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なぜ神と仏を分ける必要があったのですか?

  • 質問No.9701007
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元々日本人は神も仏も自然も動物も全て尊い存在としてごちゃまぜにして信仰してたと思いますが、何でわざわざ神と仏を明確に分ける必要があったのですか?
一神教のような厳格さはありませんが、何でも許容してしまうその適度な緩さが日本宗教の良い所でもあったと思うのですが…。

回答 (全10件)

  • 回答No.10

ベストアンサー率 33% (2/6)

「神と仏とは役割が違う」

仏教では、日天・月天をはじめ、梵天・帝釈天などの諸天の神々が「正法(法華経)」と「その行者」を守護することを明かしています。

神と仏の役割の違いを大まかに言えば、「神は人を遠くから守るもの」、「仏は人を導くもの」と分類できます。

たとえば、大月天王(月)は、人々が夜道で転んだりしないように、明るく足下を照らしてくれます。
しかし、その人が、標識とは違う間違った道を進み、谷底へ落ちてしまうような危険からは、月の光は守ってくれません。

「その道は危険だ。正しい道は、こちらである」と進むべき道を指し示してくれる存在が仏(の役目)です。
なので、幸せな人生を歩んでいくために信ずるべきなのは、仏法(末法においては法華経)なのです。

仏教では、仏と神の関係を、「仏(正法)」が「主」で、「神」を「従」として説明しています。
ですから、「従」の立場の神のみを信仰の対象にすることは「本末転倒」です。
  • 回答No.9

ベストアンサー率 28% (63/218)

他カテゴリのカテゴリマスター
一般人には拝むだけの存在であっても、宗教者にとっては明確な違いがあるからだよ。

日本の神道には、せいぜい清さを強調するだけで、明確な教えはない。
一方、仏教は、お経という明確な教えがある。
坐禅を組んだり念仏を唱えたり、色々あります。

まあ日本は、神仏習合で、神も仏も拝む対象にしてしまったけどね。
  • 回答No.8

ベストアンサー率 41% (1060/2554)

他カテゴリのカテゴリマスター
>何でわざわざ神と仏を明確に分ける必要があったのですか?

明治政府の、方針ですね。
神仏習合の時代は、お寺が神社を管理していました。
例えば、興福寺は春日大社を管理。
例えば、松尾寺は金刀比羅神社を管理。
江戸時代は、戸籍・住民票などの管理は地元のお寺が行っていました。
幕府とお寺は、強い繋がりがあったのです。
また、仏が人間の前に現れる時の姿が神という考え方が一般的でした。
つまり、「仏の配下に神がいる」状態です。
明治政府としては、「天皇=天照大神の子孫=現人神」と政策を考えていました。
神仏を分離しないと、天皇は仏よりも地位が低い事になりますよね。
そこで、幕府崩壊と新政府誕生と天皇主義を国民に知らせる為に神仏分離政策を強行したのです。
結果として、多くの有名寺院が廃寺となります。
興福寺の坊さんは、一斉に春日大社の神主に変身!興福寺は廃寺。
松尾寺の坊さんは、一斉に金刀比羅神社神主に変身!松尾寺は廃寺。
今でも地方の郷社の多くは、元〇〇宗〇〇派〇〇寺跡です。^^;
  • 回答No.7

ベストアンサー率 47% (14165/30053)

学問・教育 カテゴリマスター
 元々日本人は神も仏も自然も動物も全て尊い存在としてごちゃまぜにして信仰してたと思いますが、何でわざわざ神と仏を明確に分ける必要があったのですか?

 初めは多くの神だけです。550年インド発、中国朝鮮経由で仏教が入ってき、奈良の大仏などを作ると国家安泰、という考えから本地垂跡の説が生まれます。 
 https://manareki.com/honzisuijakusetu#toc2

 16世紀にはキリスト教の宣教師が来て最強と聞かされた大日如来をキリストの訳語とし「大日を拝みあれ」と唱えたので排他的な一神教とわかるまで信者が出ました。

 こういうことで神と仏は同じと考えられ、明治になって「廃仏毀釈」が台頭するまで続いたのです。
 https://diamond.jp/articles/-/114630
  • 回答No.6

ベストアンサー率 29% (5947/19870)

他カテゴリのカテゴリマスター
仏さまは仏教、即ち外国からやってきた宗教の神様です。日本の土着の神様じゃありません。
また仏教の中でも、例えば菩薩様はいってみれば神様のちょと手前の段階なので菩薩様は神様というわけではありません。

他の方もコメントしていますが、その仏様が日本にやってきたときに既存の日本の土着の信仰とどう折り合いをつけるのかという問題が発生しまして、その解決法が「どっちもごちゃごちゃにする」というものだったのです。
それでどこからが仏教でどこからが神道だか分からなくなったのです。一例をあげれば、大黒様(大黒天)がそうですね。元々は大黒様はインドのヒンズー教のシヴァ神です。肌が黒いので日本にやってきたときに大黒天と呼ばれたわけですが、「ダイコク」って言葉の響きが「大国」にも通じたので、いつの間にやら神道の大国主命とごちゃごちゃになりました。
  • 回答No.5

ベストアンサー率 49% (907/1836)

他カテゴリのカテゴリマスター
時期によってかなりごっちゃになっていたようですが、明治政府ができて神仏分離が進められました。理由は近代化を進めるに当たって、政教分離を厳格に進める必要があるなか、天皇制を維持するためには神道は捨てられない。そこで、まざりあっていた神道と仏教を明確に分ける必要があったということでしょう。仏教を排除しようとしたわけでは無かったのですが結果として廃仏毀釈運動が起こり多くの寺院が民衆の破壊にあい、仏教の衰退につながったようです。
  • 回答No.4

ベストアンサー率 56% (3480/6153)

> 元々日本人は神も仏も自然も動物も全て尊い存在としてごちゃまぜにして
> 信仰してたと思います

 いいえ。仏様(仏教)は、聖徳太子が生まれたころ、蘇我馬子が活躍していた時代ですね、中国・朝鮮を介して日本にもたらされた外来宗教です。キリスト教やイスラム教みたいなものです。

 もともと信仰していたのは八百万の「神様」だけです。ついでに神様の依り代の樹や岩、動物や虫などの眷属も大切にしてきましたが、信仰の主な対象は神様です。

 そこへやって来た外来宗教(仏教)の仏様を信仰したら、昔から(もともと)の八百万の神々がお怒りになるかもしれないと天皇や貴族は恐れ、「仏像を作って仏様を信仰してみる実験」などをやったりして、お怒りにならないと分かってから神仏を一緒に祀るようになりました。

 そのうち、仏様が日本に神様という姿で現れただけ(本地垂迹説)で、神様と仏様は同じものだという考え方が主流になりました(神仏習合)。

 で、神社の境内のなかにお寺があったり、お寺の敷地に鳥居があったりする緩い宗教が繁栄しました。


 ところが明治政府は、・・・  ここからが、質問者さんの質問への答えになるのですが、

 明治政府は、天皇を中心とした政治体制を作ろうとし、天皇=神の子孫説を強硬に推し進めました。その思想を広めるために、じゃまな仏教をやめて日本古来の神道(これを国家神道といいます)で統一しようと考え、仏を廃止し仏像を壊そうという政策を実行したのです。これを「廃仏毀釈」といいます。

 多くの寺院で仏像が壊されたり、お坊さんは神主に姿を変えなければならくなった(還俗)のですが、民衆はこれに抵抗し、お寺はお寺として残りました。

 でも、今も、お寺と神社は別れていることが多いです。

> 何でも許容してしまうその適度な緩さが日本宗教の良い所でもあったと思う

 私もそう思います。つまり、神仏分離は、明治政府の失敗策だったと思います。
  • 回答No.2

ベストアンサー率 17% (4/23)

●回答を少し訂正。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現生の務めを終えると人は
幽界に旅立ち(精霊界ともいう)、
そこで選別されて
本性に対応した霊界、すなわち
天界・地獄界などに自ら
吸い寄せられるように向かう
ようです。
天界・地獄界は大きくわけて
三層にわかれているそうです。
天界の霊は自らの修行の他に真面目に
生きている
現生の人間を助けたい、あるいは余力があれば助けてあげたい
と思うようです(現生の人間を助けることも彼らの修行のうちなのです)。
天界の上層の霊ほどその力は
ありますが上層の霊と波長の合うほどナイーブな
現代人は存在しないと言っていいでしょう。それほど
世の中が俗悪になってきており、現生の人間も
純真だけでは生きていけなくなっています。
現生の人間は悲願などが
成就したときに神社の神様に祈った
甲斐があったと思うこともあるでしょう。そういう場合は
天界の最下層の霊の力による援助と言えます。
下層と言っても人間からすれば思考を超えるほど
遠大で崇高なものです。
天界の下層の霊を仏、天界のもっとも
高位な層を神界というそうですから
神界の霊を神様と定義したら
いかがでしょうか。
  • 回答No.1

ベストアンサー率 17% (4/23)

現生の務めを終えると人は
幽界に旅立ち(精霊界ともいう)、
そこで選別されて
本性に対応した霊界、すなわち
天界・地獄界などに自ら
吸い寄せられるように向かう
ようです。
天界・地獄界は大きくわけて
三層にわかれているそうです。
天界の霊は自らの修行の他に真面目に
生きている
現生の人間を助けたい、あるいは余力があれば助けてあげたい
と思うようです(現生の人間を助けることも彼らの修行のうちなのです)。
霊界の上層の霊ほどその力は
ありますが上層の霊と波長の合うほどナイーブな
現代人は存在しないと言っていいでしょう。それほど
世の中が俗悪になってきているからです。
現生の人間は悲願などが
成就したときに神社の神様に祈った
甲斐があったと思うこともあるでしょう。そういう場合は
天界の最下層の霊の力による援助と言えます。
下層と言っても人間からすれば思考を超えるほど
遠大で崇高なものです。
霊界の下層の霊を仏、霊界のもっとも
高位な層を神界というそうですから
神界の霊を神様と定義したら
いかがでしょうか。
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