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菅原道真はどのようにして学問の神となったのでしょうか。
菅原道真は藤原時平の讒言によって大宰府に流罪となり 死後、天変地異や疫病の流行がおこったのは菅公の怨霊の仕業だとされました。 菅公が雷神となって祟る様子は北野天神絵巻にも描かれており 菅公が怨霊であったことは疑いのない事実です。 が、現在では菅公は学問の神として信仰されています。 私も学生のころよく天満宮へ御参りにいきましたが 菅公が怨霊であったことを知ったのはほんの10年くらい前のことです。 家の近所の天満宮には絵巻風に菅公の生涯を描いたものが展示してありましたが 雷神となって祟るシーンはありませんでした。 菅公が怨霊から学問の神へと神格を変えたのはどういった経緯によるものなのでしょうか。 時を経るうちに菅公が怨霊であったことが忘れられたのでしょうか。 天満宮の経営戦略によるものでしょうか。 それとも全く異なる経緯によるものなのでしょうか。
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先日 放送された「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」という 番組でその事が、紹介されていました。 菅原道真公が学問の神となったのは簡単に説明すると (番組内では詳しく語られていました。) 「孔子じゃなくて日本人で誰かいないのか」ということで 菅原道真公があげられたという話しでした。 学問の神以外にも「農耕の神」等(他にもあり) それらを経てから「学問の神」へと イメージチェンジしていったそうです。 陰陽道の考えの1つにある怨霊信仰みたいですよ (怨霊信仰とは最も荒れ狂う怨霊をも味方につけようとする考え) http://matodoga.blog24.fc2.com/blog-entry-370.html
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- nene-k
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『天満宮御伝略記』によれば・・・ 「道真公は、生前、第一に神を貴び、第二に親孝行をし、主君に忠義を尽くし、よく読み書きを学んだという事で、死んで神になってからも、忠義や孝行を忘れ、読み書きを嫌う者に恵みを与えてはくれない」 のだそうです。 つまり、雷神として天罰を下すのは、それらを守らなかった人だけって事のようで、逆を言えば、頑張った人は守ってくれるって発想なのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 『天満宮御伝略記』のことは知りませんでしたので 参考になりました。
- ymmasayan
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一箇所誤解があります。 怨霊になったわけではなく道真死後続発した色んな災厄が道真のたたりだと「恐れられた」だけです。 そこで神として祀ることによりその怒りを鎮めようとしたわけです。 道真は学問、詩歌、書、政治などに優れた人であったため↓、学問の神として尊敬されて不思議は無いでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >一箇所誤解があります。 怨霊になったわけではなく道真死後続発した色んな災厄が道真のたたりだと「恐れられた」だけです。 私は「菅公が怨霊であった」と書きましたが 菅公の死後におこった天災や疫病の流行などの原因が 「菅公の怨霊の仕業である」と当時の人に畏れられた という意味でそう書いたのです。 まさか菅公が北野天神絵巻に描かれているような雷神になったなんて 信じている人が現代人の中にいるんでしょうかねえ? 梅原猛氏も著書の中で「聖徳太子は怨霊になった」と書いておられましたが それはまわりの人が聖徳太子を怨霊になったと畏れたという意味だと私は理解しましたし、他の読者も当然そうとったであろうと思っていました。 最近ではこういう比喩的な書き方をすると誤解されるんでしょうか。 もしよろしければ年齢を教えていただけませんでしょうか。 質問とは関係ありませんが、言葉のとらえ方がこのごろは随分変ってしまったのだろうか、それは世代間での違いなのかと興味があります。 (批判ではありません。他にも比喩的な書き方をして、あなたのように誤解をされた経験があるので単に興味を持っただけです。 言葉というのは変化するものですから。 また、今後はそのような表現は使わないようにしたいと思っています。 そのことに気づかせてくれたあなたには大変感謝しています。) >道真は学問、詩歌、書、政治などに優れた人であったため↓、学問の神として尊敬されて不思議は無いでしょう。 それは確かにそうですが、菅公は神として祀られた当初から 学問の神だったのではないと思うのですね。 怨霊として恐れられたがゆえに神として祀られたはずなのですが 今では菅公を怨霊であると思っている人はほとんどなく、 学問の神として信仰されており、神格が変っている。 その経緯について知りたいのです。
お礼
ありがとうございます。 ご紹介いただいた番組、見たかったのですが移動中で見逃しました(泣)。 菅公は農耕の神とされていたときもあったなんて知りませんでした。 「孔子じゃなくて日本人で誰かいないのか」 という戦略を練ったのはいつの時代で、仕掛け人は誰なのでしょうか?