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怨霊対策は「神として祀る」、では生霊対策は?

こんにちわ。 オカルトではなく、日本の歴史として質問させていただきます。 日本には古来より怨霊信仰がありましたね。 政治的陰謀により不幸な死を迎えた人は死後怨霊となって祟るとする信仰で、 疫病の流行、風水害、世の中の乱れ(乱など)などは怨霊の仕業とされたそうです。 怨霊の心を鎮めるために、神として祀った例は 菅原道真・崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文室宮田麻呂など 数多く存在します。 日本では怨霊の他に生霊の存在も信じられていたようですね。 源氏物語には六条御息所が生霊になるという話が描かれていますし 崇徳上皇は「生きながら天狗になった」と言われています。 後鳥羽上皇も生霊になったと考えられたようです。 (1)生霊になったと考えられた人物は崇徳上皇・後鳥羽上皇以外にもいますか? (2)生霊を怨霊のように神として祀るということはあったのでしょうか。 (崇徳上皇は白峯神宮などに祀られていますが死後怨霊となったと考えられたためのようです。) (3)生霊対策として、源氏物語では刀を寄せる、鳴弦などが行われていますが、その他にも生霊対策(例えば御霊会のようなものをするなど)はあったのでしょうか。 推測するためのヒントなどでもいいので回答くださると嬉しいです。

noname#82952
noname#82952
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  • wiz0621
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回答No.1

(1)、(2)について 生きたまま神格化された日本人という意味ならば、中国仏教を 伝えた各宗派の開祖(弘法大師=空海ら)や、戦時の英雄(徳川家康や 日露戦争の乃木将軍など)が思いつきます。さらには政治家(明治維新の 西郷隆盛や農業理論を説いた二宮尊徳など)など、多岐にわたると 思います。 人間が神に封ぜられた数で言ったら世界有数の文化圏ではないでしょうか。 日本文化を形成するの神道のようなアニミズムにおいては 神性を有するのはこの世のすべてのもの、とされます。 極端に言えば私も質問者さんも生霊(精霊)にも神にもなりえるわけです。 よって、この件の限定化はほぼ不可能であると思います。 また、怨霊を死んだ人間の意志、生霊という言葉を生きた人間の意志と 定義するならば、本来怨霊対策であった調伏という儀式が戦争相手に害を及ぼす ために常用されていたようです。 有名どころでは平将門の乱のときには全国に将門調伏令が発せられていますし 芦屋道満(道摩法師)は藤原道長を調伏しようとしています。 さらに、密教には太元帥法という対国家の調伏もありますね。 (3)について こういったオカルトの例に漏れず、霊的により高位の存在により、 生霊の効果は跳ね除けられると考えられていたようです。 これらは主に「仏の名」や「真言」を唱えることにより行われています。 要は仏への祈祷ですね。 そもそもこういった精霊信仰が何故日本で形成されたのか、 一神教の伝播が限定的で、多数の宗教を同時に形成したのか、 には諸説ありますが、そもそも太古より多数の部族が独自の宗教体系を持ちつつ 抗争と融合を続けていた背景があり、 ・戦争が日常の文化圏であったこと ・多様性を戦争行為によって統一(集権化)していったこと が原因と言えるかもしれません。何故各部族が多様性を持ちえたのか?については やはり平地の少ない山岳国家であること、つまり短距離であっても 物理的な隔絶が存在していた事が原因ではないでしょうか? 大陸国家と違い、農業に適した土地が限定的であったのが同様に戦争の原因と 言えそうです。

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます。 生きたまま神格化された日本人という意味ではなく、 怨霊が神として祀られたように、生霊も神として祀られたのでしょうか、という意味でした。 わかりにくくて申し訳ありません。 確かに、英雄も神として祀られることはあったようですが 私が名前をあげたのは奈良時代・平安時代の人物で 英雄であったために神となったのではなく、不幸な死を迎えたために神となった人物です。 英雄が神として祀られるようになるのはもう少し時代が下ると思うんですね。 また >アニミズムにおいては神性を有するのはこの世のすべてのもの、とされます とのことですが、奈良時代や平安時代の信仰のあり方はそうではなかったと思います。 菅原道真は神になりましたが、藤原時平は神とはなっていませんし 伊予親王は神となりましたが、藤原宗成は神とはなっていません。 (ですよね?) 前者は政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人物、 後者は政治的陰謀で不幸な死においやった人物と言えると思います。 >本来怨霊対策であった調伏という儀式が戦争相手に害を及ぼす ために常用されていたようです。 なるほどですね、そういえば調伏というものがありましたね。 >「仏の名」や「真言」を唱えることにより行われています。 これはとても重要なことだ、と思いました。 つまり神は仏によって調伏される、ということですね。 とても参考になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (1)

回答No.2

 一応、科学的根拠からの思考追及を自分でも訓練してきてはいますが。  (3)生霊対策として、源氏物語では刀を寄せる、鳴弦などが行われていますが、その他にも生霊対策(例えば御霊会のようなものをするなど)はあったのでしょうか。  ☆刀寄せや鳴弦についてはよく知っております。マントラなども。   生霊取り付く(憑依)という性格のあるものとするなら、どちらかというと女性のことに多いのでしょうかね。異性関係でしょうかね。   そういうことでは塩でしょうね。   塩を家の水が流れ出て行くところに一定の儀式と気持ちで、仕方で供える、撒く。これの起源や典拠は存じません。   儀式の仕方と思いは必要と実践で形成していく。   不祝儀のときは、門口で清めますが、その塩とも関連あるのでしょうか。   私は江戸詰め藩士の子孫ですが、我が家では酒。そして領地の常磐地方でも酒。無論日本醸造酒。素焼きで口に含み、飲み干す。   度の高い焼酎は消毒に使ったらしいですが、そんな流れでしょうかね。  

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます! なるほど、酒や塩で清めるという方法がありましたね。 能の翁でも舞台に出る前は 別火といって食事の支度、お風呂の釜だき、暖房など全ての火を家族と別にし、 翁飾りという祭壇を設け、面をおさめた面箱を飾って、神酒・洗米・塩を供え 神酒を飲み、米を噛み、塩で身を清め、火打石で切火を受けてから舞台にでるとか。 それらは怨霊もしくは生霊対策であるとも考えられますね。

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