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固有名詞とは

固有名詞は概念を持たないと考えてよいのでしょうか。その場合、内包も持たないことになると思うのですが、だったら外延も(内包あっての外延なので) 存在しないと言ってよいのでしょうか。その場合、固有名詞は単に唯一物としての実体を表す記号にすぎないと言うしかないのでしょうか。

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回答No.6

#3/4です。 >言語使用者がSmithという語を、外延が一個だけのもの(固有名詞)として使う場合と、外延が二つ以上存在するもの(普通名詞)として使う場合とがあると考えることも可能なのでしょうか。 可能ですけど、意味がありますか? なぜ二つあるんでしょう? 全く無関係な語が二つあるということになってしまいますよ? ただの「東京」と「昔の東京」の「東京」は違うのですか? ・昔の東京はごみごみしていた。 ・東京は人が多い。 ・100年後の東京に人は住んでいるだろうか? ただの「東京」も「今現在の東京」を意味しています。 概念がある証拠です。 固有名詞に概念がないのであれば、概念のない言葉が物や人の数だけ存在することになってしまう。 言語はそんなことを許さない。 そもそも人間に認知できない。 ・東京都千代田区丸の内1丁目 これは外延が一つしかない「固有名詞」でしょう。 しかし数字の1があります。 これはどうすればいいんでしょう? ニューヨークの5番街もそうですね。 明らかに固有名詞です。 でも「五番目の通り」という概念を伴っています。 それが可能であれば、前者のケースでは概念はなくて、後者のケースでは概念があると言えるのでしょうか。 市川猿之助は固有名詞です。 当代は四代目ですが、四代目市川猿之助も固有名詞でしょう。 一人しかいないのですから。 じゃあ、四代目には概念がない? 「市川猿之助」の外延は四人ということ? 固有名詞と普通名詞は連続体をなしています。 はっきりとした境界はありません。 もし概念のない語とある語が並んでいるなら、離散的です。 しかし連続している以上、固有名詞にも概念があるのです。

feeders
質問者

お礼

--よくわかりました。 <固有名詞と普通名詞は連続体をなしています。はっきりとした境界はありません。もし概念のない語とある語が並んでいるなら、離散的です。しかし連続している以上、固有名詞にも概念があるのです。>  --たしかにその通りですね。納得しました。ありがとうございました。

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  • Nakay702
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回答No.5

再度の「補足コメント」を拝見しました。 >言語学で扱う固有名詞と論理学で扱う固有名詞とはかなり異なるのでしょうか。 ⇒そうですね、それと「外延」や「内包」を含めて論理学上の学術用語に言語学的な解釈をほどこしたり、一般化したりして、使い方・定義の仕方が乱れたり、一貫性を失ったりすることもあり得ると思います。特に、論理学でいう外延と、「ひろがり」や「延長」を意味する一般的用語としての外延とを混同しないようにしたいものです。例えば、「固有名詞としてのソクラテス」の外延を、その類義語や派生語まで広めてしまうような錯覚を犯さないようにしたいと思います。 さて、「固有名詞としてのソクラテス」は、ドッペルゲンガーでも含まない限り、それに所属する他の要素がないので外延を持ちませんが、例えば、「哲学者ソクラテス」なら外延を持ちます。この外延に所属する他の要素(類)には、まずfeedersさんがソクラテスの内包として書いておられたような、「古代ギリシャの哲学者、プラトンの師、その最期において自死を選んだ人物」などが挙げられますが、その他にもいろいろあり、最も些細なことまで行くと、例えば、「悪妻と言われるクサンティッペの夫であった哲学者」…など、枚挙にいとまがないほど多くの外延が挙げられることでしょう。そうすると今度は、その「哲学者ソクラテス」の内包はどんどん小さくなっていって、段々「ソクラテス」の1つしか残らない状況に際限なく近づいていきますね。 >ソクラテスという固有名の内包は<古代ギリシャの哲学者でプラトンの師であり、その最期において自死を選んだ人物>で、外延は1個でなくゼロ個ということになるのでしょうか。 ⇒「固有名ソクラテス」の内包という場合は、「ギリシャ地方に多い」とか「この名を持つ者で特に著名な人は、真の愛知者とされた例のアテネの哲学者が第一に想起される…」などでしょう。なお、「固有名ソクラテス」の外延という場合は、「○○(地域)のソクラテス」とか「□□(時代)のソクラテス」というようなものになると思います。 なお、仰せの<古代ギリシャの哲学者でプラトンの師であり、その最期において自死を選んだ人物>は、上で部分的に触れましたが、広く捉えれば「哲学者ソクラテス」の外延あるいは内包(の候補)というべきでしょうね。 ところで、少々唐突ですみません。例えば、物理学用語に「磁気」なる概念がありますが、その「磁気の持つ外延」としては、「陽電子」「陰電子」という2つの所属要素が考えられます。今、もしこの2つを切り離すと、任意の一方が(陽電子・陰電子のいずれも)、「モノポール」(磁気単極子)と呼ばれるものになります。そして、このうちの任意の一方(例えば、陽電子について)、「磁気としての陽電子」は、もはや、外延を持ちません。それ自体が、いわゆる「単子」だからです。 実は、このモノポールなるものは、理論上のもので、現実には存在し得ないらしいです。つまり、陽電子と陰電子は対になってはじめて存在できるもので、切り離されると途端にその単極子が内分裂して陽電子と陰電子に分かれるらしいのです。棒磁石を真ん中から切り分けると、元のN極もS極も、それぞれの内部が再度N極もS極に分かれて、小型の磁石ができる、ということのようです。かくして、「磁気としての陽電子」は、当初(つまり分割直後)は外延を持たなかったのに、その後まもなく内分されて「陽電子」「陰電子」という2つの所属要素が発生します。つまり、外延を持つようになります。 以上のような、特殊な例を手がかりとして、あるいは、それと比較しながら、懸案の本題を考えてみましょう。というのも、本題の場合、すでに見たように、「固有名詞としてのソクラテス」は、所属する他の要素がないので外延を持ちません。これは、上の「分割直後」に似ていますが、しかし、こちらは当初外延を持たなかったのに、その後まもなく内分されて「陽電子」「陰電子」という2つの所属要素が発生する、つまり、外延を持つようになる、という稀有な例でした。 一方、「固有名詞としてのソクラテス」の場合はどうでしょう。これも、反復になりますが、(当初は、いや、当初から)所属する他の要素がないので外延を持ちません。このように所属要素がない場合は外延を持たないということになって、しかもその状況が永続していくら時間が経っても変わりません(=所属要素が永久に「単子」である)。これが、いわゆる「正常な」外延の様態であって、概念は通常、「無時間的に成立する」ものである、ということのようです。 最後のお尋ね、懸案の事項ですが、正直、これは分かりません。外延の所属要素がない(唯一所属する要素が「単子」である)状況を称して「外延が1つ」と呼ぶべきか「ゼロである」と呼ぶべきかは、私には分かりません。 数学で「0!=1」(ゼロの階乗は1)という公式がありますが、感覚的には全く理解できない定理です。本題もこれと似たところがあって、「外延が1つ」は、「外延がゼロである」(!?)という矛盾律を犯すようなことになってしまいます。 仕方がありませんので、「相棒がいないと外延として成立しない類集合要素の片割れがあるだけの場面」とでもしますか。それとも、前にも言ったように、周囲との調和を考えて、「形式上は1つ、実質上はゼロ」としましょうか。明快でなくてすみませんが、これがボンクラ頭の私の考えられる唯一の回答です。(^_^!) 以上、再伸まで。

feeders
質問者

お礼

--なんとなくではありますが、わかったような気がします。ありがとうございました。

回答No.4

#3です。 >「100年前の東京」における「東京」とthe SmithsにおけるSmithを >拡張用法としての普通名詞用法または普通名詞化したものと見なす >ことはできないのでしょうか。 可能です。 >それが可能なら、固有名詞は概念ではないので 固有名詞は概念ではありません。 固有名詞は語ですから、音声と意味(概念)を持ちます。 典型的には外延を一つしか持たない普通名詞です。 >内包に関しては何も語れないということになると思うのですが。 なぜ? 普通名詞化が固有名詞の拡張用法だとしましょう。 もし、固有名詞に概念がないのなら、拡張などあり得ない。 ゼロの概念をどう拡張しようともゼロのはずです。 もし拡張できるのであれば、それこそ固有名詞にも概念がある証拠です。 >その場合、外延は一個だけ存在すると言えるような気がします。 典型的にはね。 でも、「斉藤」「山田」「田中」には外延が一つしかないんでしょうか? 代々サイトーというグループ名で呼ばれてきた人々の総称、もしくはその成員を指すのではありませんか? もし概念がないなら、「安倍晋三」と「安倍」の違いはどう説明するのですか?

feeders
質問者

補足

ご丁寧な説明ありがとうございます。 ----<普通名詞化が固有名詞の拡張用法だとしましょう。もし、固有名詞に概念がないのなら、拡張などあり得ない。ゼロの概念をどう拡張しようともゼロのはずです。もし拡張できるのであれば、それこそ固有名詞にも概念がある証拠です> たしかにそう言えばそうですね。固有名詞の拡張用法だとすればそう言うしかないですね。 では、言語使用者がSmithという語を、外延が一個だけのもの(固有名詞)として使う場合と、外延が二つ以上存在するもの(普通名詞)として使う場合とがあると考えることも可能なのでしょうか。それが可能であれば、前者のケースでは概念はなくて、後者のケースでは概念があると言えるのでしょうか。 ---<「斉藤」「山田」「田中」には外延が一つしかないんでしょうか? 代々サイトーというグループ名で呼ばれてきた人々の総称、もしくはその成員を指すのではありませんか?もし概念がないなら、「安倍晋三」と「安倍」の違いはどう説明するのですか?> たしかに「安倍」の内包として<阿部一族>があると言えるのでしょうね。 family nameの場合は概念があると考えるしかなさそうです。固有名には原則的には概念はないけど例外的にfamily nameの場合は概念を持つと考えればよいのでしょうか・ そうした例外的ケースはfamily nameの場合だけなのでしょうか?

回答No.3

固有名詞にも概念はある。 もし概念がなかったら、 ・修飾されないはずだが、「100年前の東京」は問題ない。 ・修飾する側に回ることもないはずだが、「大阪の方言」に問題はない。 ・Londoner や New Yoker のような派生名詞も不可能なはず。 外延も当然ある。 典型的な固有名詞の特徴は、固有名詞で表される要素が単一元素からなる集合であるということ。 しかし、固有名詞はしばしば普通名詞化する。 たとえば、苗字を複数形にして「~一家」という意味になるのは、英語だけではない。 the Smiths「スミス一家」 si Hwan(タガログ語では、個人名にsiがつく) sina Hwan(複数形になると、「ホアンとその家族、その仲間」を意味する) このように、固有名詞と普通名詞の境界は曖昧である。 固有名詞に内包も外延もなかったら、そんなことはあり得ない。

feeders
質問者

補足

--回答ありがとうございました。「100年前の東京」における「東京」とthe SmithsにおけるSmithを拡張用法としての普通名詞用法または普通名詞化したものと見なすことはできないのでしょうか。それが可能なら、固有名詞は概念ではないので内包に関しては何も語れないということになると思うのですが。そして、その場合、外延は一個だけ存在すると言えるような気がします。いかがでしょうか。

  • Nakay702
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回答No.2

「補足コメント」を拝見しました。以下のとおりお答えします。 > 概念に対する具体例が一つだけ存在しているのであれば外延は1個ということになるのでしょうか。この時点からさらにゼロになるというのがよくわかりません。 ⇒言い方、用語が適切でなかったかも知れません。言語形態論の術語で「ゼロ形態」*というのがありますが、これを拝借して、「器があって中身がない」状態をこう表現したつもりでした。それというのも、外延というのは、所属要素が2つ以上なければ、「外」に「延」ばすことができません。いわばこの固有名詞における外延の「開店休業状態」を称して「ゼロ外延」と呼んだわけです。 *ゼロ形態:例えば、sheepは単複同形ですが、a sheep に対してmany sheepと言う時、sheepのあとに "-s" こそ付けませんが、複数を意味する働きをする要素があると想定することはできます。それをゼロ形態と言って、sheepφのように表記することがあります。 > この操作において具体例としてソクラテスだけが残った時、内包は例えば<古代ギリシャの哲学者でプラトンの師であり、その最期において自死を選んだ人物>というのでいいのでしょうか。全内包という事態がよく飲み込めません。 ⇒前半部は仰せのとおりだと思います。 ここでもまた、「全内包」などと不適切な言い方をしてしまいました。固有名詞の持つ「外延」という要素と、「内包」という要素を加えた集合体(和集合)から、「内包」という部分集合を差し引くと、何も残りません、ゼロになります。つまり、この場合、「外延」+「内包」=「内包」という等式が成立するわけで、換言すれば、「外延は空集合である」となります。その逆が内包で、「集合体のすべてが内包である」ということになるわけで、これを「全内包」と言ったのでした。 > <固有名詞は概念を持たないと考えてよいのでしょうか>を<固有名は概念を持たないと考えてよいのでしょうかという質問に変えた場合でも同じ回答をいただくことになるのでしょうか。 ⇒「固有名」という語句は、「ある特定の地域などに特有の名前」という意味ですね。例えば、「仲宗根という姓は、この地域の固有名だ」のように言うでしょう。ですから、ここで「固有名詞」を「固有名」に換えて、同じ問いをされた場合の回答は全然違ってくると思います。 なお、「固有名詞は概念を持たない」と仰せですが、そういうことではないと思います。むしろ、「固有名詞は、その外延に所属する要素が皆無である、という概念を持つ」と言うべきところでしょうね。このことが、この問題の核心部分ということになるかも知れませんね。

feeders
質問者

補足

--何とかわかるような気がします。それにしても、ずいぶん難しいですね。もしかして、言語学で扱う固有名詞と論理学で扱う固有名詞とはかなり異なるのでしょうか。 では、ソクラテスという固有名の内包は<古代ギリシャの哲学者でプラトンの師であり、その最期において自死を選んだ人物>で、外延は1個でなくゼロ個ということになるのでしょうか。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >固有名詞は概念を持たないと考えてよいのでしょうか。その場合、内包も持たないことになると思うのですが、だったら外延も(内包あっての外延なので) 存在しないと言ってよいのでしょうか。その場合、固有名詞は単に唯一物としての実体を表す記号にすぎないと言うしかないのでしょうか。 ⇒ある名辞(例えば、「哲学者」)の外延を減らして、内包を増やしていくと、(例えば、「哲学者→外国の哲学者→古代の哲学者」のように)外延が小さくなり、内包が大きくなっていきますね。さらに、同じ操作を繰り返していくと(、例えば、「古代の哲学者→ギリシャの哲学者→ソクラテス」のように)外延がゼロになり、内包だけになります。 つまり、固有名詞は、この操作の極限値であり、いわば「特異点」です。ということは、固有名詞は、概念を持たないのではなく「全内包・ゼロ外延という概念を持つ」ということになるのだと思います。「ゼロ存在も、存在の一形式」と見るわけです。

feeders
質問者

補足

早速の回答ありがとうございます。  <この操作の極限値であり、いわば「特異点」です。ということは、固有名詞は、概念を持たないのではなく「全内包・ゼロ外延という概念を持つ」ということになるのだと思います> --論理学や言語学については浅学なので、私には少し難しすぎるようです。ソクラテスの例を取ると、外延を減らしていった結果、たしかに外延がゼロに近づきます。最後にソクラテスだけが残りますね。概念に対する具体例が一つだけ存在しているのであれば外延は1個ということになるのでしょうか。この時点からさらにゼロになるというのがよくわかりません。  内包が大きくなっていくことはわかりますが、この操作において具体例としてソクラテスだけが残った時、内包は例えば<古代ギリシャの哲学者でプラトンの師であり、その最期において自死を選んだ人物>というのでいいのでしょうか。全内包という事態がよく飲み込めません。 ついでに、もう一つお願いします。<固有名詞は概念を持たないと考えてよいのでしょうか>を<固有名は概念を持たないと考えてよいのでしょうか>という質問に変えた場合でも同じ回答をいただくことになるのでしょうか。よろしくお願いします。

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