だった・・・と思いました。3月7日の時は人姿の道真公様(大体1分間位)でございました。・・・その事を詳しく書きましたらあまりにも長くなりますので・・・私がお教え頂きたいことは、2回ともお姿が見えただけで声も聞こえず、何故か色々調べましたがサッパリわかりません。その後知らぬふりは、出来ず間をつくりまして顔だし、いたしています。皆様方、私はどのようにしたら良いのでしょうか。真剣な私に良識あるご解答をお願い申し上げます。 (太宰府天満宮や北野天満宮にも教えを願いましたが、返信はございましたが・・・)

  • 菅原道真はなぜ左遷されたのでしょう?

    右大臣で藤原氏のライバルとは言え彼には政治的な野心もなく 確かに娘を入内をさせてはいましたが その子供の皇子は皇太子でも無く 道真が藤原氏のような朝廷と結びつく権力者になる事は考えにくかったのに… 宇多天皇のお気に入りだったのが気に入らなかったんですか? まぁ道真を追放したせいで藤原家は散々な目に遭うんですが(笑)

  • 菅原道真って

    何の神様ですか

  • 菅原道真

    菅原道真公を左遷に追いやった人達(陰謀を企てたのは)で中心的な人物は誰と誰なんでしょうか?

  • 菅原道真

    菅原道真が流罪か何かで流された場所ってどこですか?