地頭の良さを持つ兄と普通の私の違い

このQ&Aのポイント
  • 私の兄は地頭がいい天才であり、学業や雑学に関しては驚異的な能力を持っています。
  • 一方、私は普通以下の能力しか持っておらず、学習や思考力が苦手でしたが、社会に出てからは仕事の覚えが良いと言われるようになりました。
  • 地頭の良さや天才を評価しない人は、その素晴らしさを理解していないのか、本気で凄いと思えないのか、興味深いです。
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地頭の良い人に対する評価

私の兄は地頭がいいです。というか正直なんでもそれなりに出来る天才です。。。 兄は中学高校と開成に通っていました。しかも中学受験の時も、塾に入る時に受けた試験の結果で最初からト ップクラス。塾にも友達と遊びに行く感覚で真面目に授業なんて聞かず、実際ノートは落書き帳のようになっていました。家でも宿題なんてしておらず、なぜしなくても勉強が出来るのかは、一度聞いたり見たりすれば大抵覚えているから、らしいのです。本人がそう口にしたわけではありませんが、一緒に生活していて、それはすごく分かります。努力とは無縁のタイプです。訳あって東大へは進学しませんでしたが、他人の半分の労力で東大へ行けるだけのモノは持っています。 また、絵や芸術的なセンスもそれなりにあり、音楽のセンスもそれなりにあります。飛び抜けてではなく、それなりに、というのが努力で得たものではなく地からきている感じがとてもありますよね…。ただ、運動神経だけは男性にしては無い方で、そこだけは妹の私の方が分けてもらえた感じはあります。 努力人間ではないため勉強が飛び抜けてできたりするわけではありませんが、何でそんな事知ってるの?というような雑学は何でも知っています。私が疑問に思った事は聞けば何でもすぐ答えが返ってきて、それこそ本当に歩く辞書のようです。簡単な疑問なら私が無知なだけですが、「そもそもこれって何?どういう意味?なんでこうなった?」のような、いざ問われると知らないような事です。スマホで検索して掻い摘んで答えるならまだしも、食事中や全く別のことをしている時にサラッと返事が返ってきます。恐ろしいです(笑) ちなみに私は普通かそれ以下で、小学生の時は前の日に教えて貰った解き方を忘れてしまい何十回も同じ問題を教えてもらう程おバカでした。中学でもまだおバカの片鱗は残っていて、高校生になってようやく理解力や思考力が覚醒し、やっと並大抵の人間になった感じです。 …という感じでして、兄妹でこんなに違う!という悔しい気持ちもありますが、地頭がいい天才と認めざるを得ません。正直親が当時の私に「何でこんなことも出来ないの!?お兄ちゃんはできたのに…」と嘆きたくなる気持ちも分かるくらい雲泥の差がありました。 私が社会に出てからは、(脳が覚醒した後なので(笑))仕事の覚えが良い方らしく、職場の人に私も地頭がいい人扱いされますが、身内で本当の地頭のいい人間を見ているため謙遜でも何でもなく「私は普通」だと感じます。良い意味でも悪い意味でも。 努力はしないし甘ったれだし、人間としては情けないと常々思っていますが、脳みその出来だけは本当にすごいと認められます。(正直、人間力だけでいえば間違いなく私の方が出来はいいです) だからこそ逆に、兄の「頭の出来」をすごいと思えない人に対して呆れてしまう自分がいます。すごいと思える、認められる人に対して「この人は賢い、尊敬できる人だ」と感じるのです。 地頭の良さや天才をすごいと思わない人は、それがどれ程すごい事かすら分かっていないからなのでしょうか?それとも、本気で凄いと全く思わないのでしょうか?どう思いますか?

みんなの回答

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.8

もう定年退職っした身なので、人生を見直したり、他人にアドバイスをしても良い身分かなと思っています。 小生も田園地帯の育ちながら、大して努力もせずに県内随一の進学校に進学し、都内の有名私立大学に進学しました。ここまで質問者様のお兄様に似ているなと思いました。(残念ながら自分には妹はいませんし、「天才」と呼ばれることもありませんでしたが^^;) さてその後、東証一部上場企業に就職しました。一貫して海外営業の職場で、平々凡々たるサラリーマンで終えました。プライドから言えば少し辛いですが、今の安定した生活を鑑みると自分の実力では出来すぎかも知れないと思っています。 また、最近考えるに、自分は「発達障害」ではなかったかと思ったりします。(自閉症の若者がドクターになるTV番組を参考にして下さい。) そう性格や行動が平均的でない場合、精神医学上「発達障害=自閉症もその一種」と言われます。決して知能の発達が遅いという意味ではありません。 質問者さまの文章を一読して感じたのは「身びいき」という言葉でした。身内の人間を正しく判定するのは難しいものです。 天才という言葉を聞く度に、「ノーベル賞」という言葉も思い付きます。お兄さんが「ノーベル賞」またはそれに相当する評価を受けた場合、質問者さま以外の世間も天才と認めたことになります。

回答No.7

すごいと思わない人は、同じ程度のことができるからそう思わないのでは。もしくは、別にすごくはなく知識はすごいけど知恵や知見がない、と思われてるかも。 私の身近にも、一度授業で聞いたことは忘れず、ろくに試験勉強もせずにいい点数とるやついました。暗記力と理解力がすごかった。 でも、正解がないような問題をどう解決するか、が、全然できない。 要するに、少し調べたり少し応用する程度の問題は労せずこなせるが、ゼロから何かをひねり出す知恵がない、というお兄さんのような方はわりといますよ。 俗にいう、東大出てるのに馬鹿だね、と言われるタイプですね。

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (126/462)
回答No.6

訂正;バーチャルリアリティ→イメージトレーニング

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (126/462)
回答No.5

覚えるつもりもないのに同僚の誕生日を覚えていて言い当てた男です。自分でも驚きました。きっと半導体と同じ要領です。ごく微小な電流でスイッチング出来ると、大量の0か1かの区別が可能です。そういう頭の使い方が出来る人が頭のいい人だとある意味思います。一生懸命アタマに強く刻み込むのではなく、軽く小さく薄く刻み込むだけで済ませられるのです。 書ける漢字の練習はしない。ヴァーチャルリアリティで経験値を増やす。本は言わんとする要旨だけ把握するために読む。というような時短・省エネの姿勢が身についているかもしれませんね。 大人になると、「羨ましい」というような、他者と自己とを同一視することから生じる感情は弱くなり、「人は人、自分は自分」というように、自我境界が鮮明になってきます。その天才的な他者の才能が自分にとって有利なものなら喜ぶし、目の上のタンコブなら疎ましく思う、それだけのことです。

noname#233869
noname#233869
回答No.4

頭いい人を見て「この人は頭のいい人だな」と捉えられるのはある程度頭のいい人だけだと思います。

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (448/2823)
回答No.3

天才の人が、それほど努力をしないで得た知識も、凡人が努力して得た知識も、客観的に見れば同じ知識です。それ以前に他人が、どういうプロセスで知識を得たかなんて興味の対象になり辛いように思います。 質問者様は家族にそういう人がいるから興味の対象になっているのでは? 社会に出れば、その人の知識や能力の凄さよりも、結果が重視されます。見るからに知能の高そうな人もいますが、その人が結果を出していないなら、あいつ頭いいけど駄目だなって扱いになることもあります。

  • ffo_on
  • ベストアンサー率30% (149/483)
回答No.2

社会に出れば成績が取れるだけの「役立たず」が山ほどいることが分かりますよ

  • tail012
  • ベストアンサー率22% (14/61)
回答No.1

それなりを天才とは呼びません。

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