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日本のいじめ問題について考える
- 神戸の女子生徒が自殺した件で、教育委員会と御遺族との意見が噛み合わず決裂しています。いじめ問題があります。
- 教育委員会がいじめを認めず、当事者の教員やクラスメートの親の意向が関与しているのではないかと思われます。
- いじめを行っていた子供やその親たちに対して厳しい処罰が必要であり、教育委員会も積極的に取り組むべきです。被害者を守るためにも重要な問題です。
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大阪が今年から?小学生の学校スマホ持参を解禁するニュースがありました 書かれている神戸の女子生徒のいじめにSNSが含まれていました さて、 LINEなどのSNSによるいじめの管理を教育現場に押し付ける時代なのでしょうか? もういじめは昔のように『学校内』で起きているだけではない時代です 義務教育の教師陣が、児童生徒たちのSNSの裏アカウントなどを調べたりして、管理しなければいけないのでしょうか? 昔のイジメのイメージのまま、現在のニュースを読み解く時代は終わっています 乱暴な表現をすると、他の生徒が「SNSで◯◯さんがイジメにあっています」と先生に言ったとして、それが教育現場に何の責任があるのでしょうか? スマホなどの媒体を買い与えているのは、紛れもなく親(家庭)です つまり、教育委員会が認めないのは、教育現場以外にイジメの原因・行為が拡散しているからであって、学校外・家庭内時間でのSNSによるイジメの責任・認知責任・確定責任があるはずもないのです・・・ 大阪を皮切りに、全国で数年うちに小学校でのスマホ持参が解禁になります もう予言を超えた想定として、そののち同じようないじめの自殺が増えるでしょう 昔だって、夏休みなどの登校がない期間に、学校外でいじめがあったとしても、それは教育現場管轄外ですから、教育委員会に認定しろ!って言ってもしなかったのと同じことが、スマホ・インターネット・SNSで横行していることに気づきましょう カテゴリが教育問題になっていますので、ソレ以外のことには回答を差し控えますが、いつまでも古い時代の想定に現代の問題をトレースすることは、危険であることに気づかれると良いと思います
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- g0721475
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根本的に文部科学省から教育委員会そして義務教育の各学校の校長が 意識を変えない限り無理です。なぜなら我が身の出世に大きく影響す るからです。その為に将来有望な児童生徒を犠牲にし何も無かった事 にしているのです。その人達は良い死に方をしないし死者の亡霊が付 きまとうと思います。聖職のはずが偽善者職に何時から変わったのか、 長い年月で政治がそうさせたのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 問題に真摯に取り組まず、ただ自己保身に走る教育者。 情けないです。 それは、夏目漱石の「坊ちゃん」にも赤シャツという登場人物に表されて います。 裏に手を回して、邪魔な人を地方へ飛ばす画策を水面下でやる。 そういう奴に毒されて支援する者達。 似てませんか。
- g27anato
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苛め自殺について、自分なりの考え方を…。 人には「命を奪われない」権利が有ると考えます。 これには命を失う「精神的状態に追い込まれる」ことも含むと考えます。 子供には我が身を守る術が備わっていません。 そのために親が子を守る責任を負うと考えます。 人が命を奪われる危険を察した時、 人は我が身を守るために、相手に対して攻撃を加える権利を有するとも考えます。 …これは子を守る責任を負う親にも同じことが言えると思います。 親が他者を信じて子を預ける時、 子を預かる者は親に代わって責任を負うものと考えます。 人は他者によって命に関わる攻撃を受けた時、 実際に命を奪われることを防ぐ為に、攻撃を受けた相手に対して報復は許されるものと考えます。 通常は報復の応酬による事態の悪化を防ぐ目的で、法律による責任と事態の預かりが規定されているのだが、 その責務を負う行政が預かりを拒否、或いは放置した場合、 対象が子供の場合は親が子に対する責任を負うことになる。 責任を預かる者がいない場合は、親が自ら責任を負うことになり親には報復も許される立場を子に代わって与えられることになると考えます。 もしも同じ立場の親同士が報復を目的に一斉蜂起した場合、それはテロリズムとなるのではないだろうか。 そのような事態を防ぐ為に行政は存在する筈なのだが、 行政が事態を預からず責務を放棄して命に関わる攻撃を許容する立場に立つなら、 テロリズムは子を守る為の正義として成り立つことになりはしないか。 人は皆、一方的な攻撃によって命を奪われない権利を有する。 攻撃を受けた者は同等の報復を加える権利を有すると考えます。 子供にも同じ権利は存在すると考えます。 その権利は子供を守るべき責任を負う親に受け継がれるものと考えます。 我が子に対する攻撃を行政が加担したした場合には、 親のテロリズムは我が子を守るべき立場の責任および権利として正義であるという論理が成り立ってしまう。 屈辱か報復か、その選択は当事者である親に委ねられるものと考えます。 本当にそれで良いのか?…という疑問は残りますが、 加害者を支援し加担する行政が現実に存在する以上、 致し方ない事と考えます。 私自身は「苛めの継続」を「拷問」と考えています。 子供の命を預かる立場を悪用して拷問に加担する行政「悪」と、 子供の命に責任を負う立場から報復を考える親の「正義」とが対立した時、 私は「悪」を支持する気にはなれない。 私は、あくまでも「正義」の味方で在りたい。
お礼
回答ありがとうございます。 いじめっ子の成れの果て、というのは悲惨ですね。 まず、周囲の人間を不幸にする。 そして、犯罪を起こして被害者を出し、金品を奪いあるいは殺害する。 東京で起きたアポ電殺人事件の逮捕者(容疑者)もそういうたぐいの者 たちです。 なぜ、このような者たちが大手を振って街を歩いていたのか。 それは、その行為を許す大人(親、教師)がいたからです。 また、暴力だけでなく頭も回る奴は、姑息に隠れて指示を出す方に 廻ります。自身では手を出さず手下にやらせる。 こういう奴は企業に就職できたりするから、始末に悪い。 会社を食い潰したり、争いを起こしたりを繰り返し、しまいにはパワハラ 上司になって誰も近寄りもしない孤独な人生を送るようになります。 社会にとって悪い部分です。
圧力をかける行為は恐喝とは言いません。 暴言を吐いても恐喝とは言いません。 恐喝とは、相手の生命の危機を感じさせる脅しです。
お礼
回答ありがとうございます。 加害生徒が書いたとされる手紙を読んでも同じことが言えますか。 完全な脅しですし、これを知らないで学校に恐喝をする親なら 刑法に掛けられる事案ですね。 悪質ですし、見ているだけで反吐が出ます。 こんなことを、気持ちが良いなんて言う奴が実際にいるんだから法律 があるんです。
いじめをやっていた子供の親が圧力を学校に掛けていたケース。 これは、警察に逮捕され、裁判所に書類送検されて裁判で有罪になれば、前科 者として警察署に記載されます 取り締まる法律が無いのに逮捕されるのですか?
お礼
回答ありがとうございます。 取り締まる法律はあります。 恐喝容疑 学校に必要以上に脅し、暴言を吐いた場合に適用されます。 犯罪隠蔽容疑 子供が犯した犯罪を隠蔽した場合に適用されます。 犯罪者隠匿容疑 犯罪者である子供を屋内に匿い、警察の職務を妨害した場合に適用。 とまぁ、思いつくだけでも大変な容疑ばかりです。
お礼
回答ありがとうございます。 テレビでいじめの問題を扱う時に思うのは、被害者の経歴や家族関係 など被害者側のものばかりです。 それに対して、加害者側のことは殆ど知らされません。 なぜでしょうか。 加害者側の生徒には報道されるような価値も無いからです。 ただ、「あいつが妬ましい」とか「あいつがいなけりゃ俺ももっとマシ な人生が送れる」とか「あいつのせいで俺は惨めな人生になっている」 とか全て自身の妬み、憾みが発端となっている下らない人間だからです。 そういう人間からは何も社会に与えるものもありませんし、他人に対して 貢献する気持ちも行動もありませんから、レベルの低い人生に終始して しまいます。 いじめられている人は、こんな下らないいじめ人間に合わせるのでなく もっと先を見ましょう。