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東京オリンピックを電気屋さんで観たのか

1964年の東京オリンピックについて書いたものを読むと、東京オリンピック開催しているとき、町の電気屋に展示されているテレビにオリンピックの競技の中継が映されているのを人々がむらがって見ていたと書いてありました。 家に帰ってテレビでオリンピック中継を見るよりも、電気屋で展示されたテレビを大勢でむらがって見る方が楽しかったのでしょうか。

みんなの回答

  • kakuzan1
  • ベストアンサー率15% (45/299)
回答No.10

1964年五輪当時はカラー放送全国網完成した頃で…… 一般家庭でもモノクロテレビの無い家も多くありました。 私は自宅でモノクロで見ていましたが、カラーで見たい方が電気店で見てましたね。 当時はモノクロでも結構高く、カラーなんかメチャクチャ高価でした。 TV喫茶店っうのも有りましてね、一人より多数で応援したい方々が行っていましたよ。

  • seto2004
  • ベストアンサー率23% (160/691)
回答No.9

>電気屋で展示されたテレビを大勢でむらがって見る方が楽しかったのでしょうか。 テレビが家庭にまだまだ少なかった時代。 その頃の電気屋さんは洗濯機やラジオなど家電を売りまくって景気が良かった。 そんな電気屋さんの店頭には国民のあこがれのテレビがこれ見よがしに中央に鎮座されていた。 最大で19インチ23万円ぐらいだったか? 当時大卒初任給は1万2千円ぐらいだった。 そんな時代に東京オリンピックや美智子様の結婚パレードもあり、ショウウインドウに飾られていた高嶺の花テレビジョンに国民が我も我もとくぎずけになったというわけです。 1964年と言えば、戦後日本が徹底的に焼け野原となり200万人の戦争犠牲者が出て以来 戦後食べるものも、住まいもない時代から必死で全国民が生きようともがき、 20年近くになってみたら世界第二位の経済国になった。

回答No.8

日本全国がそうだったわけではないでしょう。 事実、私は自宅の白黒テレビで見ていましたけどね(笑・当時3歳)。当時はスポーツにあまり関心がなかったため、「ああ、なんか国際大会をやってるな」くらいの印象でした。

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1705/4901)
回答No.7

日本でテレビの本放送が始まったのは1953(昭和28)年(NHK:2月、日テレ:8月)のコト。 放送が始まっても、放送局も少ないし、何よりも高度成長期前の日本において非常に高価だったコトから、テレビは一般庶民に手が出る商品では無かった。 一方で、民放のビジネスモデルは今と同様の、コマーシャルによる収入であり、スポンサー獲得のためにテレビを普及させる必要があった放送局は、駅・百貨店・公園などの人が集まる施設にテレビを設置して貰い、庶民に「テレビの楽しさ」を知らしめた。 日本人にテレビを普及させたイベントが、昭和33年の「東京タワー開業」と皇太子(現:上皇陛下)ご成婚の「ミッチーブーム」で、一般家庭にも一気にテレビが普及した。 と言うことで、前回の東京オリンピックが開催された昭和39年頃には、「自分の家にテレビがある」コトは普通だったんだけど・・・東京オリンピックに合わせ、テレビのカラー放送が始まったけど、カラーテレビは非常に高価で、この当時、一般家庭では「白黒テレビ」しか買えなかった。 そのため、”臨場感のあるカラー放送”でオリンピックを見たい人たちは、百貨店や家電販売店のテレビコーナーに行くしか無かったもので、 >電気屋で展示されたテレビを大勢でむらがって見る コトは戦後を引きずった日本人にとって数少ない娯楽の1つだったんだな。 因みに、日本の一般家庭にカラーテレビが普及しだしたのは、高度成長期も絶頂を迎えた、昭和43年のメキシコオリンピックの頃。 「オリンピックが”テレビの売り時」というのは、50年前から変わらない話しだったんだな と。

回答No.6

白黒 TV は殆どの家庭にありましたが、Color TV は開発されたばかりで非常に高価でしたから電気屋さんにしか無かったのです(^^;)。 そうだなぁ……10 年程まえの 50〜100inch 級液晶 Color TV が出てきた頃みたいな感じかなぁ……今でも電気屋さんに行けば大型液晶 Color TV が並んでいますよね(^^;)。 我が家は応接間と台所に白黒 TV がありましたが、親父が Loan で日立キドカラーTV を買って何とか五輪に間に合わせました(^^;)。 五輪後は Color TV 開発に先行した日立が飛行船を飛ばして大々的に宣伝しましたね。 小学校では飛行船が来ると授業にならず、皆窓辺に鈴なりになったものです(笑)。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1512/3682)
回答No.5

前回の東京オリンピックが開催された1964年の日本では、テレビ受信機は全世帯のおよそ90パーセントに普及していました。(昭和62年版 通信白書)なので大抵の家庭にはテレビはありましたよ。ただこの数字は全世帯に対する割合であり、当時のテレビはほとんどが白黒テレビでしたがそれでも高価でしたので、一人暮らしの若い世代ではテレビを持っていない人が珍しくありませんでした、というよりテレビがないほうが普通でした。 また、この東京オリンピックでは「開・閉会式をはじめ、レスリング、バレーボール、体操、柔道など8競技をカラーで放送した」のですが、自宅にカラーテレビがあるお金持ち以外は、このカラー放送を見るには電気店などで見るしかありませんでした。 当時小学生だった回答者の家にあったのも、オリンピックの3年前に月賦で購入した14インチの真空管式白黒テレビでした。開会式の中継放送で、アナウンサーが「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」とコメントしたら、白黒テレビであったにもかかわらず、国立競技場の上空の抜けるような真っ青な空が一瞬だけ見えたような気がしました。 また小学校の教室にも白黒テレビがあり、担任の先生が体育が専門だったこともあって、よくオリンピックの放送を見せてくれました。当時はこのオリンピックが明るい未来につながっているように多くの人が考えていましたが…。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2327/5177)
回答No.4

>電気屋で展示されたテレビを大勢でむらがって見る方が楽しかったのでしょうか。 と言うか、当時の一般庶民の家庭にはTV自体が存在しませんでした。 白黒(ブラウン管)TVでも、(統計上)一家に一台とはなっていません。 当時のカラーTVは、国産で約50万円もしたのです。 小学校の先生の月給が、1万円の時代です。 未だ1ドルが360円の固定相場の時代、庶民の多くは外国へ旅行に行く事は出来ません。 オリンピックは、外国文化を味わう意味もあったのです。 とすれば、電気店でカラーTV中継を見る方が良いですよね。 無料ですしね。家電メーカー・電気屋さんにとっても、CMになります。 余談ですが・・・。 庶民が白黒TVを購入を決めた最大の理由は、現上皇陛下の結婚式中継でした。 皇室史上初めて庶民から后迎えるのですからね。 電気屋さんは、大儲け! カラーTVが庶民に普及したのは、1966年以降。 当時の政策で「もっとカラーTVを安くしろ!」と、通産省が家電メーカーに命令したのです。 そこで、今のハイブリッド車と同様に「家電メーカーは、採算を度外視して販売」 約11万円で、庶民の上級階級・趣味人に手が届く様になりました。 給料の1年分で、カラーTVが入手出来る様になったのです。^^; 我が家に初めてカラーTVが入ったのは、アメリカ・ゼネラル製でした。

noname#252332
noname#252332
回答No.3

 金持ちの家しかテレビがありませんでした。私の家にもプロレスがある日は親戚のおばさんが来てジャイアント馬場を観戦しました。星飛雄馬の父星一徹ははじめかつ丼屋で野球を観戦し、あまりに長く座っているので店主がどんぶりを下げますよと声をかけると、まだ手をつけておらんとにらみましたが、そのうちに彼の収入では贅沢に当たるテレビを自宅に購入しました。私が小学校の低学年の頃は電話も各家庭に無く、学校のPTA名簿に「電話番号 呼び出しxx-xxxx(xxさん)」と近所の電話のある家の番号を届けるものでしたが、自宅の電話に来た近所の人宛ての電話を取り次いでやることを当然と思っていた貧しい助け合いの時代でもありました。おばあさんは江戸時代の生まれだ、という頃の話です。

  • i-q
  • ベストアンサー率28% (988/3463)
回答No.2

カラーテレビが普及してなった。 親は学校の授業中?とか見たそうです。 カラーテレビがあるのが、電気屋、学校とかで観るために そこに行ったそうです。

回答No.1

いえ、当時の状況を考えるとテレビはまだまだ一般に普及しているという訳ではなく、テレビが無いから街頭で観ていたと言えると思います。 オリンピックを切っ掛けに普及していったようですね。 今は色々な家電は低廉化してますが。

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